Wishbone Ash の「Everybody Needs A Friend」#48
高校の文化祭の時、体育館の片隅で決意した「ドラムを叩けるようになりたい」という想いは変っていなかったrakuda。
大学には「音楽部」があった。
「ダサッ!音楽部ってなによ」と思わないでもなかったが、早速、見学に行く。
音楽部はロック部とフォーク部に分かれていて、ロック部は学校敷地のはずれに、もとは教会だったという建物があり、そこで練習していた。
なるほど、それなりに雰囲気はある。フォーク部はなんかプレハブの部室みたいなとこでアコーステック楽器をチャラチャラ弾いていた。
教会風の建物のドアをあけると…
ギュィ~~ン、グィ~~ン、ドッカ~~~~ン♪
「うわっ!うるさーーーーー」
先輩達による生演奏は大音響ど迫力!
「こんなふうに演奏できるようになりたい!」
そう思わせるに十分なものだった。
バンドでタイトなリズムを刻むドラムのI田さんはサラサラのロン毛に帽子をかぶり、ショートホープを吸っていた。
そのかっこよさにも僕は憧れて迷うことなく入部した。
しかし、入部したからといってもすぐ楽器をもたせてくれるわけではなく、腹筋とか腕立てをして、あとは硬いイスに座って先輩達の演奏を聞くだけ。
I田さんにドラムを教えてもらおうなんてとんでもない話で4年生は「神様」ということも知った。
いい加減イヤになってきた頃、「適正をみる」とか言われて1年生が集合させられた。
「なんの?」
楽器だった…╰(*°▽°*)╯
適正って…
「やりたい楽器やらせろよ」と思ったが、勿論そんなことは言わない。
それくらいは大人になっていた。
先輩が並ぶ前で楽器の経験とか、希望楽器を聞かれ、rakudaは
「ギターを少々、希望楽器はドラム」と答えた。
するともうひとりTというドラム希望者がいたこともあり「お前は体型的にベースかな」って…
で、弾いたこともないベースを弾かされた。
課題曲はA(キーです)のロックンロール。
ということで一応適正テストは終わったのだがベースはやりたくないので翌日から部活には行かなかった。ギター3人のうち誰かがベース弾けばバンドできるし、やめたからといってそう迷惑はかけないだろう。
ドラム叩けないならやめればいいやと思っていた。
そして、rakudaは地元のK藤と仲良くなり、「18時までに入館すれば680円」という広島のディスコに入り浸っていた。
ある日「今日、部室に来てくれ」とK竹に言われ、まぁこのまま宙ぶらりんのままでいるよりドラムができないなら退部しようと思いながら渋々部室に行くと、
「T(ドラム)がやめたんだ。俺がベースを弾くからrakudaがドラムを叩いてくれないか?」
とK竹が言った。
喜んで引き受けた。さらにディスコ仲間のK藤をバンドに誘う。
メンバーのなかに気が合うやつがいるというのは楽しいものだ。
他のみんなも新たにメンバーをいれることを了承し、K藤も「いいよ」と軽く受けバンドは結成された。
そうやって結成された僕としては人生初のロックバンドの名前は「BREATH」となった。
顔を合わせる回数が多くなるにつれてわかったことだが、K竹とK丸はものすごく音楽に精通していた。
そして僕が「知らない」と言う曲があるとアパートにレコードをたくさん持ってきてくれ一緒に聞いたりした。
マウンテン、キング・キリムゾン、バットカンパニー、ムーディブルース、ピンクフロイド、デレク&ドミノス、サンタナあげてたらきりがない。
アルバムとしてちゃんと聞いたことがなかったので少なからず衝撃を受けた。やはり当時のミュージックシーンには心を揺さぶられるなにかがあったような気がする。
一度はあきらめたドラムを叩けることになった僕は時間があれば部室にこもってひとりでドラムを叩いていた。
さらに運が良かったのが1学年上のバンドがあまり練習しなかったこと。
だからメンバーそろっての練習もわりとできた。
結成初期の頃は、それこそいろいろなというかバラバラなジャンルを演奏していた。
ベースのK竹はリッケンバッカー買ってたんだからたぶんビートルズが好きだったんだろう。「My Love」とかしたな。
K丸は自己紹介のとき高校ではサンタナしてたと言ってたし、(そういえばレスポールだった)もうひとりのギターのD井垣内はロックンロールかな?彼はストラトを持っていた。K藤はニューミュージックが好きだった。
それをどういう風にまとめていたか覚えてない。
バンドの中心はK竹とK丸だったと思う。
「この曲演ろう」みたいな感じで練習してしっくりいったのをステージでやっていたんだろう。たぶん僕達に気を使いながらの選曲だったからよけい統一感がなかったのだ。
僕は「なんでも叩ければいいや」って感じだった。それでも今まで聞いたこともなかった曲は新鮮だったし、そういう曲を教えてもらい、巡り合えただけでも今思うとありがたいことだった。
で、コンサートが終ったりすると「一緒に写真撮ってください」とか、プレゼントや花束を「これ、もらってください」とかあってますます調子にのるニヤニヤフハハな僕達。
時間があれば練習をして、学園祭のキャンプファイヤー、定演を初め、いろいろな場を与えてもらって演奏する日々を送ったのだった。
大学時代のバンド結成の話は、ここでも書いている。
さぼっている僕をロック部に戻してくれ、さらに4回生になり、バンドにやる気をなくした時にも説得しにきてくれたK竹。
あんなに迷惑をかけたのに、彼とは卒業後も連絡を取り合い、僕がやってるバンドのLiveに来てくれたり、呑んだりした。
僕が地元に帰ってからも、たまにメールのやりとりや電話で話をしたり。
彼もバンドを続けていて、しかも田舎の一軒家をメンバーで借りてそこをスタジオにしていた。
いつか、そのスタジオで一緒に音を出そうという約束を果たせないまま彼はむこうの世界に旅立った。
今回は、上の 演奏曲の写真にあった、Wishbone Ash の「Everybody Needs A Friend」(この曲は彼が唄っていた)
彼の事を悼みながら叩いた。
哀愁あるメロディやギターのうえ、歌詞も友人の事を唄っているので、少しだけウルウルしてしまった💦
よかったらお時間がある時にでも聴いてください。
< 了 >