レンタルスペース「mansikka マンシッカ」誕生の物語 ~中編~
前編はこちら
父が亡くなり実家に戻り、母と叔父と私の三人の生活がスタートした。数年後、叔父が亡くなり、そして私は、「大学卒業後就職し、すっかり自分の体に馴染んでしまった会社員という生活」を終わらせた。
「この家どうしたらいいんだろう」という思いを常に肩に乗せたまま、仕事もせずに家にいることへの罪悪感も肩の上に乗っかってきた。雇用保険手続きのためハローワークを訪ねた時、技能訓練校「ネットショップサイトデザイン科」という文字が目に入った。「これからは、何をするにもIT知識は必須だし、何をしたらいいのか分からないんだし、これ通ってみよう。」そうして私は毎日通う居場所を見つけて、少し心が落ち着いた。そして、家の事についても少しずつ行動を起こしていった。
実家は、小さいながらも風情のある日本庭園のある古民家。父はこの家を買った当初、駅から近いこともあり、この家を壊して収益ビルに建て替える予定だったらしい。しかし相談した大工さんに「私にはこの家を壊すことは出来ません。」と言われて初めてこの古い家の価値に気づき、そのまま維持する事にしたと聞いている。
私は古民家が大好きだ。大正時代ぐらいの和洋折衷の建物や内装が特に好き。だからなんとかこの家を維持した状態でリノベーションして使えないか?と考えていた。母と私2人で住むには広すぎるので、出来ればこの家の一部を何かに利用して、固定資産税分ぐらいのお金を生み出せないか?一部賃貸住宅?民泊?下宿?古民家カフェ? 近い将来介護が必要になるであろう母と私が住むエリアと他人が使うエリア、プライバシーに配慮しつつ、これら二つのエリアをこの古い木造建物の中で区切る事はかなり難しい。だし、私がどうしても民泊をしたい、カフェをしたいという訳でもない。例えそのように造り替えたとして、誰が集客したり運営したりするんだろう?ん~、どうしたらいいんだ?堂々巡りを繰り返していた。
木造に詳しい知り合い建築士数人にも相談し、家を見に来てもらったが、全く話は進まない。この頃の私は、まだまだ心のリハビリが必要な時期で、自分のする事に対して全く自信が持てず、何かを決断する事を避けていたのだと思う。特に大きな決断からは逃亡したいと思っていた。
自分が働いて貯めたお金で買った家なら、自らの手で改修・改装するのも、壊すのも、手放すのも躊躇なくできたのだと思う。親とは言え私とは別人格、その人が色んな想いで手に入れた家、しかも当時相談した大工さんが「私には壊せません。」と言った話も脳裏をかすめる。
「どうして父は、この家をこんな状態のまま残して死んでしまったんだろう。どうして私にこの家に片を付ける役目がまわってきてしまったんだろう。」この家がなかったら、どんなに楽だっただろうか等と罰当たりな事も思っていた。
なかなか事態が進展せず悶々と過ごしていた時、一枚の新聞折込広告に目が留まった。一般社団法人暮らし振興支援機構はなきりんという団体が開催する「建築業者では教えてくれない住宅計画」というセミナー、参加費無料、講演するのはオンナの人。私にも一応建築設計の知識はある。でも造る側の実務経験や知識はほとんどない。このオンナ、きっとこの業界にいがちなタイプのオンナなのかなぁ?散々迷って、でも何故か気になって、締め切り間際に参加申込をした。
そして、このセミナーを聞きに行ったことがきっかけで、私の肩にずしりと乗っかていた「この家どうしたらいいんだろう」が、確実に動き出した。
続く