#98 臆病で怠け者な男の挑戦
僕は生まれてから長い間、挑戦という挑戦をしたことがなかった。
自分で目標を決めて、自分で努力して、自分で達成するという経験を20歳までに一度もしたことがなかったのだ。
それに気づいたときが、僕の人生の大きなターニングポイントだった。
このときに、自分を変えたいと強く思うようになったのである。
変えようと思った理由が自己嫌悪と自己否定だったので、健康的だったかと言われればそうではないかもしれない。
けれど、そのときから挑戦への腰が軽くなったのは間違いない。
自分を変えるためには、何かに挑戦するしかない。
そんな当たり前のことに気づいたのが、20歳の夏だった。
自分という存在が恥ずかしくなった
契機になったのは、東日本大震災だった。
僕の住む埼玉は無事だったとはいえ、今までに経験したことがない揺れを感じた。
テレビを見れば、衝撃的な映像ばかり。
嫌でも胸が痛くなり、この先どうなるかという不安が強く襲った。
ただただ傍観することしかできなかったのだ。
震災の影響で、大学の新学期が5月に始まった。
久しぶりに会った友達たちは口々にこう話していた。
「とりあえず赤十字に1万円募金したわ」
「夏にボランティア行ってくるわ。知り合いが東北にいるからさ」
「震災直後は、バイト先のカフェにいてさ、通りすがりの人たちにコーヒーを配ってた。皆喜んでくれて嬉しかったなぁ」
皆、立派だった。
友達たちは何かに頑張っていた。
「かったりい」とか、「めんどくせえ」とか、言葉ではそう言っている。
けれど、教員免許を取るために勉強している人もいれば、一生懸命アルバイトをしている人もいる。
20年生きてきて、僕は何もできていない。
社会のために何もしていないし、自分を高めようと何も努力していない。
そもそも僕は今までの人生で、自分で何かを決めて達成した経験をしたことがない。
そんな自分が、とたんに恥ずかしくなっていた。
こんな腑抜けた自分を、変えたい。
何かに取り組まなくては。
何かに挑戦しなくては。
そんな衝動に駆られて、重すぎる腰を上げたのだった。
死に物狂いの挑戦
そのとき、僕が挑戦したことは3つあった。
1つ目はダイエット。
125キロというあまりに重すぎる体、醜い外見を変えるべく、日々の節制とできる限りの運動に取り組んだ。
2つ目は心理学の勉強。
お世話になっていた恩師の影響で心理学の研究に興味を抱いていた。
大学院に行くための助走として、心理学検定の2級合格を目指した。
3つ目は小説をどこでもいいからどこかへ応募する。
それまで既存のキャラクターを使った小説は書いていたけれど、オリジナル小説を書いたことがなかった。
なので、趣味の小説で一皮むけるために、大学主催のコンクールに応募することにしたのだった。
元々怠惰な人間なので、サボる日だってたくさんあった。
愚痴だってたくさん吐いた。
変えたくてもなかなか変われない。
そうせっかちになって、死んでしまいたいと思った日もあった。
けれど、今の自分ではもういたくないというよく言えば現状維持の拒否、悪く言えば自己否定を燃料にとにかく必死に努力をした。
自分を変えるためには何かを犠牲にする必要も出てくるのかもしれない。
自分を変えると決意してからの3か月は、一切友達とも遊ぶことはなく、ただただ必死に自己研鑽に励んだのだった。
人生初の成功体験
夏に埋めた自己変革の種は、秋にはなんとか花を咲かせてくれた。
ダイエットもとりあえず成功。
3か月で125キロあった体重も95キロまで減らすことができた。
心理学検定2級にも無事合格。
更なる高みを目指して、次の年に1級を取得し、大学院受験に挑戦しようと心に決めることができた。
小説への応募も達成した。
書き上げただけでも嬉しかったが、賞をいただくこともできたのだった。
その賞でいただいたお金の一部を、震災復興のために募金した。
それができた瞬間が、一番嬉しかったかもしれない。
生まれて初めて、自分で決めた目標を達成することができた。
真の成功体験を積むことができた。
あれから13年経った今でも、それは僕の確かな自信になっている。
今だって臆病で怠け者だけど
成功体験を積んだことによって、臆病な気持ちな怠惰な気持ちがなくなったかと聞かれればそうではない。
相変わらず僕は臆病だし、怠惰な人間である。
特に本当に自分は臆病で、「失敗は成功のもと」とか書いたくせに、未だに失敗するのが怖いと感じている。
実際noteに再挑戦するのにも、相当な時間がかかってしまった。
メンタルが落ちることも当然ある。
けれど、なんとか前向きに仕事をして、記事を書き続けられているのは、
過去の挑戦による成功体験があったからなのだと思う。
失敗するのは怖い。
だけど、挑戦は絶対に自分を変えてくれる。
挑戦した先の自分を見据えることが大切なのかもしれない。