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#175 誰かと話すことって大切だ

僕は一人でいることをあまり苦に思わないタイプだ。
だから数日間、誰とも話さなくてもそこまで苦しくはならない。
と、思っていた。

確かに苦しくはなっていない。
だが僕の気づかないところでネガティブな何かが蓄積している気がする。
それを晴らしてくれたのは、結局のところ誰かと話すことだった。

ずっと一人でいると

昨年の秋ごろのこと。
勉強や創作活動に打ち込みたいことから、仕事以外の時間を極力孤独に過ごすことにした。

それはそれで楽しい時間ではある。
一人でいると何を食べるにも、どこへ行くにも、いつ何をしようにも自由。
当然意見が割れることだってないし、気の向くままに行動ができる。

だけど、これを数か月間続けていると、少し心の中に変化が起こる。
何とも表現しようのないモヤモヤが発生するのだ。

一人でも楽しいはずなのに。
行動も選択も全てが自由なはずなのに。
なぜだか心の中に鬱屈したものが溜まってきている気がする。

この気持ち――
誰かに聞いてもらいたい!

そんな欲求が湧いてきたとき、僕の孤独強化期間が終了するのだった。

明確でなくても寂しさは募るもの

親友に連絡をし、一緒に呑みながら絶え間なく会話をした。
仕事のこと、プライベートのこと。
もちろん僕が話すだけではなく、親友の話もたくさん聞いた。
歳を重ねるごとに、誰かの話を聞くのが好きになってきている自分がいる。

友達と別れ、家でぐっすり眠り、朝目覚めたとき。
昨日まで心の中にあったモヤモヤが完全に消えていることを感じたのだ。

そのとき、思った。
モヤモヤは、鬱屈した気持ちの正体は、寂しさだったのだろう、と。

一人でいることが好きであることは間違いない。
一人でいることが苦ではないことも間違いない。
しかし、それでもどうやら僕は、自分の気づかぬうちに寂しさを募らせてしまっていたようだ。

誰かと話すことは、単純にストレス発散という効果があるのだと思う。
そしてそのストレス発散になる理由は、自分でも気づかない寂しさを晴らしてくれるからなのかもしれない。

殻にこもらず誰かと話していきたい

勉強や創作活動に打ち込むために、一人の時間を増やした自分の行動は否定しない。
けれど、心のどこかで「絶対に誰とも会わない」と意地になってしまっていた自分がいたことも事実だ。
無理やり殻に籠ってしまっていたなと、今では思っている。

一人でいる時間と、誰かといる時間のバランスは、思っている以上に生きる上で考える必要があることなのかもしれない。
何かに打ち込むためだとしても殻には籠らず、ほどよく誰かと話す時間を設けていきたい。
誰かと話せるということは、この上なく幸せなことなのだから。

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立竹落花
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