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#189 あなたのためは誰のため

テレビをつけるとよく目にするようになったACジャパンのCM。
その中で、強く心に打たれるCMがあった。
それは「あなたのためだから…」という教育虐待をテーマにしたもの。

野球をしている子どもたちを見て、羨ましそうにする主人公の男の子。
その子どもの気持ちが痛いほどわかる。
僕も同じような経験があるからだ。

だからこそ、思う。
あなたのためって、誰のためなのだろう。

強制されることほど辛いものはない

僕もCMの少年のように、勉強によって友達と遊べないという経験をしたことがある。

僕は小学4年生から塾に入り、中学受験を志した。
親から「やってみる?」と言われて、「やってみたい」と言ってしまった。
なので仕方がないのだが、それでも子ども時代にやりたいことが勉強のせいでやれないというのは苦しいものだ。

本当は友達と遊びたい。
本当は家でポケモンをやりたい。
だけどここで塾に行かなかったら、受験に受かることはできない。
そうして、誘惑に打ち勝って、足を塾に向けたことが何度もある。

……まあ、何度かポケモンの誘惑に負けてしまったこともある。
それでも罪悪感を持っていたことは今でもよく覚えている。

やりたくないことを強制されることほど辛いものはない。
僕は親から「あなたのため」と言われたことはないけれど、もしそう言われたとしたら、素直に受け入れられなかったと思う。

僕のためを思うなら、ポケモンをやらせて!
当時の僕だったら、そう言ったような気がする。

あなたのためは誰のため

親からではないが、僕も「お前のため」と言われたことがある。
過去幾度も書いている適応障害になった会社の上司からそう言われた。

度が過ぎた厳しい叱責も「お前のためにやってる」。
周囲に恥をさらされたことも「お前のためだ」。

「お前のため」と言われたことによって、僕の心は蝕まれていった。
最終的にメンタルダウンをし早期退職をしてしまったのだから、それらは全くもって僕のためにはならなかった。

そう、「お前のため」は僕のためにならなかったのだ。

それを理解した瞬間——
精神を病んだ僕は、上司に対して強い怒りを覚えた。
目の前にいない上司に向かって、心の中で怒号を浴びせた。

お前のためって誰のためだったんだ?
結局、お前が部下を育てた実績を作るためだったんじゃないか?

あのときの僕の怒りは、今も鮮明に思い出せる。
それと同時に「あなたのため」や「お前のため」という言葉には、発言者のエゴが存分に含まれていることを、僕はその経験から強く学んだのである。

口に出した時点でただのエゴ

「あなたのため」だとか「お前のため」という言葉。
それは、半分本当で、半分嘘なのだと思う。

なぜ半分なのかというと、そこには少なからず本当にその人のためを思って、その人が苦労しないようにという気持ちが含まれているからだ。

一方で、「あなたのため」「お前のため」を口にした段階で、それはただのエゴと化す。

自分の子どものために精一杯頑張る私は、いい親だ。
部下のために必死で指導をする自分は、いい上司だ。

そんな思惑が、その言葉から感じられるからである。

僕の経験上、本当に僕のためを思って色々行動をしてくれた人は、誰一人として「あなたのため」「お前のため」は使っていなかった。
口よりも行動から「自分のためにしてくれてるんだ」と伝わるからだ。

かつて僕のために動いてくれて、本気で僕を助けてくれた人たち。
その人たちの行動や言動から、少なくとも僕は思う。
本当に誰かのためを思うなら、
安易に「あなたのため」「お前のため」という言葉を使わないほうがいい。


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立竹落花
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