高い偏差値や難関校合格を求めるのは、なんのため?
「二月の勝者 ー絶対合格の教室ー」というドラマが話題になっているそうです。
中学受験塾を舞台とした物語です。
現在、高校受験を控えた中三の息子がいるので、「受験」「偏差値」「学歴」という言葉が気になり、ダイジェスト動画をざっと見てみました。
全部を見たわけでも、原作を読んだわけでもなく、軽率なことは言えませんが、厳しい受験に向かう子供たちが痛々しくて、見ていて胸が苦しくなってしまいました。
私自身、小さい頃からの息子の成長を見てきて、何度も問い直した偏差値や点数、順位、進学する高校のランキングなどの意味を、あらためて整理したいと思います。
それは本当に子供の幸せのためですか?
子供が試験で高い点数を取ってくる。
校内順位や模試の順位がいつも上位。
偏差値の高い難関校に合格。
素晴らしいですよね!私も、そういうお子さん、「すごい!」と思うし、感心します。
わが子もこうだったら・・・と思わないと言えば、嘘になります。
でも、これさえできれば、確実に子供は幸せな人生を歩めると思いますか?
子供自身、勉強が好きで、自主的に学んだり、ゲームのように難問を解いたり、高得点をクリアすることを楽しんでるのならいいと思います。
しかし、上記ドラマのように、子供に勉強を強要し、成績や学力を理由に暴言や暴力をふるう(教育虐待というそうです)親がいるのも事実。
親の言い分は、「子供のため」。
将来、勝ち組となり、幸せに生きていくために、今は苦しくても頑張らせるのだ、と。
本当にそうでしょうか?
そういう親自身は、幸せでしょうか?
幸せだとしたら、それは高学歴だったから?
幸せじゃないとしたら、それは偏差値が低かったから?
そうじゃないと、私は思います。
そもそも「幸せ」ってなんだろう?
子供にどんな人生を、生きてもらいたいだろうか?
そこに立ち返ると、「学歴崇拝」の呪縛から解放され、親も子もラクになるのではないかと考えます。
追い詰められる子供たち
まるで何かのお告げのように、胸が痛くなるような親子の話を、ここ1~2ヶ月の間に次々と聞きました。
守秘義務があるので、具体的なことは書けませんが、ある勉強会で参加者の女性が「息子に暴力を振るわれている」と言っていました。
子供の頃、母親からうけた仕打ちに対する仕返しだというのです。
その方は、言いました。
「たしかに、息子が子供の頃は厳しく勉強をさせてきました。
さぼろうとする息子に手を上げたこともあります。
私自身も、自分の親にそうされてきて、勉強は一生懸命やれば成績があがるのに、やろうとしない息子に腹が立った」と。
その後、息子さんがどこの学校に進み、どんな仕事に就いたかはわかりませんが、30歳になる息子さんとの親子関係は最悪だそうです。
また、私の友人に、高校生と中学生の息子、二人とも不登校になっている人がいます。
祖父が医師で地元の名士、父親が有名国立大学卒。
お子さんたちが小さい頃から教育熱心で、私立の小学校に受験して入ったものの、人間関係に悩み、学校に行きづらくなってしまいました。
長期休みに帰省するたびに、祖父母の家で人格否定、言葉の暴力を受け、お兄ちゃんの方は、ストレスによる激しい腹痛をたびたび起こし、ますます学校に行けなくなりました。
祖父の価値観を受け継いだ父親も、有名大学、有名企業やステイタスのある仕事以外価値なしという考え。
自分の息子たちを「失敗作」と言い、育児をしてきた母である私の友人を責めるそうです。
彼女は、子供たちを連れて家を出るために、自分で経済力をつけたいからと、50歳を過ぎた今、教員免許を取得しようとしています。
学歴偏重は、親だけのことではありません。
つくば市の異常な高校事情のことは、前回の記事に書きました。
市内の公立中学に通う息子の友人も、やはり市内に進学したい高校が見つからず、いろいろ考え、いっぱい調べて、県外の高校に進むプロジェクト「地域みらい留学」という選択をしました。
それを学校の面談で伝えたところ、先生たちから全否定されたというのです。
地域みらい留学に参画している高校は、田舎の過疎地で、生徒が減少している地域の高校ですから、データ上の偏差値や大学進学率は低いのです。
それでも、勉強は本人のやる気次第でどこでもできる時代です。
高校側では、公設塾も設置し、サポート体制も整えています。
それよりも、その土地でしかできない体験、地域の人との交流、何もない(豊かな自然と温かい人以外)から何かを生み出すチャレンジが面白そう!と思ったのです。
15歳の子が、いっぱい悩んで、現地も見に行って、親元を離れる不安と葛藤して、それでも勇気をもって決めたこと。
それに対して、中学校の先生が言ったこと、
「きみなら、もっと偏差値の高い高校に行けるのに、そんなところでいいの?他の高校にしたらいいよ。」
だったそうです。
話を聞いて、涙が出ました。
幸せな人生のために必要なこと
子供に、勉強をがんばって、偏差値の高い、いい高校、いい大学に行ってもらいたい・・・
その目的はなんでしょうか?
「いい会社」に入って、「いいお給料」がもらえるから?
そんな保証は、どこにもありません。
「いいお給料」は、本当に子供を幸せにしてくれますか?
一定の金額以上の収入は、どんなに上がっても幸福度はさほど変わらないという調査結果が出ています。
なにより、高収入だけど幸せそうじゃない人、世の中にいっぱいいます。
子供が有名大学に行っていたり、ステイタスのある仕事についていたりすると、親としては鼻が高いかもしれません。
気持ちはわかります。
「お子さん、優秀ですね~」「素晴らしいですね!」と言われれば、気持ちいいですよね。
でも、そんな親の見栄や自己顕示欲を満たすために、子供がいるわけじゃない。
私はやっぱり、子供がいくつになっても、生き生きと楽しそうに、自信を持って生きていってもらいたいと思うのです。
私の子育てには、確固たるゴールがあります。
「メシが食える大人に育てる」
長男が小学校一年生に上がる頃、出会った一冊の本。
学習塾の花まる学習会の代表、高濱正伸先生の著書でした。
たまたま花まる学習会の教室がつくばにあり、息子二人とも、小学1年生から6年生で卒業するまで通いました。
花まる学習会の理念は、
「メシが食える大人に育てる」。そして、「モテる大人に育てる」。
高濱先生は、「日本は、自立できない高学歴を量産してしまった」と嘆いています。
また、高学歴でも、自分の妻一人も幸せにできないようじゃダメだ、と。
先日、ある高校で高濱先生が講演したお話は、こんな内容だったそうです。
何に本当にワクワクするのか、自分の心を見つめ、ランキングや金額や偏差値といった外の枠組に流されず、心底やりたいことを見つけてほしいこと、幅の広い経験をしてほしいこと、感性を大事にしてほしいこと、日記を土台に哲学を構築してほしいこと、心の壁、障がいの人をどう理解すればよいか・・・
まさに、これから進路を選択し、人生を切り拓いていく子供たちに伝えたい大事なこと。
この指針に、息子が小さい頃に出会っていたことで、私の子育てはずいぶんラクになりました。
その後、「成功の技術」とよばれる原田メソッドに出会いました。
原田メソッドの理念は、「自立型人間の育成」です。
自立型人間とは、自分の人生・未来を切り拓く勇気と実行力のある人のこと。
まさに「メシが食える大人」のことではないでしょうか。
経済的、精神的、社会的自立を実現するために、心づくりや、人格形成、人間力を重視するところも、「モテる大人に育てる」に共通した考えです。
つくづく私は、こういうことに価値を感じるのだということがわかりました。
正解のない課題の海へ漕ぎ出す子供たちへ
昨年から私たちは、誰も経験したことのない事態の中で生きてきました。
正解もマニュアルもない中で、どうするかを判断しなければなりません。
偏差値で測れる勉強は、どんな難問でも正解があり、そこにたどり着ければOK。
しかし、そういう勉強しかしていない子は、正解のない課題や、「自由に」と言われると、フリーズしてしまう子もいます。
西洋占星術で言われる「土の時代」から「風の時代」に移ったことに象徴されるように、価値観が大きく変容しています。
未知の事態で、どう発想するか?
正解のない課題の中で、「最適解」を見つけるには?
「競争」ではなく、「協力」すること。
個人個人の長所、強味をかけ合わせ、より大きな成果を共に求める能力。
明るく、前向きに、挑戦できるメンタル。
共感力やコミュニケーション能力。
そういうものは、偏差値や学校名では測れないし、育成できません。
点数や偏差値は、しょせん他人軸の評価基準。
誰かが決めた一部の科目だけで、子供の才能や魅力を、正確にはかれるものでは到底ありません。
また、相対評価の成績では、中学で優等生だった子が、難関校に入ったら順位が下位になってしまい、自信をなくし、自分の存在意義を見失うという話も聞きます。
結局、外からの評価に一喜一憂しているうちは、幸せにはなれません。
「自己実現」という言葉があります。
これには二つに意味があり、「自己」がありのまま、自分らしくいることを「実現」できていること。
そして、「自己」が潜在的に持っている能力を、最大限に引きだし、花開くことが「実現」できること。
例えば、今大活躍の大谷翔平選手を、幼少期から野球を取り上げ、進学塾に通わせて、東大に入れ、医者になれ、弁護士になれ、一流企業に入れとゴリゴリ勉強させていたら・・・
今世界中を感動させているヒーローは、生まれていなかったかもしれません。
大谷翔平ほどではないにしても、私は息子には「自己実現」してもらいたいと思うのです。
実現したいものが見つかったときに、立ち向かう勉強こそが、本当に必要な勉強になるでしょう。
偏差値重視、学歴崇拝の教育は、その「自分が実現したいもの」を見つける感性に蓋をし、自信をうばい、チャレンジ精神を委縮させかねません。
大人が子供たちの「ドリームキラー」にならないよう、「子供の幸せとは?」「子育ての目的とは?」ということを、いま一度問い直してみませんか?
参考図書: