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親離れ・子離れを感じた日に、私が考えたこと
子どもも中学生ともなれば、「親離れ」「子離れ」を意識しないわけにはいきません。
頭ではわかっていても、ついつい今までの親子関係が続くような気がしてしまいます。
でも、ふとした瞬間に「あぁ、そうなんだ」と、頭ではなく、腹で感じることがあるもの。
今日もそんなことがありました。
なんでもないことだけど、そこから気づくこともあります。
気づいて、受け入れ、そして前に進む。
今日の私は、そんな感じでした。
親離れ・子離れを感じたできごと
中三、受験生の長男。
今日は、塾の冬期講習の一環「カンヅメ特訓」で、朝9時から夜9時まで塾で勉強です。
食事はどうするの?と聞いたら、お弁当を持ってきてもいいし、近くのコンビニに買いに行ってもいい、とのこと。
「お弁当、作ろうか?」と聞いたら、「いや、コンビニ行くからいい」と。
「温かいの、届けてもいいよ」というのも、拒否されました。
まぁ、そうでしょうね。
思春期男子、母親の作った弁当より、友だちとコンビニに買いに行くのが楽しいのでしょう。
母親が届けるというのも、「勘弁して」と思うのも無理はないこと。
でも、ふと気がつきました。
「こういうこと、あまりなかった」
部活の大会や遠征では、買いに出ることもできないので、当然お弁当を持たせていました。
お弁当だけでなく、合間に栄養補給できるよう、補食のおにぎりを作り、カロリーメイト、ゼリー飲料なども買いそろえていたのです。
小学5年生の頃から、コロナが始まるまで、かなり試合の多い生活でした。
そんなに手の込んだものは作っていませんでしたし、買って届けることも少なくなかったのですが、常に息子の食べる物のことを考えていたのです。
スポーツ男子は、厳しい練習や、試合の緊張を乗り越えているわりに、忙しい分いろいろと母任せ、母子密着の甘えた部分があったりします。
私も、長男と過ごしてきた時間は濃密でした。
だから、「もう、それをやらなくてもよくなったんだ・・・」と妙にしみじみと感じてしまいました。
(まぁ、高校に入れば、またお弁当作りが続くのでしょうが・・・笑)
受け入れるために起きたシンクロ
少し寂しいような、ラクになったような、複雑な気持ちを抱え、息子を塾に送りました。
車から降りるとき、「いってらっしゃい。がんばって!」という母の言葉もスルー。
無言で車を離れ、塾の入り口に向かう息子を少し見送って、車を出しました。
その時、ラジオから流れてきた音楽。
大昔、それこそ私が息子ぐらいの歳の頃に聞いていた懐かしいメロディー。
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
ビリー・ジョエルの、邦題「さよならハリウッド」という曲です。
歌詞の中の「my baby」は、恋人とかなのでしょうが、私の今のこのシチュエーション。
なんだか、あぁ~と思いながら「Say goodbye my baby~」と口ずさんでしまいました。
もちろん、息子を見捨てるわけではなく、今までどおりの家族の生活を、もうしばらく続けるのですが、彼はもう「Baby じゃない」ということが、スッと腹落ちした瞬間でした。
そして前に進む
この日は、隣駅にある大型ショッピングセンターに行く用事がありました。
息子を塾に送り、ショッピングセンターが開店するまでの時間、途中にあるカフェに立ち寄り、読書をしながら時間調整。
文章の専門家、山口拓朗さんの新刊で、12月25日に発売になったばかりの本です。
私は拙いながら、ブログやこのnoteを書いていますので、時々文章術やライティングの本を手に取ります。
この本も、Amazonに予約をしていて、数日前に届いたばかり。
「ライティングスキルを磨いて、読まれるブログにしたい」
「上手な文章が、スイスイ書けるようになりたい」
そんな思いで読み始めたのですが、第一章から今の私にグサグサ刺さるメッセージが!
この本のテーマは、「『らしさ』を発信して 人生を動かす」です。
第一章では、まだ文章の書き方については、一言も言及されていません。
ただひたすら、私たちは誰しも唯一無二の存在であり、「らしさ」にこそ価値があると訴えています。
そして、そのユニークな自分「らしさ」を発信しよう!と。
自分の「思いこみ」を外し、「自分の価値を他人に決めさせない」「人生の舵を人に取らせない」という内容に、ふと自分を振り返ります。
息子の出来、不出来を、どこか自分の責任や成果と思ってなかっただろうか・・・?
自分がなんとなく満たされていない、自信が持てないのは、「子育て中だから、仕方ない」と思っていないだろうか・・・?
「自分の『好き』にフタをしない」「『好奇心』を取り戻す」というところでは、自分は結構好きなことはやってきたつもりでいたけれど、それは本当に純粋に自分の好きなことだったか?と考えました。
「息子たちにおしえたい、見せたい、体験させたい」という思いが根底にあったことは、否定できません。
もちろん、人は人との関わりや出来事に影響されて生きています。
子どもへの思いが深いのも、ある意味私の「らしさ」のひとつではあります。
そこを認めつつ、子どもを信じて手を放す時が来たのだと、気がつきました。
本書の中で、「自分らしさ」のレベル高く、充実感、満足感を持って生きている人について、このように書かれています。
自分で自分の心に火を灯すことができるほか、その火を惜しみなく周りの人に分け与えることもできます。
私は、このステージに進みたいのだということが、すんなりと腹落ちしました。
前回の記事に書いたように、「子どもが親の思いどおりにならない」ときに行き着いた答えと、方向性は一緒です。
もう、子どもに手出し、口出しをするのではなく、自分が輝くことで、家族を含めた周りの人たちを温められるような生き方をしよう。
時期はちょうど今年の終わりを迎えています。
来る2022年は、新しい私を始動する年になりそうです。