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【第一話】保育士になったことで自分の人生が失敗なんだと感じた今日

皆さんこんにちは。残念なアラサー男性保育士のらいぞうです
唐突にnoteを始めてみました。特に意味はないけど、らいぞうが生きていた証を何かに綴っておきたいそんな気持ちで始めました。

ご興味があればぜひ、覗いてみてください。

当時、子どもが好きなこともあり、高校卒業後は保育士養成校の短大へ入学する。

ここで一つ、この話をすると世の男性の大半が羨ましがる話をしよう。

私が通っていた短大は、定員が65名である。そのうち60名が女子残りの5名が男子という構図だ。これを聞いた世の男性諸君は、保育士養成校に進学すること間違いなし、、

そんな環境で2年間、保育について学び、時には数カ月実習に行き晴れて卒業を迎えることができました。

社会人最初のお仕事は、「児童養護施設」での保育士でした。
文字通り、児童を養護する施設なので幼稚園や保育園とは全く別物の施設です。

ご家庭の都合(虐待、経済的困窮etc…)でお家で暮らせない子どもたちを親代わりになって退所するまで育てていくというお仕事です。

私自身も片親だったりして、そういった子どもの助けになりたいという想いもあり、就活の時は「児童相談所」だったり「児童養護施設」等、そういう場所で働きたいと思ってました。

給与面も普通の保育士よりも若干待遇は良く、ボーナスも1年目から70万円ほどもらえるところでした。

ただ、、残業が多いし、帰宅するのがいつも0時を回るか回らないか、出勤も6時代なのでそれなりに体力と根性がないと厳しい世界だと思います。
(私は、3年ほど頑張りました。)

昔と今だと少しは働く環境も変化しているかもしれませんね。

児童養護施設を3年間勤めて、退職し次の職場は某株式会社が運営していた院内保育所。

ここで働くことが一つ私の中で大きな機転となります。

1年目は、フリー保育士ということで子どもたちと走り回る毎日でした。

2年目は、まさかの園長先生に!
これもきっと株式会社あるあるなんでしょうね。今ももちろん当時も保育士不足はずっと続いているような世の中だったので、まともそうなやつは直ぐに出世できるような会社でした。
(私は、自分で言うのもあれだが表面は良いほうだと思います。しかし、裏はとてつもない邪悪と闇を抱えているので切り替えにいつも疲れます。)

3年目は、さらに本部のSV(スーパーバイザー)に昇進し、それを機に地元の田舎から東京に引っ越すこととなります。

というところで第一話を一旦終わりにします。


めでたしめでたし

#保育士 #男性保育士 #保育学生 #保育園 #幼稚園


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