「坂元裕二」
きっとこの人はとてつもなく変態だ。
この方の作品には、たくさんのファンがいる。だが、知らない人のために
「東京ラブストーリー」「ラストクリスマス」「西遊記」「猟奇的な彼女」「Mother」「それでも、生きてゆく」「最高の離婚」「Woman」「問題のあるレストラン」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」と数々の高視聴率を記録したドラマの脚本を務め
「世界の中心で愛を叫ぶ」「花束みたいな恋をした」などでは映画の脚本、監督を務めた。
個人的な話になるが、ドラマでは「ラストクリスマス」「Mother」「最高の離婚」「カルテット」「Woman」「問題のあるレストラン」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」控えめにお気に入りを絞ってもこれだけある。
映画に関しては、「世界の中心で愛を叫ぶ」「花束みたいな恋をした」どちらも良かった。
どのドラマも高視聴率を記録し、一度は名前は聞いたことがある作品が何本もあるのではないだろうか。映画に関しては、「世界の中心で愛を叫ぶ」「花束みたいな恋をした」どちらも超ヒット作になった。
なぜ、そこまでヒットしたのだろうか?
他の恋愛映画やドラマと何が違うのだろうか?
家森「今、君たち、なんで唐揚げにレモンしたの?」
すずめ「なんで?唐揚げはレモン。。」
家森「人それぞれ。」
すずめ「ん??」
家森「人それぞれ。」
すずめ「ここに、レモン。。」
家森「それは、個々にさ、自分たちの皿に取り分けた後に、個々にかけるために置いたんじゃないか。」
すずめ「じゃないか(笑)」
家森「唐揚げにはレモンするよって人と、レモンなんかしないよ、するわけないでしょって人がいるじゃないか。」
別府「かけた方が美味しいですよ。」
家森「まずカリカリ度が減るよね。」
別府「かけた方が健康にいいですし。」
家森「唐揚げ食べるって時点で、健康のことは一旦脇に置いてあるじゃないか。」
すずめ「かけた方が美味しいじゃないか。」
家森「違う、違う、違うよ。僕が言いたいのは、」
すずめ「レモンぐらいで怒らなくていいじゃないか。」
別府「今後気を付けますから、レモンぐらいで。」
真紀「レモンぐらいってこと、、、」
みんな「え?」
真紀「あ、いえ。」
家森「真紀さん、今なんて?」
真紀「レモンぐらいってことはないと思うんですが。。」
家森「真紀さん、レモンしない派ですか?」
真紀「する、しないというより、ごめんなさい。今大事なのはそこじゃないと思うんですけど。」
別府「なんですか?」
真紀「どうして、かける前に聞かなかったんですか?」
家森「それ!そのこと!唐揚げにレモンかけたい人がいるのは当然です。ダメって言ってるわけじゃないよ。」
真紀「レモンかけますか?なぜその一言がなかったのかと家森さんは。」
家森「そのこと!
別府くん、唐揚げは洗える?」
別府「洗えません。」
家森「レモンするってことはさ、不可逆なんだよ。」
別府「不可逆?」
家森「二度と元には戻れないの。」
別府「すいません。かけますか?って聞けば良かったんですね。
、、違うんですか?」
家森「レモンするかどうか聞くっていう文化にはさ、」
すずめ「文化。。。」
家森「2つの流派があって。」
別府「流派。。。」
家森「わかりますよね?」
真紀「わかります。」
家森「君たち、レモンかける時、聞くとしたらなんて聞く?」
別府「レモンかけますか?」
家森「あ、はい。
、、、こうなるでしょ?
「レモンかけますか?」→「あ、はい。」
かけるの当たり前みたいな空気生まれて、全然大丈夫じゃないのに、あ、大丈夫っす。ってなるでしょ?
これ、脅迫ですよ??こっち防戦一方です。」
別府「どう言えばいいんですか?」
真紀「レモン、ありますね。」
家森「レモン、ありますよ。
こう言うの。」
すずめ「ちょっと意味がわからないじゃないか。(笑)」
家森「キミ、僕のことバカにしてる?」
すずめ「バカになんかしてないじゃないか。(笑)」
家森「なんか、ヴィオリストは器が小さいみたいな、、」
真紀「家森さん、お気持ちはわかりますが、唐揚げを見て下さい。冷え始めています。」
家森「ごめんなさい、失礼しました、食べましょう。」
みんな「いただきます。」
※実際のシーンをモノマネしたものです。
これはドラマ「カルテット」のワンシーンです。まるで東京03のコントみたいな喜劇、しかもこのから揚げレモン論争は最後の最後まで擦る。
こんななんでもないようなシーンを長く回したり、またこの4人を演じるのが、「満島ひかり」「松たか子」「松田龍平」「高橋一生」という贅沢さ。そして独特な掛け合い。この4人をキャスティングした理由は“目の芝居に幅がある”という点らしい。
他の作品達も、上記のような掛け合いや、他のドラマや映画にはないセリフで構成された脚本ばかりだ。
また出てくる登場人物も独特だ。
「大豆田とわ子と三人の元夫」ではバツ3の女社長にスポットライトを当てた。「坂元裕二」の作品では“社会不適合”と呼ばれる様な変わったキャラクターが多い。
きっと「坂元裕二」は人間が愛おしくてたまらないんじゃないだろうか。そしたらこの特徴的な設定や台詞、キャスティングも全部納得がいく。それとももしくは、嘲笑っているのだろうか。
何かの記事で読んだ話だが、ある女の子のインスタグラムをしばらくの間追い続けた、そしてそれをもとに作品を作った。やってることはストーカーとなんら変わりない笑
そして追い続けた結果、そこに登場した固有名詞達を散りばめ、多くの人に懐かしさや共感を生み出した。それが「花束みたいな恋をした」である。
ちなみにこの映画は、菅田将暉を主演で起用することを前提に考えられたらしい。そこも「坂元裕二」らしい。
人間の良い部分、悪い部分どちらも愛してやまない。そしてあえて悪い部分にフォーカスして作品を作ること。もちろん良い部分も表されているが、そこを熟知している様に感じる。
「花束みたいな恋をした」ではまるで自分のことの様に感じた人が多くいたのではないだろうか、「坂元裕二」本人が雑誌のインタビューで、自分とは全くの関係がないというような話をしていた、出てくる固有名詞も知っているけど好きなわけではない、むしろ興味のないものもあったらしい。
要するに、「坂元裕二」は変態である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?