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寝台特急とカメラの出雲東京旅-vol.3

今回は出雲東京旅の第3弾の最終回。前回はサンライズ出雲号に乗車し、明石のあたりで寝ることにした。

まだ前回の記事を読まれていない方はこちらからどうぞ。


目が覚めると列車は沼津駅に停車していた。振動がないため、不思議に思い目が覚めた。ダイヤ通りだと熱海を過ぎてていいはずだが、列車は動き出さない。

揺れもなく歩きやすいので、少し離れた車両にある自販機に缶コーヒーを買いに行く。

乗車前に買っておいたパンを取り出し、缶コーヒーのプルタブを引き上げる。コーヒーを一口飲んだらパンの袋を開ける。そうこうしていると、ようやく列車は動き始め、伊豆山地を貫くように敷かれたレールへ入っていく。徐々に線路は標高を上げていき、小さなトンネルが連続するようになると最後は丹那トンネル。真っ暗なトンネルが長く続き、これを抜けると熱海駅。

沼津の辺りで降っていた雨は止み、まだ朝日の余韻を残した青空が広がっていた。ここからは夜の間は中止していた案内放送が再開され、諸々の情報が伝えられる。列車が遅れているのはどうやら前を走る普通列車の窓が割れてしまい、その処理に時間を要したようだった。

ここからは列車の速度も速くなり、相模湾の沿岸を少しずつ標高を下げながら進んでいく。

1時間ほどすると三浦半島の付け根を横切り、東京は目前まで迫っていた。湾曲した窓から空を見れば雲一つなく、強力な光が差し込んでくる。

最後の途中駅である横浜に止まり、動き出したら乗車時間は残り30分。名残惜しいが終着駅はすぐである。横には大量のレールが並び、首都圏の交通網の複雑さを物語っている。


東京到着。新幹線の乗り換えに利用したことはあるが、駅から出るのは今回が初めて。

昨日に引き続いて東京でもリュックはロッカーに入れておいて、小さなカバンだけで出かける。


駅を飛び出したら取り敢えず皇居へ。行幸通をまっすぐ西へ向かう。外堀で撮られたフィルムの写真をよく見るので一度は行ってみたかった。

大阪にも市内の中心部に大阪城があって同じように濠があるので、皇居の濠も同じイメージだったが、大阪城とは違いかなり浅いようだった。大阪城の濠はかなり水深がありそうで、深い青色をしているのだが、皇居の濠は水草が繁茂しており、すぐに底になっているようだった。

外堀を見たらすでに暑いので駅に戻る。


帰りはせめて日差しがなければ楽だろうと地下道を選択した。日差しがない分マシではあるのだが、空調は効いていないようで蒸し暑かった。


東京駅のホームに戻り、今度は上野駅へ。緑の電子レンジくんの走る山手線に乗車して5駅目。休日の首都圏の電車は本数も多く空いていて助かる。


上野駅に到着。上野に目的がある訳ではなく、上野駅を見てみたかった。


2段重ねの地平ホーム。関西にはこのような駅はなく、一度は見てみたかった。


地平ホームからそのまま改札を出て正面玄関口へ。



上野駅の駅舎は戦前から姿を変えることなく、そのままを保っている。さらに旧満州鉄道の起点駅である大連駅にもほとんど同じ駅舎があり、近代の歴史の名残を現代に伝える。上野駅と同様に東京駅にも兄弟というべき駅舎が満州に存在しており、この2つの駅は東京に行ったら必ず行きたかった場所だ。

これでノルマは達成したので、再び緑の電子レンジくんに乗って東京駅に戻る。東京に住む友人との待ち合わせ場所になっているのだ。


東京駅に戻り、誰も遅れることなく集合できたので新宿に向かう。新宿に用事はないのだが、友人が都庁に行こうと言ったので従うことに。彼曰く、都庁は東京都が誇る涼しい無料観光スポットらしい。

中央線に乗車し少し行くと到着。駅から都庁を見ると遠く見えるので「暑いやんけ」と文句を言いながら進む。20分ほど歩き、都庁に到着。予想外にも手荷物検査があり、これを済ませてエレベータに乗る。凄いスピードで上昇しすぐに最上階に到達した。


YouTubeで見慣れた黄色いブツブツ模様のピアノが据えられ、窓から大小様々なコンクリートのタケノコがニョキニョキと生えている様子が観察された。

都庁からの景色を一通り楽しんだら、新宿駅の方に戻り、レストランを探す。

少し歩くとイタリアンのレストランが見つかり、入ることにした。友人たちと話をしながら食べていると非常に楽しく、徐々に声も大きくなってくる。関西に比べて人々の声の大きさはだいぶ小さいらしく、私の声の大きさにびっくりしてしまった。それからは反省して音量を保つように心がけた。


しばらくして食べ終わり、外に出る。もう少し座って話していたい気分だったし、暑いので星乃珈琲に入ることにした。今回のメンバーは3人で、私ともう一人はミルクとシュガーは不要であると伝えたのだが、もう一人は断らなかったので、それぞれ運ばれてきた。どうやら彼はミルクや砂糖はピッチャーに入って来て量を調整可能であると思っていたが、実際にはプチッと蓋を折るタイプの容器に入ってきたので全部入れることに。

「おこちゃまやな」と茶化してやると「知らんかったし!」と反論された。彼らとは5年くらい会っていなかったので、久しぶりの会話を楽しみ、ある程度時間が経ったので退店。


再び灼熱の新宿を歩く。行くところも特にないので、あっちへふらふら、こっちへフラフラと街を彷徨う。そう言えば新宿のヨドバシに行ってみたいなと思い、案内してもらうことに。

SNSでよく見かけるヨドバシのネオン。新宿が根拠地ということもあり、フィルム・暗室関係の品揃えも充実していた。梅田のマルチメディア館にも暗室関係はさほど置かれておらず、薬品類、用品類の品の多さには脱帽だった。カメラ関係と言えば、北村写真機店も発見したので、冷やかすことに。今回の旅行ですでにカラッケツであるので何も買えない。

新宿を歩いて思うのは強化版の難波(ミナミ)ということ。新宿の雰囲気はどこか抜けきらないあの難波の雰囲気に近く、あれをさらに大きくしたような感覚であった。

しばらくして新宿駅に戻り、中央線を使って東京駅に戻る。友人の一人が日本橋でも行こうというので、そのまま付いていくことに。


日本橋と言えば、東海道。現在でも国道1号などの国の幹線たる道路の起点となっており、道路整備の歴史にとっても非常に重要な場所である。国道1号の起点である橋の日本橋には道路元標が設置されており、起点であることが明示されている。道路の中央に埋め込まれている現物を撮るわけにはいかないので、レプリカを撮影。


地元の大阪では国道1号の終点にある大阪市道路元標が梅田新道にあってこれはよく見ているのだが、対になって紹介される日本橋の道路元標を見れたことは非常にうれしかった。


これで一旦駅へ戻ったものの帰りの電車まで少し時間があるので、KITTEに入っている博物館を見学することにした。動物の骨格標本から古くて大きな地球儀から鉱石の標本まで多種多様な物が展示されていた。しかも、入場料は不要である。首都圏の人口の多さはこのようなことまで可能になっているとは、衝撃的だった。


今回見させていただいた展示の中で一番のお気に入りは帆船の模型。もともと船が好きなのだが、帆船となるとそのロマンはより一層である。


しばらく見学し,列車の時間が近づいてきたので,友人と別れ駅に向かう。出雲から同行していた友人とは東京では別行動であったので再び合流し空港へ向かう。


空港へは浜松町で東京モノレールの快速に乗り換え,羽田空港へ向かう。羽田からは全日空の飛行機を利用し,伊丹へ向かう。羽田と伊丹はどちらとも元々あった空港で昔ながらの経路で大阪へ戻ることにした。



保安検査を通過し,お土産を購入して出発の時間まで時間を潰し,案内の順番を待って搭乗する。遅れなく飛行機は離陸し,横浜の夜景を右手前方に眺めながら太平洋岸を飛行してまっすぐ西へ向かう。1時間程度すれば伊丹に到着した。


いつもは伊丹から梅田までリムジンバスを利用しているのだが、最終が行ってしまっていたので、大阪モノレールと阪急電車を使って梅田へ帰る。梅田の街も日本屈指の街と言っても過言ではないが、やはり住み慣れた大阪の街であるので、安心する。それに東京とは違って人の流れがはっきりしているので人とぶつかりにくくて歩きやすい。

梅田からはもと来たように地下鉄の御堂筋線に乗って自宅へ戻る。今回の旅はかなりあれこれ詰め込んだカオスな旅であったが、無事に全ての旅程をこなせ、満足度の高い旅行であった。集団での旅行とは違って、ルートを強制されないし、観光バスではなく地元の交通手段を利用するのもツアーを使わない理由である。

これで今回の旅行のお話は終わり。全3回に渡ってのレポートであったが、通しで読んでいただいた方がいらっしゃれば非常に嬉しく思う。次回にまとめや感想を書くかは未定であるが、ちょっとした文章にまとめればいいなと感じている。

それでは今週はここまで。今週も皆様にとって良き週末となりますように。

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