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『檸檬』著・梶井基次郎を電車の中でちょうど読み切ったんです。変化する読書【No.7】

 『檸檬』は高校時代に教科書で読んだのが初めて。
今回はおそらく二回目。本は持ってたんですが、それを開くのは初めてでした。

学生時代の国語の授業は苦手だった

 私は学生時代から、どうやっても同じところにたどり着く物事より、明確に答えのないものの方に魅力を感じました。
 だから、私の脳みそは完全に文系でふわふわしていて、数字は苦手だし、必ずそれでなきゃダメって、私には性に合わない。

 高校2年生の時、古文の先生がこんな話をされました。皆さんも似たような話を聞いたことがあるかも。

「とある男性が、ある時病にかかり、山の上にある病院へ入院することになりました。彼の病室は1階の部屋。しかし、1階というのは、看護婦の談笑や癇癪を起こした老人の声がうるさく、それに彼は病院から提供される食事以外にこっそりと甘いものを食べていましたが、先生の目がすぐに届いて、ともかく、彼にとって居心地の悪いものでした。

 しかし、ある日、看護婦が彼にこう告げます。『病室が足りなくて、2階の病室へ移動をお願いします』と。どうして新しい患者を2階へ案内しないのか、彼は不思議に思いましたが、この1階より居心地が良いかもしれない、と快く受け入れました。
 彼の予想通り、2階は看護婦の声も遠く、うるさく叫び回る我儘な老人もいない。甘いものも、以前より、美味しく頂けます。ただ、窓にぶつかる木の枝が毎晩、コツ、コツ、と。どうにも彼には不気味な音に聞こえます。

 『3階の病室へ、移動をお願いします』看護婦は彼に告げます。また移動か、と彼は看護婦に尋ねました。『どうして新たに来た患者を、3階へ入れないんです?』看護婦は言います、『規則なので』と笑みを見せながら。
 3階はさらに快適に思えました。静寂の中、時間はゆっくりと流れてゆきます。しかし、最近、体調が芳しくない。常に微熱があるようだし、咳も以前より酷くなった気がする……、今度、担当医に相談してみよう。彼は胸をおさえて、眠りに着きます。

 翌日の朝、彼は目覚めると、喉が詰まったような感覚、息ができない!じわっと滲んだ冷や汗に思わず看護婦を呼びます。彼の様子に看護婦は医者を呼び、男性は自身の最近の不調を全て伝えました。『分かりました、改めて検査して、それからどうするか考えます』医者は冷たく答え、男性はその冷ややかな態度にさらに不安を募らせました。

 『薬を打ちますから、辛さは無くなりますよ。4階へ、移動しましょう』
 男性は言われるがままに、4階へ。最上階でした。薬を投与してもらい、心も落ち着きを取り戻しました。静かで見晴らしのいい景色、一人で使える広い部屋。快適だ。
 男性はベッドに沈むように横たわり、優しい照明を浴びながら、窓の外を眺めます。
 秋晴れの空が、随分近いなあ。」

17歳の時に聞いた、古文の先生の「意味がわかると怖い話」

 皆さんも一度は聞いたことがあるような話ですよね。
当時、教室でその話を聞き終わった時、周囲のクラスメイトは「なんじゃそりゃ」という感想が大半でした。「結局のところ何が言いたいの」と誰かが尋ねたとき、「ああ、台無し」と思いました。
 「全く、起承転結や物事の揃い切ったお話にしか関心を示さないのね、みんな、分かってないんだから」と、偉いそぶっていました。お恥ずかしい過去。

 上から目線な態度は改められたと思っていますが、不足されたようなお話が好みなのは、全くもって健在。

高校時代の国語の先生曰く

 『檸檬』も高校2年生で授業に登場しました。
先生が教室を歩きながら、文章を音読してくれていた気がする。

 読み切って現代文の先生は一言、「この人はちょっと日本語の使い方がおかしい」と。

 もう!あなたがそういうと、それが正解になるからやめて!と心で叫んでました。
面白半分に言ったことなんでしょうけどね。笑

 今回、久方ぶりに『檸檬』を読んで。
これぞ、自身のための文章だ!と感じます。まだ偉そうな私です。

 稚拙ですが、私も文章を書くようになっていつも感じるのは、自分の文章は不足が多いのです。
 書かないと伝わらないけど、書くと風情がないような、色気がなくなるような、趣がないような。でも伝わらない。上手く書けない。ああ。

 『檸檬』も不足のある文章といえば、そう。しかしよ。
 どうして、こんなに心のままに書いたような文章で、ちゃんと読み手に情景が伝わって、人物の心の表裏もわかってしまうのか……。しかるべき、不足。

 しかるべき不足があってこそ、矛盾のないものはそれは自分のための文章だろう。と電車に揺られながら考えました。

 いつか私も、心地よい不足を言葉にできる人間になれるでしょうか。なりたい。

昔読んだ本を、今、読み返してみる

 当たり前ですけど、6年も経てば考え方も変化するでしょうし、価値観も変わります。
 本って、自身の考えの変わりようを勝手に記録してくれるから、私は読んだ本はずっと手元に置いておくタイプです。

 今読んでいる本も、時間が経てば変わった読み方ができるのかなあ、とちょっとだけ老いぼれることに希望を見出しています。

 ではまた。おやすみなさい。

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