【26日目】赤ちゃん服と対峙 子供部屋2ラウンド目?
今日のお片付けnoteのネタは2本だてです。
①赤ちゃん服と対峙
②子供部屋2ラウンド目
②の子供部屋2ラウンド目から書きます(すみません)
下の子どもが、友達と公園で遊ぶ約束をしていたんだけれども、
雨が降りそうだからもしかしたら家にあげるかもしれないってことを
万が一の可能性として話だしたから、
じゃあそれを機に片付けよう!となって
自主的にお片付けをしてくれたって話が今日の午前中。素晴らしい。
床が少し広くなって、上の子がゴロゴロしている。
今までだったら汚部屋すぎて床が見えなかったからできなかった。
本当は上の子も少しは片付けてくれるといいんだけれども。
とりあえずよかった。
でも片付けは終了していないのでお友達もあげられないのよ、、、😥
では、①の赤ちゃん服と対峙の話。
わたし元々AC(アダルトチルドレン)出身だから、
っていうのは理由とかというより原因という意味で使いたいんだけど、
親に頼れず(死んでるから)出産して育ててってことをずっとやってきて
子どもが新生児の頃もすごい気ぃ張ってたんだなとか(手帳をみた)
夫の実家があんたたちなにそれってくらいやらかしまくってたから
夫が実家気になっちゃって赤ちゃんとママどころじゃない日々だったんだね
それでわたし赤ちゃん育てるの自信もなかったんだけど
育てなきゃいけないから
ものに執着するとか執着するなとかいうけど
執着するって行為にも今を生きるために必要な行為なんじゃないかって
今では思う。
でも自分の状態に気がついていないと
無駄な執着、粘着?とか発動させる人になるのかも?
わたしにとってはお金や物に執着してたんだなってわかった。
夫には執着してない(笑)執着しようがないの。
夫に執着できない分、物やお金に執着して捨てられなかったんだなって。
子供には、子供に執着するというか
子供に与えるものに執着していたのかもしれない。
早期教育の教材買い漁ってみたりしたので。
新生児時代の服を見つけて、そんなふうに感じました。
新生児時代の服だから、今は3着くらいとっておいて眺めても
良いかなって、そのスペースと行為を自分に許そうと思いました。
だって頑張ったもん、わたし。
ズーーーーーーーーーーっと大黒柱よん。そんで
旦那もいるのに頼れないってね。(なんなんだよ、だよ)
あ、でも旦那にも執着したか。
父親は要るって執着してるかも。
今回は、感情の部分がだいぶ出てきました。
お片付け的には、
単に「保留ボックス」とかさらに「ときめく・ときめかない」とかのやり方より
もう一歩突っ込んだ感情を見つめて仲直りをするってことをしないと
モヤモヤ抱え込んだままの捨て活になるんだろうなってことに
気がつきました。
ときめく・ときめかない では、感情に聞いて見てるんでしょうが
AC出身のわたしがそれをやろうとすると
ときめく って何? という話になってしまうのですよ。
それで、今回気づいたのが、
赤ちゃん服を通じて、
「物って何?」ということを考えるきっかけになったわけで
そこからAC時代のこと少し、それにまつわる執着とか
物とお金に執着していたことに気づいたわけです。
これ多分、「執着した地点」に意識を戻して考えないと、
ただ、 執着してるナァ って現在地だけで考えるだけだと
全然気づきの「ハッ」と感が違うんですよ。。。
わたしは、新生児赤ちゃん服を手にして、
「執着してた!してる!」って気づくとともに
おぞましい執着感と、
対局にある
新生児の幸せ感と、
混在する時間を過去に戻って味わって、気づいて帰ってくる、ってことを
やったのだと思います。というか意識した。
そうしたところ、なんかスッキリしました。
これからのお片付けもうまくいきそうです。
これだけの個人的なお話、最後までお読みいただいて
本当にありがとうございました!!!
よかったらスキ して行ってください!!!
明日もまたnoteしにきますね。
またお会いしましょう。
月戸