#なぜ私は書くことができているのか #天国のお母さん

#なぜ私は書くことができているのか #天国のお母さん
不思議なタイトルである。
私にとって、「書かなければならない」となぜか思ったその瞬間であった。
そこは、母危篤の知らせが入った個室の病室で、

私たち家族は一晩明かす予定だった。

個室に母を含めた家族5人が寝るというのは相当狭く、一人は椅子、一人は床、一人は母のベッド下、ここが私の寝床だった。25年以上前の、20歳になる前の話。父は部屋にいられない、と言って、廊下で過ごした。

その予定は夜が明けず終えた。

しかし自分にとって不思議だったのは、その母のベットの床下体験の最中、
なぜか
「これから起こる体験をきちんと書かなくてはならない」といった、
強い思いに駆られたのだった。
あれはなんだったのだろう、日記すらろくに書いたことがなかったのに。
それからしばらくの間、私は母や家族に関することについてひたすら書いていた。
それなのに、当時付き合っていた大好きだった人との
出来事は避けるようにして何も書いていなかったのだった。

ご臨終を迎えようとする(とは私は思わずに)母の下で湧き上がった思い。
「これから起こることを書かなければならない」は一体何だったのだろう?

人の一生はまるできっと、素晴らしい小説なのだろう。
40代半ばだった母を見送ったが、その20年ほど後に祖母を看取った日も
二人の命日は同じとなった。
そして
お経をあげに来たお坊さんと、そのお母様の誕生日もまた、
母と祖母の命日と同じ日だったと知ってびっくりしたが、なんなんだろう。

そう言った思いを、ネットや自分のノートなどのあちらこちらに書き散らかしては、
まとまりのつかない人生を送っているのが今の私ではなかったか。

なぜ私は書くことができているか
母の下で最期に寝た日、あの時がなかったら
私はいろいろなことを、
どのノートにも紙切れにも書いておらず
頭の中だけでぐるぐると考えていたかもしれない。

危篤の人のいるベット下という奇特な場所で過ごすことを選んだ数時間。

母と祖母の新たな、そしてお坊さんたちの誕生日が一緒で
それぞれの人の運命手帳に書かれていた日にちがそれだったのだとしたら。

私もきっと母の死を堺にして、
【書くということを意識して生きる】人生が決まっていたんじゃないかなと思う。

今のところ、書いたことは、なんの形にも、なってはいない、けれども。

運命手帳に書かれていることが何であるのかは、知らんけども、

書くことで毎日がちょっとだけ豊かになる、気持ちが落ち着く、
そんな自分のために、書かせてもらっている、
それが今の私 
なのです。


そして、
運命手帳には自分で書くもんだ、と
今の今、気付かされたのでした。

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