飛行機の旅と旅情
先週末のシンガポール旅行で「飛行機に乗る」事について考えた。コロナ禍で大打撃を受けた航空産業は多分立ち直りの途上にあるのだろうが、コロナ前もしくは20世紀スタイルの飛行機に乗るスタイルにはもう戻れないのかなと思った。
僕たちが70年代からこれまで体験してきた飛行機に乗る行為は、19世紀の客船旅行スタイルの延長にあった気がする。キャプテンがいて、豪華なおもてなしと食事やお酒の振る舞いがあって、特別な時間を演出する「体験重視」の産業だったのかなと思う。
今回の旅行でこの産業にはそんなおもてなしをしている余裕はもうないのかなと感じた。
サービスは極限まで削ぎ落とされ、兎に角乗ってくれればいいという感じだった。それならいっそ食事もおにぎりやサンドイッチでいいし、毛布とか枕もいらないし、アテンダントも最低限でいいし、通勤電車に乗るくらいの気楽さでいいんじゃないかと思った。それ以上を期待する人なんているのかと思った。
子供の頃は飛行機に乗るだけで正装に着替えたし、子供の頃には隣に座った年配の方に礼儀や食べ方を注意されたりもした。アガサクリスティーの小説に出てくるような古き良き旅情は今はなく、ジョータツヤのジェットストリームや飛行機の上でしか聞かない落語ももうなくなってしまったのだろう。
それでよしとするしかないんだと思う