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光の粒
私と恋人がこの暗い話を始めたのは、深夜3時だった。
ここはイギリスの小さな一軒家で、重度の鬱に悩まされていた私は、恋人と1ヶ月ほど療養を取るためにそこにいた。
イギリスはかなり日射量の少ない国で、いつもどんより曇っていた。
半月ほどいても1度も綺麗に晴れた空を見ることはなくて、それも私を何となく陰鬱な気持ちにさせた。
「れおちゃんは、その昔の恋人に酷いことをされたんだよ。」
彼が言った。
私は高校生の頃に、24歳の恋人と付き合っていて、激しいモラルハラスメントと洗脳を受けていた。
所謂グルーミングというものなのかもしれない。
その人と別れ、23歳になった今も、その人のかけた洗脳で創られた価値観に首を絞められて、苦しんでいた。
彼のしたことが良くないことなのだ、ということは何となく頭では理解できる。
でも実感がないのだ。酷いことをされた、という。
そして洗脳された価値観のせいで私は彼が悪いと思えなかった。
悪いのは出来損ないの私なのだ、本気でそう思っていた。
彼は昔の恋人の行動がどれだけ酷いことなのか、どうしてそれが良くないことなのか、一つ一つゆっくり説明してくれた。
悲しかった。
酷いことをされた、という事実ではなく、大好きな恋人が何時間もかけて説明してくれているのに、昔の恋人が悪い人間なのだ、と理解できないことが。
恋人は私を責めなかった。
洗脳をゆっくり解いていこう、お前は悪くないよ、という優しい言葉をかけて、また時間をかけて説明してくれる。
理屈をいくら話しても、私の脳はでも、だって、を繰り返してしまう。
彼が言う。
「れおちゃん、もし自分に娘ができて、同じことをされたらどう思う?」
私ははっとした。
そしてそれを想像して涙声で伝える。
「嫌だ。それは絶対にだめな気がする。上手く言えないけど、それは絶対に嫌だし、悲しい。」
少し暗い顔をしていた彼が途端に明るい顔になって笑い出した。
「それが分かるなら、あなたは絶対に大丈夫。
今は理屈が分からないだけで心ではちゃんと理解しているから。
やっぱりあなたは誰がなんと言おうと、俺が思った通りの純粋で明るい向日葵のような子だよ。」
誰も、私ですら気づいてない、奥底に隠れた私を彼が見つけてくれたことが嬉しくて、私はそれに救われる。
あぁ、私は彼のことが好きなんだなぁと改めて思う。
彼の選ぶ言葉は、不思議といつも私の心にいつもすっと入ってくる。
それは私の心の中にひっそりと留まり、必要な時に私に栄養をくれる。
彼の言葉は私のお守りみたいだ。
さっきまで纏っていた暗い空気はもうどこかに消えて、私たちはお互いの顔を見ながらにこにこする。
時刻はもう朝の6時に近かった。
窓の外を見に行った彼が、私を呼ぶ。
「れおちゃんおいで。外が綺麗に晴れてるよ!」
え、半月も晴れていなかったイギリスの空が?
私はびっくりして、急いで彼のいるキッチンの窓の方へ向かう。
カーテンを開けて外を覗くと、反射した陽射しが眩しかった。
「本当だ。晴れてる。イギリスって晴れるんだ。」
私が言うと、彼は笑顔で答える。
「本当にたまにしか晴れないんだよ。きっと今日晴れたことには意味があるね。」
彼が私に温かい紅茶を入れてくれて、私達は煙草を吸いに、庭へと出る。
部屋の薄暗さに慣れていた目に外は眩しくて、空はびっくりするくらいに水色だった。
細かい事や煩わしい事、そんなものがどうでも良くなってしまうくらいの快晴。
冬のイギリスは、晴れていても気温はかなり低いはずなのに、なんだか今日は寒くない。
「こういう時はね、景色はもちろん、自分の指先ですらすごく綺麗に見えるんだよ。光の粒が舞っているのも見えたりする。」
彼はいつも私に世界の正しい見方を教えてくれる。
雲ひとつない空から光が降り注いでいて、それが庭で金色に乱反射していた。
彼の言うとおり、確かに光の粒がちらちらと舞っていて、私はそれに触れられるんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。
私は何だか幸福で、これは希望という概念が形を持って舞っているのかもしれない、と思った。
幸せが、自分の内だけに留めておくには許容量を超えそうになり、私は思わず彼の背中にぴたりとくっつき、顔を埋める。
優しい彼のいつもの匂いと熱を持った体温。
そして、私は自分が絶対に大丈夫なんだ、と理屈ではなく心で理解する。
私の心は、正しいものが何かを知っていて、他人に何をされようと、どれだけ打ちのめされようと、そこに向かう。
それはどうにか生き伸びようとする生物の本能にも近かった。
大丈夫、まだ分からないことがあっても、傷ついた過去があっても、この先傷つく事があっても、私は生きていける。
だって今もちゃんと、私の心は正しい愛に反応してる。
彼が私に見せた光の粒は確かに希望だった。