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幸せになる為の粉を食べたら月が3つになった話



※全て空想上の物語です。



皿の上で透明な結晶達が集まってサラサラとした白い粉になっていた。

目の前の男はそれの一部をオブラートで包み、紅茶と一緒に私に手渡した。

男の言う通りに、オブラートを口に入れ、まだ湯気の立っている紅茶で無理やり流し込む。

熱い液体とオブラートが、喉から食道へ、そして胃へと落ちていく。

熱を持ち始めた体の中を、明確な意志を持っているみたいに血液が流れる。


これって一種の破滅願望みたいなものだなぁ、と私はぼんやり思っていた。



この目の前の男に会う為だけに、私は初めてパスポートを取り、日本からイギリスのマンチェスターまで12時間かけて飛行機を乗り継いできた。

全てに飽き飽きしていた私にとって、この鬱屈した場所から抜け出せるなら、他の事なんて全て取るに足らない小さな事だった。

だから会ったことのない男の為にふらっとイギリスにも行けるし、目の前の怪しい粉も飲めてしまう。

抜け出した先が、天国ではなく、地獄だったとしても構わないと本気で思っていた。

今いる場所以外なら、どこでも。



白い粉はMDMAの結晶らしかった。

オブラートが熔けてきたのか、胃が段々熱くなり、それが中心から末端へ、体の隅々まで広がる。

世界の色が急速に濃くなり、ドクドクと心臓が鳴り出すのが分かる。

曖昧だった輪郭は、1本の線に収束し、私はやっと世界を確かめられる。

私も彼も高揚して、頬は紅潮し、自然と表情が緩んだ。


大人になって行く内にいつの間にか無くしてしまった、宝石のようにキラキラした新鮮で大切な感情達を、私達は取り戻していた。



MDMAの作用による食いしばりで口内を傷つけないように、近くのガソリンスタンドでガムを買おう、と彼が提案した。

既にハイになっている私は二つ返事でその提案を受け入れる。

今、ガソリンスタンドまで散歩することは、素晴らしく素敵な提案のように思えた。


外に出ようと彼がドアを開ける。

視界に飛び込んできたのは、飲み込まれてしまいそうな夜の空と、異国の寂しそうなレンガ造りの住宅街。

12月のイギリスの夜は相当に寒く、部屋に流れ込んでくる外気が一気に身体の熱を奪う。

それでも私達の高揚は少しも冷めなかった。

私達は冬の寒さなんて気にも留めずに外の世界へと踏み出した。


深夜のマンチェスターの郊外では人も車もほぼ通らない。

誰もいない、音のない暗い大きな道路へと、私は走り出していく。

それを男がゆっくり追いかける。

大きく息を吸うと、冬の澄んだ透明な空気で肺が満たされる。
心地良くて、少しだけ痛い。

走ると、刺すような寒さと激しい動悸で、心臓が破れそうだったけど、今はそれも不快じゃなかった。

深呼吸をして、誰もいない道路で大きく手を広げ、くるくると周りながら、私は彼に向かって叫ぶ。


「今ここ、私達だけの場所だよ!」


しんとした冷たい道路に私だけの声が響く。

少し離れた所にいる彼は、道路で子供のようにはしゃぎ回る私を、しばらくの間、静かにただ見守っていた。


彼が私を呼び、私は彼の方へと駆け寄る。

彼はジョイントを咥え、冷えた両手で私の頬を包み、自分の方へ私の顔を引き寄せた。

そのまま手で密閉した空間を作り、煙を口移しで私に全て流し込む。

私は時間をかけて、その煙を自分の肺へと取り込んでいく。

ゆっくりと。少しも取り零さないように。

彼にキスされながら私は何だか泣きそうになった。

酸素が薄くて苦しいのに、視界の端に映る世界はあまりにきらきらしていたから。



「れおちゃん、月が綺麗だよ。空見てごらん。」

彼に促され、空を見上げると、白く浮かぶ三日月が3つになって見えた。

「うわ、すごいよ。三日月が3つある。」

私は感動して興奮気味に彼に伝えた。

「今、俺も月が3つに見えてるよ。」

どうしようもなく優しい彼の声に、私はまた泣きそうになる。

思わず彼の目を見ると、暗く静かな瞳の中で3つの三日月が揺れた気がした。

私達は、今、同じものを見ている。

ただそれだけのことが、こんなにも私の心を満たすなんて。



誰とどれだけ近くにいようと、全く同じものを見ることなんて不可能に近いんじゃないかな。

同じものを見ながら一緒に生きていける2人が、世界にはどれだけいるんだろう。


でも、今、この瞬間だけは。

縋るような気持ちで、もう一度彼を見ると、私を見ていた彼と目が合う。

彼が安心させるように優しく笑いかけるから、私も同じように彼ににっこりして見せた。

いつも私に付き纏うやるせない孤独感は、もうどこかに消えていた。


彼がガソリンスタンドでガムを買って私に手渡してくれる。

ガムをゆっくり噛むと、濃いベリーの味と人工的な甘さが脳みそにじゅわっと染みていく。

世界中の幸せを液体にして、煮詰めたらこんな味がするんだろうなって思った。


普段は頻繁に、れおちゃんは今幸せ?と私に聞く彼が、その日は一度も聞かなかった。

言葉を使って確かめるなんて、今の私達にとってはあまりにも無粋で、必要がなかった。

何も言わなくても、私達はお互いが満ち足りていることを、ちゃんと知っていた。



冬のイギリスの鋭く透明な空気。
誰もいない黒くて大きな道路。
幸せの原液みたいな味のガム。
白く光る、3つの三日月。
3つの月の下ではしゃぐ、子供みたいな私と彼。


あの時、それらはどれも完璧で、全てが私たち2人だけのものだった。

























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