2024年の小説と仕事のこと
本業で小さな講演会にお誘いいただくことが何度かあった。
もちろんローカルな会だが、十分でも五十分でも自分で話すとなると勉強しないわけにはいかず、となると昔の論文を読み続けたり、成書をめくったりして、「昔の人って、あの有名な先生って偉いんだな」と素直に感嘆した。今年の講演会は五回ほどで、これも上の学年と比べると大したことのない数だが、臨床の実力がそうあるわけでもない身に勉強の機会を与えていただけることは、ありがたい限りだった。
当院は患者数が多く、上司も臨床家としてちょっと有名らしい。指名をいただくのは上司のおこぼれの恩恵を受けているわけだが、決してエリート病院でもなく、仕事量に比して給与が安いせいで、医局でも不人気な施設だが、そういうところにも意外な面白味があるのだった。
一月中旬にヨーロッパ学会への演題提出があり、意欲は欠片もなかったが、上司が「ウィーンに行きたい」と突然演題を出すよう命じてきて、正月とクリスマス全返上で、診療記録を二十二、三時ごろまで読み続けていた。カルテの振り返りは、疲れるが数値と記録を続けるうちに独特の快感が生じて、悪くない体験ではあった。解析はひどいものだったが、なぜか奇跡的に演題が通った。五月のウィーンには上司は同行しなかったが、あれは教育的命令だったよ、とけっこう感謝している。
一月は土日も仕事していたので、職場付近のランチがおいしい店をたくさん探した。イタリアンは量も多いし、値段のわりに豪華で楽しい。
上の先生が退職したこともあり、四月からは週に四回外来だった。同じ医局のこの学年であれば、週一か、週二程度ぐらいではないか。
病棟は当然診れるはずもなく、その年帰ってきてくれた後輩が優秀なおかげで、全て任せ切りになった。外来が増えると患者が増え、そうなると問題も増える。膠原病、自己免疫疾患という医者の少ない診療科で、患者にもイメージがつきにくい病気である。「これは膠原病じゃないのか?」という質問は典型的で、それが膠原病でない理由(つまりは、ある程度の診断の見通し)をつけなくては相手が納得出来ない。
膠原病はあくまで内科のスペシャリティのひとつに過ぎず、結局は非専門家なりに、普通の内科医程度にはいろいろと診なくてはならない。だからこそ各科の専門家には敬意が自然と湧いた。そんなことは内科の研鑽をちゃんとやっていれば標準的に思い至るはずなのだが、わたしは今の職場に来る前はとてつもない研修医だったので、遅れたのである。
自分の仕事を題材に小説を書きがちで、それは素朴に忘れがたい体験だからだが、他に書けるようなことがぜんぜんないからでもある。
書けるものの幅が狭くて、それを拡張してくれるのがお題になる。歌の世界では「題詠」だが、小説ではこれに相当する語はない。
しかし、これがまったく書けなかった。たとえば「梅」が題材のたった四千字の公募があったが、梅の文化史や、園芸の本を図書館で借りても、小説に成形する手段がわからなかった。一次情報とその加工にはけっこうな隔たりがあって、取材と実践の距離につまずき続けた。結局、臨床に基づくものか、あるいは私性の強い小説ばかりになった。
本を読むのも、うまくいかない年だった。
うまくいかないという語の選定も奇妙だが、読書は趣味の範疇なのか、内心の義務や強迫かは、そう簡単に切り分けられないはずだ。人は経験した文化領域を引きずるもので、昔そういう場に居合わせただけで、なんとなく本を読み続けなければならないと思い込み続けるのは、よくある話だろう。
去年は正式加入はせずともふたつの文芸同人の会に参加し、片方は月一で本を一冊読む読書会があった。強制力があるなりに面白い経験だったが、残念ながら四月以降は業務の関係で継続できなかった。
読めないわりに、書いておきたいという気持ちだけ残るから不思議だった。藤井佯さんの『故郷喪失アンソロジー』は「故郷喪失」の題で短編を公募した企画だったが、これに三月に採用されたのは幸運だった。
文学フリマに作品を出すことに何の意味があるのか?
この答えは難しいが、自分がなんらかの活動をしている、その実感は悪くない。公募は、落選すれば記録として残らない。noteやカクヨムに作品を置くのはいいことだと思うが、書くものの幅が狭いせいか、そんな気になれない。ひどい話だが、実業務が人生のいちばん上に置かれてしまうので、文学フリマに向けた本の製作や頒布は容易ではない(公募の落選作を集めれば、たぶん一冊にできるだけの量はあるのだけれど……)。事務作業の虚弱が響いているわけだが、そうした正負の力が拮抗して、今年は文学フリマの公募媒体にいくつか出してみるようにしていた。
『故郷喪失アンソロジー』はdiscordで作品の感想や批評を付け合うことを推奨していて、その場限りの集いなのが良かった。作品批評は私情が入り混じりがちで、だから衝突のもとになるし、人間関係と作品が絡み付く場は独特の粘性と重みを帯びる。期間限定、一回限りなら、そういう情念は長続きしない。リアルの文芸同人とは対極にあって、その軽さが今年の自分にはありがたかった。
本読みの話題に戻ると、今年よかったのは去年亡くなった三木卓、それと『故郷喪失アンソロジー』のブックガイドで書いた『北の河』の高井有一、『疾走するモーツァルト』の高橋英夫だった。
三木卓は『路地』がよかったが、その恋愛小説は、たとえば童貞であることに振り回される初期作のように、男の脆弱性について書かれていて、女性向けのポルノグラフィに近い手触りがある。昭和文学で男の弱さを言い訳なく弱さとして書き表せた人は、貴重なのではないか。
高井有一は『北の河』が戦争と母子関係の崩壊を描いた私小説として抜群で、ただ他の作品は新聞記者らしいなあと思わずにはいられない、通俗的な昭和文学が多いので参った。同じ新聞記者でも、井上康の初期作品は清冽である。それでも円熟した『夜の蟻』はすばらしかった。
高橋英夫は衒学的な批評家のようで、対象への愛を延々と描き続ける、批評的エッセイストだった。愛する対象について書き続けるとき、それは独特の遠近の錯誤が常に付きまとうが、数頁に一度、驚くほどの煌めきで物事を照射するときがあって、眩惑される。同じ小林秀雄氏ので弟子筋でいうと、秋山駿に似ている。ただし秋山よりも視線が外に向かうだけ健康的な書き手で、熟読する価値がある。書名も『夢幻系列』『琥珀の夜から朝の光へ』『幻聴の伽藍』など、豪奢で華々しい。
ふたりの光度には明白な差がある。わたしは両名とも好みである。
かつて清水博子、南木佳士、木村紅美の全単行本を読んで感想をつけていたことがあって、これらの作家でもそういうことをしたいと考えつつも、考え止まりで終わった。
学会でウィーンに行くのでオーストリア・ウィーンの小説を読もうと計画したこともあったが、結局はシュニッツラーの『花・死人に口なし』だけだった。シュニッツラーは『夢小説』が過去いまいちだったが、本書は生命の儚さ、恋情の脆さ、人間の壊れやすさについて書かれた短編集で、読み易かった。
小説は短い枚数のものばかり書いていた。
二月は瀬戸千歳さん編の『アンソロジー 名刺をめぐる記憶あるいは空想』に『草の上の三重奏曲』(寄稿)を書いた。かつての故郷に仕事で寄ると、幼馴染だった友達が激烈な関節炎を放置していて、それは母を死なせた彼の過去に影響しているのだろうかと案じつつも、それ以上は触れようがない話。これはモーツァルトのピアノ三重奏曲を何度も聴きながら書いたが、推敲時は『疾走するモーツァルト』にも影響を受けた。末尾の結び方は、同書へのオマージュでもある。
三月の『故郷喪失アンソロジー』に『壊れていくバッハ』(公募・掲載)。これはバッハのゴールドベルク変奏曲を何度も聴きながら書いた。久々に南大阪の実家に帰ると、幼馴染だった年上の女性が引きこもりになっていた話。これは西東山鬼の句集を読みながら書いた。
どちらも故郷喪失、音楽、幼馴染、引用が四つ組としてある。
七月の『みのまわり』に『石の鞄』(寄稿)。これは吉行淳之介の『鞄の中身』を下敷きにして書いた、宝石細工職人の男の家事手伝いをさせられる、無愛想な男の話。
ご無沙汰してます!みのまわり編集部です。
— みのまわり💼12/1文学フリマ東京39【て-38】 (@mino_mawari) November 29, 2024
12/1(日)に開催される #文フリ東京 に、新刊「Vol.6 鞄」を引っ提げて参加いたします💼
今回も「みのまわりのものにぐっときたりときめいたりする」をテーマに、身近なのに底知れない「鏡」と文学的に向き合った作品11編と、企画8つを掲載。 pic.twitter.com/CfHhlWMWhq
八月の『CALL magazine』に『水死者たち』(寄稿)。母親が水に変じて消滅する話だ。瀬戸千歳さんにお誘いいただき、大変うれしかった。
同月の『水平線短編大賞』に『刺繍の図案』(公募・最終選考作・掲載)母親が光に変じて消滅する話。最終選考まで残していただき、しかも編者のうみべひろたさんに温かな感想をいただけて、ありがたい限りだった。
九月の『カモガワ奇想短編グランプリ』に『指先の管楽器』(公募・一次選考通過)で、母親が指先から風に変じて消滅する話。一次選考通過が信じられず、うれしかった。水、光、風で、おまけにすべて母親なのに頭痛がしそうで、このあたりは物語る幅の不足を感じる。
同月の『CALL magazine』が主催しているCALL賞に『赤とフルート』(公募・結果未)という掌編を応募した。フルート教師の老人が、女生徒にいじめられる話。これはモーツァルトのフルート四重奏曲を聴きながら書いた。
十一月のKaguya planetの特集『プラネタリウム』の短編公募に『偽プラネタリウム』(公募・選評あり)。弟が病気によって星に変じて空に飛んでいく話だが、近い出来事を秋に経験して、その悔恨として書いた。podcastで選評をいただいたが、「病によって人とお別れしなきゃならないときの日々の書き方が臨場感、心情、周りの人たちの反応が緻密に緻密に書き込まれている」「この人にとって書かずにいられなかったんだろうな、というところを評価している」「難病系の話として陥りがちな、悲劇を美談化しているところがない」という評だった。半ば実体験の話だったのでSF短編小説コンテストへの応募作としては不適切だったろうけれど、これほど寄り添った選評をいただけて、宝物のようにありがたかった。
SFという包みがあるからこそ、出せた小説かもしれない。
愚か極まりないが、自分で読み返してまだ泣きそうになる。
十二月の『星々小説短編コンテスト』は「旅」が題だった。年末は講演準備や来年度の物件探しで難儀していたが、それでも『ロードムービー』(公募・結果未)という好酸球性多発血管炎性肉芽腫症を患った女性が同棲相手との別れを予感する小説をなんとか出した。
これ以外に出したかった媒体がまだふたつあり、ひとつは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の書評とエッセイまで書いたが、仕事の都合がどうしても合わず、参加できなかった。
公募も出したいものがあと三つほどあった。書きたい感情はあるが何を書くかまったく決定できず、中空状態のまま時間が経過してしまった。たとえば参考に読んだ小林康夫の『青の美術史』が面白かったが、そこから小説に飛翔できないこともあった。そういう虚無をどう耐え、どう物語の端緒に接近できるかは、この一年正直わからなかった。
良かったこととしては、公共施設を回るようになった。
学習施設や支援センターには税金で買った椅子と机がよくあって、そこで文章の読み書きをするとはかどる。Google mapに良かった施設をマッピングして、休日にそこを順々に回る。公共施設は計画的に配置しなくてはならないから、数キロ程度の地理的隔たりがあり、歩くにはちょうどいい距離でもある。目的地のない散歩は苦手だが、これはいい。
audibleで小説を聞くようになった。ふだんの仕事で目を酷使するのからか、平日の読書は億劫で、風呂や寝室で目を閉じて聞く。audible好きの上司に触発されたのもある。文芸小説のバラエティはそう潤沢でもないのだが、小学館P+D BOOKSなどは好みの古風な作家の作品の音読が膨大にあり、どういう事業方針か不思議になった。
朗読に合わせて、英語のシャドーイングのように声で真似てみたりする。ディクテーションも試みたが、さすがに速度を半分にしても指が追い付かなかった。復唱がどれだけ小説を書くのに役立つかはわからないが、暗闇で発語するのは意外と悪くない。
そもそも小説の言葉は、第二外国語みたいに手強いものではある。
深呼吸しながら読み書きすると、心理的な負荷が下がったりもした。
長年の偏頭痛に難儀していたが、外来業務が増えて、診察中に嘔吐しかけたこともあり、エムガルディという生物学的製剤を打った。翌日から頭の重量感が消失して、これまでの苦痛は何だったのかと呆れた。
薬を勧める仕事なのに、自分の治療は意外に億劫なのだ。
業務と小説のバランスに難儀する一年だった。
この二つの山場は同時に来がちで、たとえば講演会の準備と小説の締切が同時期に重なると、強烈な負荷にはなった。やりたいことがたくさんあるといえば贅沢だが、有限な資源としての時間の重みを感じさせられる一年だった。
来年度は大学院に進み、生活は相応に変化するだろう。ともかく、短いものでもいいから何とか経験(作品)を積み重ねていきたいし、いささか引っ込み思案ではあるけれど、なにかの媒体に書ける機会があれば、ぜひ挑みたい。