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#1 教師にはなりたくない。

いつも占いみると 教師に向いてると言われるのが

いやで 絶対教師にだけはならないと

思っていました。

いや〜先生ってすごい。

だって 何十人もいたら 絶対こいつ嫌い!って

子もいるでしょう。

私には無理。っていうか

子ども 二人 三人 対等に愛せるのだろうか。と。

結局 お嬢一人しか育ててない私には永遠の謎です。

うちの父は もう私を溺愛。

滅多に会わないけど会うと

『愛しているよ』『お前はパパの宝だよ』って

どこのホスト?ってくらいでした。

そんな感じなので 子ども一人を溺愛する自信!

ありました。

小学生の私は 

草野球が得意な霊が見えるわがままな女の子で

三年生になったら入ろうと思っていた小学校の野球チームに

その頃の (いや今も?)

当たり前だけど女子だから入れず

私より下手なヤツが入ったことに納得できず

生まれて初めてショートカットにして

無言の抗議をしていました。

それ以外は

幼稚園でも小学校でも 素晴らしい先生ばかりと出会えていて

とても大事にしてもらっていました。

でも12歳中一の時 

祖母に『母があなたを捨てていった』と聞かされ

ずっと続けてた劇団をやめさされ

中学に入って突然周りみんなが大人になり

お人形ごっこをしなくなって。

私は 迷宮に入ってしまいました。

その時の担任の中村先生は 私を全否定。

副担任の若い女性の先生に相談したら

中村先生に全て筒抜け。

友だちも作れず やりたいことも手放して

無理やり制服に押し込められた私は

迷子になってしまいました。

その頃

8歳下の従兄弟 溺愛してました。

んで いじめてました。

『男なら』『男のくせに』

自分が男じゃなかったことの不満を

まだ 子どもでいられる彼が憎らしくて

優しい彼にぶつけてました。

それでも その頃 親にほっとかれてた彼は

ずっと 私に着いてきて 大事に思ってくれていました。

5歳の彼に 13歳の私は 荷物を持たせ 財布も持たせ

ドアを開けさせ 『男はそうあるべきだ』と言ってました。

これが教育だと 思っていたのかもしれません。

そして 毎日 死にたいと思ってました。

でも 父の顔を思い出すと 私が死んだら父が悲しむ。

『母親がいないから』と言われる。

それは絶対 嫌だった。

今まで 本当に素敵な先生に恵まれていた私は

中村先生と出会ったことで 教育ってなんだろうって

小学校の時に読みふけった育児書を手放して

育てるということに もっと深い興味を持ち始めました。

実はこの時 好きな子のことでも悩んでいたのですが

それはまた 別のnoteで。

育てるということに異常に興味を持っていた。

でもそれは考えれば考えるほど   洗脳であるということにたどりついてしまう。

私が好きなこと、嫌いなこと              正しいと思うこと、悪いと思うこと

曽祖母だったり、父だったり  読んだ本だったり、   観た映画だったりに 出会ったいろんなものに
影響を受けてそれを選んでいるのだけど         そう思えば思うほど                  これをコントロールすることは可能のように感じてしまう。

娘には『母ちゃん、身も蓋もない』と言われるが 愛すら、与え方に手を加えるだけで

自分の思ったように相手を動かせるのかもしれないと思ったりもした。

そして『赤子の手をひねるように』小さくて真っ白な子どもの心には入り込めそうに思えてしまう。

こういう話し方をするから 娘に『Sじゃなくてサイコパス』と言われるけど

これはあくまでも楽しい方向、生きることの目的を伝えるために子どもに向けていく気持ちではあるのですよ。たぶん。

そして私はいつか出会いたいと思うまだ見ぬ我が子に何を伝え、何を与えられるだろうと考えるのだけど。

こんな私だから絶対教師は向かないし なっちゃあいかんなと思っていたのです。




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