こんばんは。今日もおつかれさまです。
noteめ…素敵かよ
テキスト書こうとしたらお疲れ様って言われたぞ。
こういうのが自動設定されているようなものだったとしても嬉しいのってなんなんだろうね。
月見だいふくの裏面なんかも好きだったなぁ
(久しぶりに食べたいな…)
ん~決めた。訓練場と題打ってnote使ってたけど、今回は出張版瞑想場って感じで行こうかな。
徒然なるままに~ってやつです。
そんなこんなで、自動でも労いのメッセージが刺さる理由を考えてみようかと思います。
noteから送られた 「こんばんは。お疲れ様です」
これが良いなと思ったのは… やっぱり…承認欲求だよなぁ(笑)
自分だけを見ていてほしいっていう本能由来成分100%の欲求
こんばんは。(あなたに話しかけていますよ)
お疲れ様です(いつも頑張っていますね。見てますよ。)
というメタメッセージが我々に刺さる…
note恐るべし。
しっかりと人心掌握をして、言葉に向き合おうとする人たちに「これからもnoteを使ってね」というアピールを怠らない。
我々書き手の欲を満たし、くぎ付けにする参段である。
本来、こういった「自己アピールの為の優しさ」は卑しく感じられることもあるだろう。
しかし、今回のnoteから送られたメッセージにはそれが無い(薄い)事にも注目してみたい。
とはいえ、理由はシンプルかも知れない。
単純に言ってしまえば、我々の欲を満たしてくれる相手だから。だ
自分の欲だけでなく、我々の欲をも満たしてくれているメッセージ。
noteの「こんばんは。お疲れ様です」には
今後ともごひいきに。が含まれる。
そう、この言葉は前述の2つだけでなく、「今後ともあなたと関係を続けていきたいと思っています。」というメッセージをも発している。
結論
noteの「こんばんは。お疲れ様です」は
note側の欲と、我々側の欲。その両方が叶えられるその関係性を良好に保つ為に存在するメッセージである。仮にnote側が利益目的で使った言葉だとしても、我々にとっても欲を満たすよう設計されている為、心地よく受け取る事が出来る。
こんな感じかな。
自分の欲を叶えたければ、相手の欲を満たす事。
情けは人の為ならずってこういう事。
正確には、人の為だけじゃないって感じだろうけど。
敢えて、人の為ならずって言い切る辺り、
人の卑しさを理解し、向き合った上で、誰かの為を考えたスタンスになっているように思えて、誠実さを感じざる負えない。
誰かの為に、自分と向き合え
自分の為に、誰かに目を向けろ
かな。
そんなわけで姿勢を正して…
「こんばんは。お疲れ様です。」