素直な良い子へ
こんにちはレインです。
今日は昔の自分に向けて書いていけたら良いなぁと思っています。
昔の…高校時代までの自分に向けて、 できれば「中学の自分」に向けて。
届きますように…と。
(届くわけはない 笑)
それでも、書くのです。
始めます。
素直な良い子へ
始まって早々で申し訳ないが、君の「それ」は素直ではない。従順なのだ。
「本当に、素直な(手のかからない、都合の)良い子だね」 と言われてきたと思う。何度となく、どんな人からも。言われてきたと思う。
ただ、素直さには2つある事にも気付いているだろう?
1つは従順。
もう1つは信念だ。
他人に従っているのか、自分に従っているのかの差だと言っても良い。
他人に責任を負ってもらうか、自分で責任を負うのかの違いだと言っても良い。
いずれにせよ、君のそれは「人生を生きる上で、あまり良くないもの」だ。
いや、「君の人生を阻む最たるもの」だ。
「幸福に生きる為、向き合うべきもの」だ。
所で…自分の人生について、考えたことはあるか?
人生についてじゃない。「自分の」人生についてだ。
何をしたら自分の人生を生きたことになると思う?
何が出来たら、自分の人生を生きたことになると思う?
少し考えてみて欲しい。
…
どうだろうか。
どう考えて良いものか分からなかったかもしれないし、
上手く考えられなかったかもしれないし、
「これだ」という答えが分かったかもしれないし、
そもそも考えなかったかもしれない。
それは、良いんだ。あまり重要じゃない。
問題は次だ。
「なぜ、そうする事を選んだのか?」 この問いの答えこそが重要だ。
少し考えてみて欲しい。
…
どうだろうか?
多分君は、色々考えたり考えなかったりしただろう。
でも、それをした理由が…
「めんどくさかったから」
「そう言われたから」
「考えないとダメそうだったから」
この辺りなんじゃないか?
「自分にとって必要そうだった」
「面白い問いだと思った」
「自分には要らない問いだと思った」
では、無いんじゃないか?
前者こそが従順さであり、後者こそが「素直さ」
今の君は、私の言う事を聞いてくれたかもしれない。聞かなかったかもしれない。それは、当たり前の事。
人によって、好きな事や興味のある事が違うのは当たり前で。
人によって、嫌いな事やりたくない事が違うのも当たり前。
だから、それは、どっちでもいい。
問題なのは、君は、本当に自分の意志で選んでいるのか?という事だ。
自分で選んだことをして、それを選んだ理由に従って、生きているか?
それを選んだのは「自分なのだ」という事を受け止めて生きているか?
選ばない事で…誰かに選んでもらう事で、受けられる恩恵は…大きい。
自分以上に優れた人に従えば、成果が出るだろう。
自分以上に選択が上手い人に従えば、滞りなく物事が進んでいくだろう。
何より、もし失敗したとしても。選んだのは貴方じゃない。他の誰かだ。
その人のせいだ。 口に出さなくとも、そう思うことが出来る。
でも、それが。「選ばない事」を選んだ貴方の責任になるのだ。
それは「任せる」という決断として、解釈される。
貴方は、この人に任せたんでしょ? 任せたのは誰? と思われる。
いくら「自分のせいじゃない」と思っても、
周りが、そう思ってくれなくなる時が、
状況が、それを許さなくなる時が、 必ず来る。
何より、
「そんな子供染みた発想で生きる事を許せなくなった自分に、取り合ってもらえなくなる。」
具体的には
・好き、嫌いの感覚があいまいになって、情熱の在ったことに面白さが見いだせなくなる
・好きなものをどれだけ食べても、美味しく食べたという感覚がなくなる。
・暗く、ぼやけた視界になっていく。世界が淀んで見えるようになる。
そうなったとき、はじめて自分を省みるのも良いだろう。
「あぁ、自分の事を自分で選ばなかったばかりに、他人の意志で動くようになったのだ」と
「他人の意志で動き続けた結果、自分を無視し続けた結果。自分に嫌われてしまったのだ」と
そう、初めて思い知らされる体験をした時に、ようやく気付くのも良いだろう。
それはとても、人間らしい事だ。
でも、ふと思う。
この体験は、
「自分の人生を生きる為に、必ず通らなければならない道なのか?」と
「より良い道も、在り得たのではないか?」と
「人間は、もっとすごい生き物なんじゃないか?」と
だから、語ろうと思う。
同じ間違いをする必要は無い。
愚かな先人を超えて行って欲しいんだ。
「えぇ…先輩そんなことで悩んでたんですか?だっさ~w」
で良いのだ。 その声をこそ聞かせて欲しい。
「いやぁ。そうなんだわ~ ほんとだっさいよな~www」
って返させてほしい。
体験せずに済むのなら、体験しない方が良いのだ。あんなことは。
そんな事よりも、もっともっと面白くて、楽しくて、素晴らしいものが、
この世界にはあるのだから。
だから、その為に。
それを掴みに行く為に。
自分で自分の事を決めて欲しい。
小さなことからで良い。少しずつで良い。
自分で調べて、自分で考えて、自分で選んで、
そうした結果の全ては、自分自身へと還っていく。
だから、「次はどうしようか?」 と進んで行けるのだから。
その軌跡こそを、人生と呼ぶのだろうから。
自分の人生を、一刻も早く、ほんの少しだけでも、始めて欲しい。
貴方を動かすのは貴方だ。
と言ったものの、これは、実は間違いである。
「貴方を動かすのは貴方」ならば。
「貴方が身体を動かそうと思えば、動かせなくてはならない」
え? 出来るだろって?
じゃあ心臓を一瞬だけ止めてみて貰っても良いだろうか? 多分死ぬことはないだろう。
できただろうか?
多分無理だったと思う。
他には、「死んだ後でゾンビみたいに復活する。」みたいなこともできるんじゃないかな。
「貴方を動かすのは貴方」なんだから
屁理屈だろって思った真面目な君には、もっと言葉を言葉通りに読む力が必要かもしれない。
「貴方は貴方を動かせる」 という言葉を
「貴方は、貴方の意志があるうちであれば、貴方の肉体の動かせる部分だけは動かせる」 と勝手に解釈したという事だから。
そんな言葉はどこにも入って居ないし、そんなに長い文章にもしていない。
それがいわゆる「思い込み」というやつで、コミュニケーションの祖語を産み出す要因になる。
いや、流石に訂正しよう。確かに無茶な例文だった。
だが、実際そうなのだ
貴方の中に「人間に生まれようとして生まれてきた」。
なんて記憶が無い様に。
貴方は、貴方以外の意志によって生かされている。
貴方が選べない事なんて、いくらでもある。
貴方が選んでいない事で、貴方に不利益や幸運が起こる事なんていくらでもある。
だから、
「選択肢を増やせ」と言われるわけだ。
その一環としての「他人事だと思わない」なのだ。
(所で、「選択肢を増やせ」と言う側人間が、「その為に勉強しろ」、以外の選択肢を提示しないのはなぜだろう? ユーチューブを始めろ!とか言う人が居ても良いと思うのだが。)
これも、何万回と聞いたお題目だろう。出来ている人は本当に極々わずか。一握り。自分もそうだ。成れる気がしない。
だが、それすらも「自分で選んで」行く必要がある。
何が他人事で、何が自分事なのか。
いや、どこまでを「自分事」だと思えるのか。
それこそが、器と呼ばれるものだ。
人間性と呼ばれるものだ。
君を、君たらしめるものだ。
何を選んで、選ばなかったか。その積み重ねが人間を作るのだから。
従順だった子より
さぁ、人間になっていこう。
一緒に、今を、超えて行こう。
PS
なんかすっごく変な文体と言うか。こんな口調で書けるんか俺っていう。
らしくない気がするけど、らしい気もする不思議な不思議な感覚…
まぁ、これを使うも使わないも…選んで生きましょうか。
…今日も書けたぁ!!