ありがとう藤原啓治さん、ありがとうエウレカセブン

緊急事態宣言が発令され、ずっと家にいることが多くなった。職場は閑散としており、3日のうち2日は在宅という「間引き運転」。在宅勤務で日がな一日パソコンに向かっていると、いろいろなことを考える。
 そんな中、声優の藤原啓治さんが亡くなった。55歳だった。
 藤原啓治さんの代表作といえばクレヨンしんちゃんの野原ひろしなのだろう。
 だが、僕らの間では藤原啓治といえば、ホランド・ノヴァクだ。
 奇しくも今日4月17日は、エウレカセブンが始まって15年になるらしい。
 15年前の僕は、毎日何もせずアニメを見て、料理を作って、文章を書いていた。
エウレカセブンを見ていた頃のことについて、少し書く。

 2005年、34歳の僕は精神を病んでいた。
 仕事が忙しかった。とにかく、繁忙期には夜12時を回ることも多かった。埼玉のコールセンターから流山の自宅に帰るのに、通常だと武蔵野線を使うのだが、時間が遅くなると池袋周りでしか電車がない。しかも松戸からタクシーになる。そんな生活を繰り返しているうちに、まず体がおかしくなった。心臓の動悸がおさまらず、毎朝吐いてから出社した。クレームを受ける部署だったので、わけのわからないクレームの対応をしなくてはならない。しかもそのクレームを受けながら、会社の数字の管理をするのだ。おびただしい受注から週の数字を抜き、週報を作る。営業の数字が悪いと、営業部長から出し直しのクレームが入る。数字は真実なんだが少しでも数字をよくしてほしいので、期間外にするべき数字を無理やり突っ込んできたりするのだ。それを金曜日の夜7時にぶちこんでくる。帰れない。次の日の朝までに週報ができていなければならないのだ(社長が目を通すので)。
 もともとADHDの僕は周囲に人がいると仕事ができない。今日中に出さなければいけない書類があっても、困っているクレーム対応が聞こえるとそちらを助けに行ってしまう。要するに向いていなかったのだ。それは今僕が教員だからわかることだが、根本的に向いていない仕事を、12年続けたわけだ。
 気がついたら業務用エレベータの壁に頭を打ちつけ続けていた。爆笑しながらエレベータに頭を打ちつけている社員がいたら怖くて誰も仕事ができない。上司が僕をかついでタクシーに乗せ、僕は病院送りになった。

 もらった鎮静剤を全部飲んで救急車で運ばれるなどを繰り返し、入院措置の後地元のメンタルクリニックにお世話になることになった。その人は薬を出さず、30分間僕と話をしてくれた。
「とにかく、何もしないことです。全力で何もしないでください」と医師は言った。
 全力で何もしない。
僕は何もしない人になった。
 家でパソコンを眺め、小説を書き、書いては消し、動画を見た。
 そのとき出会ったのがエウレカセブンだ。
 確かグレッグ・ベア・イーガン博士が出る会をたまたまわけわからず見たのだけど、SF好きな僕はイーガン博士の名前(だってグレッグ・ベアでイーガンなんだぜ)で完全にやられ、はまってしまった。
 日曜の朝早起きをして、エウレカを見るのが日課になった。過去放送分は違法サイトで見た(よい子はマネしない)。莫大な話数もすぐに追いつける。こっちはニートだ。やることないのである。史上初めて何もしない、のである。いくらでも時間はあった。
 登場人物のひとり、ホランドは29歳だった。僕は34だからそんなに変わらない。29歳なのに子供じみたホランドを見て、最初はいらいらした。だが、苦悩を乗り越え成長していくホランドを見たとき、登場人物の誰よりも、ホランドに感情移入していた。

「いいか、俺たちは死なない、だれも死なせない!
俺たちは、血反吐を吐いても生き残らなきゃなんねぇんだ!」(「アクペリエンス・3」)

 エウレカが最終回を迎えた次の日、僕は会社を辞めることを伝えた。次の日から仕事を探し始めた。あんまりうまくはいかなかったけど、なんとかここにいる。
 あの時エウレカに夢中になったから、余計なことを考えないですんだ。34歳で無職になった不安から抜け出すことができた。そのことには感謝してもし足りない。

 藤原さん、ありがとう。
 あの3か月間があるから、まともな人間でいられる気がします。本当にありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?