![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168071283/rectangle_large_type_2_e084d94ee7e9dabc26c0924734e71cde.jpg?width=1200)
現行ノスタルジー 宮尾美也と歴史的アイドルの話
(1/5 12時に追記しました)
お久しぶりです、らいのふです。
12月31日12時、突然発表されました メガネ美也
TLの美也P達は阿鼻叫喚 。自分にとっても念願のメガネ美也がメガネ3週目(?)で来ると思わんじゃん。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168072857/picture_pc_5357a7608b192a224655f8fe778b9f02.png?width=1200)
未読コミュを大量に読み漁り、2024年最後の大勝負、見事勝利で終わりました。2024年、俺の年だったと胸を張って言える。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168072138/picture_pc_ddaf1bd8df412f975508b4bed069c9c2.png?width=1200)
衣装コミュと覚醒コミュを読んできたので、思ったことを記します。
※当然ながらありえない量のネタバレテキストを含みます。ご注意ください
衣装コミュについて
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168086622/picture_pc_ac555ac9d66984a90412e6ce174596ea.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168077219/picture_pc_fd5a829bb9bc019e26926f75a7d2c34f.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168077217/picture_pc_2366c6b38c5a99ef962d40899c43631d.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168077457/picture_pc_93decc1cd4e82c9d5de1fb9bf4bec843.png?width=1200)
今回の衣装は美也プロデュースだそう。
???「プロデュースに興味はありませんか」
アイドルのプロデュースと衣服のプロデュースでは全く違うという前提はありますが、
プロデューサーをアイドルと間違えたり、開き直ってアイドルに仕立てあげようとしたりするセリフがありますが、それらは彼女の中でプロデューサーとアイドルの境界がぼんやりとしているからという解釈が出来ます。
そんな彼女ならプロデューサー側に立ってもまた、アイドル同様上手いこと立ち回れるのではと考えたり
「安心して笑顔になれる湯気をみんなに届けたい」「でもすぐ消えちゃう…」
↑着眼点が美也すぎる
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168078315/picture_pc_3b99425caaf55075996219109dd55ab7.png?width=1200)
→「や、メガネが曇れば湯気を目視し続けられる。それは湯気を服にしたことになるのではないか」
↑これを提唱したデザイナーを今すぐ呼んできてくれ。宮尾美也さんと感性があまりにも相性が良すぎる。天才のソレ。
本当にありがとう美也に『幸せをおすそ分けする衣装として』メガネを勧めてくれて
これは今並行して書いてる「宮尾美也はどうして冬なのか」でも触れるのですが、美也って
雨とか雲とか冬とか夜とか雲とかがよく似合うんですよ。
けれどこれらって、後ろ向きな表現でもまたよく用いられる単語でもあるんですよ。
でもそのシチュエーションの中で、ささやかな幸せを見つけて全力で楽しめる、そのひとときの刹那的ないわばイレギュラーすらハッピ〜を見いだせる宮尾美也の姿がより「映え」るんですよね。
その刹那を乗り越えれば当然幸せが待っているので、それまですら楽しんでしまえば全て幸せ、いわば「やまない雨はない。が、傘をさして雨すら楽しめば晴れも雨もハッピ〜」を地で行く人物であると言えるでしょう。
だからこれら後ろ向きな意味合いで使われる言葉やシチュエーションは宮尾美也さんと相性がいいと言えます。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168080767/picture_pc_22e15426df37a07a99d7c941ea7fd651.png?width=1200)
これらのことから冬によく目にする刹那的である湯気という概念は、宮尾美也と相性がいいのは言うまでもなく、その刹那を永遠に引き伸ばし、果ては衣装としてまで昇華することが出来るという理由でメガネをかけさせる行為は、「視力が高い」という特技とメガネの相性が悪い美也にメガネをかけさせるこじつけとしてはこの上ないと言っていいでしょう。
なんか、この辺のこじつけというか解釈でここまで感動して「や、やられた……!」と思うのは久しぶりで、僕が好きになった頃の美也が垣間見えた気がして本当に嬉しかったです。
覚醒コミュと歴史
まず言葉の整理をしておきましょう。
ノスタルジーとは郷愁
レトロは懐古主義
今回のコミュの中では、単純に古いものという意味合いで使われていた印象です
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088890/picture_pc_068bc66d1a0c822de1c041c2567653ea.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088887/picture_pc_e17283c791a87c5f3ca56e3789616d66.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088893/picture_pc_7730d9a904ad251407803c3fa5137c07.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088889/picture_pc_015a04eba4af722f0b8bb961e7ed84ee.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088892/picture_pc_e9c1c4509d91a3ae1752dc18e43e6f6d.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168088897/picture_pc_0da2f506a32bb5446529649394d24569.png?width=1200)
前半は正に「ノスタルジー」郷愁であると言えるでしょう。
ここで大事なのは、「ノスタルジーは直接の経験がなくとも、伝聞のみで感じることが出来る」ということです。
後半は昨今の「昭和レトロ」や「平成レトロ」と呼ばれるものについでなのでしょう。言うてもう平成から35年以上経ってますから。
それらを「懐古する」のはなんら違和感はありません。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168090996/picture_pc_994fa1930a98f1245ae9c68770b3720a.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168090995/picture_pc_17bf6324294c2b2319333b86ca04c1f4.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168090999/picture_pc_e5ff3a21407c5f3d9bdc1affa0bc2f9f.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168090991/picture_pc_28d14780242230239ac0669b73c36821.png?width=1200)
美也自身はその郷愁を未来へ伝える橋渡し役で終わってもいいと、そう取れるわけです。これも私が口酸っぱく言っている「宮尾美也の諦観」の為せる達観だと言えるでしょう。(特に3枚目)
それを記憶力でカバーする、と
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091857/picture_pc_38b0040b60ce8835fd072bd94229f4b7.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091848/picture_pc_078657ecbf02abb7ac78cf624d94d227.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091859/picture_pc_82f307058161af43fe07a6dbe4f5080a.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091860/picture_pc_4234ac0ef16ce6d09dc3832134b5bcee.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091846/picture_pc_4a9573a60360b649e543f608be00598f.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091858/picture_pc_995234196abc98db3d32ca6c64aad4db.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168091853/picture_pc_3af4914dc2453d6eb9d45d2ab76c5942.png?width=1200)
懐古、歴史、ノスタルジー、レトロ……それらの良さを後世に紡ぐための記録者で一時的な橋渡し役でいい。
懐古主義でありながら刹那的と言えるその価値観。それを強調するように出てくる一瞬を切り取るカメラと写真。
その刹那を引き伸ばし記録することで後世に伝える。
…あれ?「刹那を切り取って引き伸ばし永遠に残す」…?どこかで聞いたような…
そう、覚醒コミュも衣装コミュも、恐らくこういったテーマに沿っているものと考えることが出来ます。
そして最後のセリフ「私はプロデューサーさんのことは忘れません。」
もうこれ愛の告白じゃん?らぶだろ……
これはよく聴く「人の死はいつか?」という哲学的問いに対する答えのひとつ「誰の記憶からも居なくなった時が死である」を想起させます。最近アンデッドアンラックを読んでて良かった〜
そしてこれが、美也の死生観の考え方でもあるのでしょう。
美也が忘れない限り、プロデューサーが死ぬことはありません。人が忘れない限り、歴史が、郷愁が死ぬことはないのです。仮に妄執する対象の存在は既に無かろうと。まさに「ノスタルジーは直接の経験がなくとも、伝聞のみで感じることが出来る」のです。
だからこそ、美也は歴史を重んじ、記憶することを重んずるのでしょう。
これらを拡大解釈すれば、歴史の教科書と言うのは、後世に語り継がれる限り永遠に生き永らえられる手段とも取れます。
多分これが、「宮尾美也さんが歴史の教科書に載りたい」と願う動機であり根拠なのでしょう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168743078/picture_pc_07064b3c34d9de7685ff72560ea55e86.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168743079/picture_pc_f32142de9d6790ee5278a8424ab7a849.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168743080/picture_pc_c34d2277517e39f6f99d74478a8e38af.png?width=1200)
高齢者に囲まれて育った宮尾美也という人物が、死を受け入れ達観した価値観を持つことは想像に難くありません。また、それが「長生きしたい」と願う動機になることも想像に難くありません。
なぜ今までこの部分に気が付かなかったのでしょう。美也は恐らく囲碁将棋会館などでおじいちゃんに囲まれて育った影響から、周りより年不相応に達観した価値観と諦観を兼ね備えていると考えられ、僕はその諦観を最も宮尾美也らしいと考えていました。しかし、それ以前に、それ以上に彼女は強欲なのです。
何かを諦め手放す時、他の何かを求める、あるいは既に手に入れているのです。これもきっと、「肉を切らせて骨を断つ」将棋的な思考なのでしょう。
「人はいつか死ぬ」という諦観をしている美也が、「なら肉体的アプローチとは別で生き続けるためには」と考え求めるのは自然であり宮尾美也らしいと言えます。
この見落としに気付けたのは、今回のコミュと考察で一番の収穫だったと言えるでしょう。
その長生きの手段として選んだ方法が「人の記憶に残り続ける」=「歴史の教科書に残る」
と考えることが出来るのです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168097955/picture_pc_4ffd37df20dcc02a1f93c04e88276806.png?width=1200)
このメガネというアイテムはきっと、伝聞や資料といったフィルターの比喩ととることが出来ます。
それが曇る≒歪むと、見え方が変わってしまう。
だからなるべくありのままで残していたい…と、ここまで来れば僕の願望や妄想が入ってきますが、僕はそう解釈することも出来るのかなーと。
最後に
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168097898/picture_pc_a20c142c2868b9db0c32c63350d716c2.png?width=1200)
このカード名とスキル名、ほんと…エモ………………
現行ノスタルジーの意味の解釈は難しいですが、僕は「未来に行った時に今たっている地点を夢想し懐古し郷愁の暖かい気持ちに浸ることなのかな」と取りました。カード名については考察の余地の残る範囲なので、是非色んな人の意見や見解を聞いてみたいです。
そして「何年経っても色濃く」
2024年最後の日によくもまぁやってくれたな!!!!
初恋バタフライから10年という年の最後に!!!!!色濃く残るソレを!!!!!!!
まとめ
・今回のコミュから美也の死の哲学的定義は「人に忘れられること」と捉えることが出来る
・老人に囲まれて育った美也が死を受け入れるのと同時に、「長生きしたい」と考えるのは妥当である。
・人の記憶に残り続ける=長生きできる
・歴史の教科書に載って長生きしたい
今まで謎だった「何故宮尾美也は歴史のアイドルを目指すのか」というひとつの回答になっているのではないかと思った次第です。こう、宮尾美也さんの人生哲学的な価値観が垣間見えるコミュが詰まっていて、本当に嬉しかったです。
ありがとう、宮尾美也に進展を与えてくれて。
来年もよろしくね、美也。
実装された日に疲れた状態で読んで2時間で書きなぐったので、理論が飛躍してたり破綻してたりする箇所があるかもしれませんが、大目に見て是非ご指摘ください。思う所があればコソッと修正します。
是非皆さんの考察も教えてください。
それでは、良いお年を