助けられたのは私

その日は雪解けするほど温かい1日だった。

私は出産を期に、介護職から知り合いの誘いもあってもともと保有している保育士へと転身した。
社会人になってずっと介護士として働いたものだから、保育士経験はゼロ。
自分の育児のためにも勉強になる!とも思ったし、単純に子供が好き。動機はそれくらい。

『やると決めたらやりぬく!』それだけ。

乳児クラスから担当した私は…
オムツ交換に日々の消毒、設定保育…おたより…
保育士を志し実習もしたことは何年も前で、同じクラスの先生にご教授いただくことの方が多かった。
中途採用みたいなものだったから、クラスの子とクラスの先生の関係は成り立っている中での保育。
子どもとの距離を縮めていけるように必死だった気がする。
ボタン一つ外れかかるだけで、子どもにとっては危険になる。万が一口に入れてしまったら大変。
つかまり立ちができるようになれば、大人が気がつかないような棚の角や足場が危険になる…
経験ゼロの私はまだまだ注意散漫だった事だろう。
今も完璧ではないが。

そのままそのクラスを持ち上がりで担当し2歳。
トイレがまだまだ行けない子の多かったこの年。家庭との共有も密にしながら進めていく。
『ねぇ、トイレ嫌い。』『いきたくない』
行きやすいようにキャラクターを作ってトイレ壁面に貼ってみたり。
お箸が使えるように、保育の中でも指導したり…
イヤイヤ期が盛んな時期で『それはこう言うよ。』って
その都度対応したり…少しずつ コラー!と言いたくなることも増えた。仕事だから言えないけど心の中はグシャッとなること多くなった。
3歳児も持ち上がり。
活動量も増えて、今までよりも長い距離のお散歩も 簡単なゲームもできるようになった。私は主担任になる。
友達との関わりがどんどん増えてトラブルも日常的。
登園時はママとの別れが辛くて、涙の子。
あの手、この手で気持ちの切り替えを待つことも。

安全に健康で楽しい園生活であってほしい。
降園まで無事に保育していきたい。
1日ごと無事に送り出すことが使命とすら感じてた私。

お話しが上手になって絵も絵らしくかけて
自分のことを何でもこなし
ちょっとお姉さんお兄さんになった4歳。
小さな子のお世話を優しくする年長さんの5歳。
ジャンプすらままならないあんなに小さかった子たちが
最高のパフォーマンスをした運動会。
全ての成長に携われた今。

ふと思う。
『保育』されていたのは私だと。
こんなに素晴らしい原石みたいに輝く子供たちが
私を先生にしてくれたのだと。

大人が当たり前すぎてトキメクこともしない雪にだって
『どうして雪はふるの?』って目をキラキラさせて 
真新しい発見を教えてくれた。

発見してワクワクしたり やってみたい事ができたり
できるようになったり 悔しい気持ちを感じたり
嬉しすぎたり大笑いしても涙が出ること知ったり
転ぶと痛いなと感じたり
苦手や好きがわかったり
生きてると 小さな感謝と小さな幸せが沢山溢れてることを 私はこの子たちから教えられた。

そんな3月。この子たちは卒園し、もうすぐ小学生。
あんなに小さかった子どもたちが小学生。
卒園が近づくにつれ 次第に目頭が熱くなる日々。
『先生ずっとありがとう』
『先生も一緒に学校行こう』

卒園証書の名前を呼ぶ。
一人一人の思い出が名前ごと溢れ出し
泣かないと決めても流れる涙は止められなかった。

お子様の貴重な時期を保育させてくださり、色んな思いを何年も伝え伝えられてきた保護者の方々
『育ててくれてありがとう先生。沢山助けてもらいました。』と言葉をかけられた。
 
『助けられたのは私の方です。先生にしてくれて
本当にありがとうございました。』と止まらない涙を堪えながら私は伝えた。

彼らの登園最終日。
それぞれのランドセルの色で折り紙で作ったランドセルを1人ずつ配って降園の際に手渡した。
新しい発見と煌めく経験ができるように心を込めて。
『先生、またないちゃうんじゃない?』と言われながら
『もぉ泣かないよ。みんな大好き!困ったことがあったらまた遊びにきてね!』と手を振る。

また会おうね。
いつかこの何年間の思い出を一緒に話そうね。

この仕事ができて幸せだと心から思う。
もうすぐ春。私も成長して経験していこう。

来年はどんな笑顔をみれるかな。
どれくらい笑顔を与えていけるかな。
働いてこんなにも笑顔になれるって最高だ。





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