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【実家の介護未満】お年頃。。そろそろ実家に行かねばな 2016.11.09-2018.6.7

2016.11.9

結婚してから十年あまり経つが、一度も実家に泊まったことがない。母と父と妹と私の仲は悪くないし、無口すぎる父とは気が合わなかったけれど、女性陣は離れていてもどちらかと言えば仲良し。けれど、そもそもわたしは、なぜか大人になる頃には実家にいるのがしっくり来なくて、働き始めたときには、物件のご縁をみつけてさっさと一人暮らしを始めてしまった。実家は池袋から私鉄の急行で10分ほど行って、駅から自転車で10分ほどのところにあり、私は、山手線のほぼ反対側の駅から私鉄にのって何駅か行ったところの、風呂なしの昭和風のアパートに住んだ。

離れて住んでからも、実家の家族には優しくしてもらっている。それなのに、私はあまり自分から実家によりつかない。いがみ合っているわけでも、喧嘩しているわけでも、嫌いなのでもなくて、なんとなく私だけ毛色の違う感じがするのだった。顔は似ているのに変な話だけど。

家族に対して、のら猫か、冷淡な宇宙人👽(?)のような振る舞いをしてきた私であるが、アラフィフともなれば親はご高齢。そろそろ実家の手伝い事の増えるお年頃なのである。まだ元気だけど前より助けが必要にはなってくる。毎日遅くまで働いてる妹のことも気になるし、こんな冷血な私でも行かねばな、と思う。トイレに行かねばな、お風呂に入らねばな、みたいなポジティブな「ネバ」である。

おなじ都内なのに、実家に行く道のりはすごく遠く感じる。実家に行く度、もうずいぶん前に「よその人」になってしまった私の、「よそ」でなかった昔のことを思い出したりする。

実家で用事を済ませて、最寄りの石神井公園駅まで歩いて帰る道。(そういえば、昔は実家から駅へ「行く」だったのに、いつのまにか実家から駅へ「帰る」になってしまった。)

昔、飽きるほど歩いた駅までの道は、右も左も新しい家が建って、今自分がどこにいるのかわからなくなるのだけれども、体のほうが曲がり角のタイミングを覚えている!驚愕した。

そうしていい気になって歩いていると、ふと見たこともない公園に出て、区画が変わってしまったのだと気づく。古い脳内mapは区画整理がされていないままなのだ。

近々、パーキンソン病を長く患う父と父の服を買いにお店に行くことになった。母への負担が大きくなり、父に付き合うのが難しそうなので、必然的に比較的時間の自由なわたしに出番が回ってきた。妹はすごく忙しい会社で働いているしね。

娘の頃は父が苦手で、父と一緒に店に行くなどあり得ない話だったが、家を出てからは苦手も忘れて、自分がさらに淡々としたせいか、今は父の買い物は、わりと興味深い。

それに、今まで家族にほとんど親切にしたことがない自分が、いったいどんな風に父に付き添うのかしら?ということも、ほんとに興味深い。

そんなこんなで、実家に親の手伝いに行った後は、なぜかすぐ仕事(今日は日本語レッスン)に行くことができない。

仕事の前に、心と頭のリカバリーが必要。ということで、タリーズでコーヒーを飲んでこれを書いている。

世のお母さんたちが、家族のあらゆる用事を次々行う姿を尊敬する。千手観音をみたいだと思う。今助けが必要になった母も、かつてはそうだったのだ。

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2022.9月追記

時は流れ、上記のように、実家に行く用事が増えてきたと思ったら、その後、自分の病気になり(楽しい入院生活の様子はこちらのマガジンに書いてます)、退院してやっと元気が出てきた頃、とうとう実家に泊まることになった。それが次の話。実家に行くことなんて、なんでもないことなのに、10年以上ぶりに行くとなると、気持ち的には冒険だった。

実家の用事の後すぐに仕事に取り掛かれなかったのは、今考えれば、親が老いていくことに取り乱していたのかな?と思う。同じテンポで年老いているはずなのに、それまで無意識に土台にしていた「親」のイメージが弱いものになって、初めて自分が何かの上に乗っていたことに気づいたんだな。


#介護とまでは言えない #アラフィフ #親とのつきあい #実家の話

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