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【実家の介護未満】ドライバーさんたちと友達候補2019.10.22

2023.10.15
あっという間なのか、ずいぶん時間が経ってなのか、来週は父の四十九日。納骨式だ。妹は母の時も、お骨を持って家中を見せてあげたそうだから、今回も家ツアーをしてあげるのだろうか。泣いちゃうな。。。
(実家の介護未満では、母と父の供養のために過去の日記を掲載してます)
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2019.10.22 (四年前)

病院とか老健とか特養とか

妹が旅行に出かけるというので、実家に泊まってきた。
父は実家の近所のショートステイ先にいて、来月、介護老人保険施設(老健)に入所する予定。「老健」というのは、自宅等への復帰を目指して3ヶ月のリハビリを行う介護老人施設。自宅等の「等」は、老人ホームなど。要するに住むところのこと。

ご高齢向けの施設の種類など、まったくチンプンカンプンだったのが、だんだん区別がついてくる。介護サービスと医療の違いとか、組み合わせの可能不可能など、行き止まりや抜け道を通り抜けるゲーム感。

たとえば、一時的に泊るショートステイや特別養護老人ホーム(特養)は基本的に自宅の代わりに住むところ。入所中にできることとできないことがあって、例えばマッサージは頼めるけれど、リハビリはできない。訪問診療のお医者さんも呼べない。(介護保険と医療保険は同時に使えない)デイサービスに通うこともできない。

老健は病院も兼ねており、医療もそこで行い、すべて含めての料金。その間、他の病院に通院はできないし、他の介護サービスも×。ケアマネさんも、これまで長く付き合っていたケアマネさんはお休みして、施設内のケアマネさんが担当となる(これは特養も同じ)。また、服用薬で薬価が高いものは老健では処方できないから、あらかじめ外で3か月分処方してもらい持ち込まねばならない。

などなど、驚くことがたくさん。私がもちろん世間知らずだからってのもあるけれど、、、、いろいろ知れば知るほど、私たちが高齢になったときどうなるのだろうかと不安がよぎる。
有料老人ホームでなくてもそれなりにお金もかかるし、特養なんか200~300人待ちなのだそうだ(申込だけ複数出すから、待ってる人が全て一列に並んでいるわけではないとはいえ。。)

父が行くことになっている老健は、区内で唯一毎日リハビリがある老健で(通常週に数回)気合いの入ったセンター長じきじきの面談を経てから入所が決まる。そこで父と一緒に行き面接を受けた。

ドライバーさん その1

面接に来た待合室で、
「Yさーん!」と不意に父に声をかけてきた男性が一人。いつも利用している介護タクシー会社のドライバーの人だった。「お久しぶりですー。こちらに入るんですか?☺️」
今日もそのタクシーを利用したが、他のドライバーさんだった。「いつもありがとうございます。今日は面接でー」と私が答えた。
「そうですかー、お大事に!また!」と言ってさよならした。
父が「今の誰?」って言ったので、ガクっとした。
「よくタクシーで送ってもらったじゃない。介護タクシーの人~!」と言ったけど、覚えていないようだった。

ドライバーさん そのニ

その後、無事面接も終わり、老健の相談員の方に施設内を案内してもらったとき、
「Yさーん!わー、久しぶりです!お元気でしたか。覚えていますか?」って言いながら、面会者の名札を付けたおじさんが話しかけてきた。
「あー、どうもどうも」と父
「覚えてますよね。デイサービスで送迎してたドライバーですよ。わー会えてうれしいなあ。」
「もちろんです」今度は覚えていた。
「今日は知人のお見舞いに来たんです。Yさんはこちらにいらっしゃるんですか。」
「面談で来ました。毎日お世話になってありがとうございました。」と私
「そうですか。Yさん、頑張ってくださいね!またお会いしましょう!」とおじさん。

ドライバー運のある日だな。どちらのドライバーさんも、しゃがんで車いす目線で親し気に話してくれた。

意外な外の顔

そもそも、私の知る限り、父は家族が何か聞いても答えてくれず意思疎通の難しい頑固者で、冗談も通じない無口な人だった。しかし、こうして父の生活に近づいてみると、わりと人付き合いの好きな人らしかった。ケアマネさんも父との信頼関係がしっかりある。家族以上かもしれない。

退院時にもらった病院の報告書にも、「人とかかわることが好きな穏やかな方です。」と書かれていた。
全く初耳だぜ・・・。と思う娘。

ついつい気持ちを置き去りに

ぴかぴかで広い老健からガランとしたザ・昭和な感じのショートステイ先に戻ってきて、お昼の時間になったから、私は実家に引き上げた。

土支田の空は広く、電信柱と電線のシルエットが曇り空に浮かんでいて、とりちゃんたちがたくさん止まっていた。自転車を止めて中途半端に撮った写真。ちょい修正。

実家に帰り、電話で医師・薬屋さん・施設・ケアマネさんらと今後の打合せをし、母の方のいろいろに付き合って、やれやれやっと自宅に帰ろう。と思ったが、ふと

「父は本当にあの老健でリハビリをしたいのだろうか?」
と、いう疑問が心に浮かんだ。

私は父と話すのが苦手なので、限られた時間でやるべきミッションを片づけることを優先して、肝心の父の気持ちをきちんと聞いていなかったと気づいた。

それで、もう一度、自転車で父のところへ戻り、アイス最中を半分にして食べながら、少し話をした。
「さっきの老健、どうだった?入ってみる?」と聞いてみた。父は「やるよ」と言う。そうか、よかった。

「ここ(昭和風なショートステイ先)に住むのはどう?」と聞く。ここにも特養がある。家からも近い。このままここに住むこともありと言えばありかもしれない。父は、
「もうここは飽きた。嫌じゃないけど、何もないし。」と言った。
私が見たところからしても、他のご高齢たちは、ほとんど反応がなく、ぜんぜん活発ではない。集まっても何も話さないし。

それに比べると父は元気ではっきりしている方だ。基本テレビっ子だが、一日二回、時間を決めて、自分で車いすを押して施設の端から端まで往復し、タイムを計っているという。

友達候補

「でも、一人面白い人がいてさ、多分、食堂の角の部屋の人だと思うんだけど、足が悪い男の人なんだよ。食事の時に一人で車いすで来るんだよ。
あの人はなんか面白そうな人だなと思ってさ、俺も一人で車いすで行くから、見てたら、ああ、あの部屋の人かなと思ってさ、、、」と言って、父はメモ帳を出して来て、ゆっくりゆっくりページを繰る。
たどたどしいひらがなで名前が書いてあった。わすれちゃうから書き留めたんだな。と、少しジーンときた。

この施設は若い人で障害のある人も滞在しているのだが、その人は40代ぐらいの人らしい。

「たぶん、この名前かな、と思って、この間、〇〇さんですか?って声かけてみたんだよ。」
「へえ!積極的だね!」と私
「そしたらさ、そうです。って。だから、足悪いんですか。って言ったら、そうですって言って、その人も俺の脚見て、足悪いんですか、って言ったんだよ。その時はそれだけだったけどね。」
「なるほど。じゃ、話できそうだね。」
「まあ、いずれ話そうと思ってる。」と父がいう。そして、「職員の人ね、岩手の出身の人がいたんだよ。」ともいう。

私は父のことを何もしらなかったんだなと思った。
そんな社交的な面があったのか。確かにデイサービスでも仲良しの将棋のおじさんがいたみたいだし、、、、。

家に帰りたい?

「家に帰りたい?」と、それまで聞き辛かったことを聞いた。父は急な入院のあと一度も帰っていない。知らない場所に次々入院、入所させられている。
「別にいい。諦めたから。でも一度は帰りたい。だって何も整理もせずに出てきたから、一度帰ったらもういい。」という。
「実は来週、先生の往診があるから外出して家に帰ることになるよ。」と言った。
「あ、そう。いつ?ふうん。それはいいね。」
老健が終わったときに家に帰ってきて、好きだったデイサービスに行けるようにと祈る。

後から考えるとなんだか涙が出ちゃうんだよね。どうしてかな?と思って書いてみた。

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2023.10.15
この時、縁のあった人たち、みんな父によくしてくれた。ここあと2度と会うことはなかった。切ないなと思う。父は家で雑談をする人ではなかったし、入院先や入所先で、対応する人に怒ったりもしたそうだけど、たくさん良い人に出会って幸運だったんではないかな。


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