12 ステロイドパルス開始:病気の解釈とフィールドワーク
ステロイド治療開始
昨日からステロイドパルス療法なる治療が始まった。細かい診断はさておき、いずれにしても治療法はこれだけだし仕方あるまい。
ステロイドというのは、腎臓の絵で見ると、腎臓さんのお帽子のように見える小さな臓器「副腎」というところから出るホルモンで、もともと体にあるものです。副腎はほんとにかわいいです。腎臓愛、生まれると思う。お帽子かぶった腎臓を解剖図で見たら。うん。
で、ステロイドの「大量治療」と「パルス治療」というのは違うらしい。パルスの方は超大量(私の場合500mg!?)のステロイドを3日間投薬し、そのあと錠剤になるみたい。これは副作用が少ないということでポピュラーな治療法だそうです。(後日談。ステロイド服用終了まで3年かかった・・・)
ステロイドって一時、万能薬としてもてはやされたが、投薬後に重篤な副作用の可能性があったり、薬を急にやめてしまうことによる副作用やリバウンドがあって、諸刃の剣と言われているよね。自然派の人にはむしろ敬遠されている。私もそうだった。でも、かゆみや痛みなどの症状で少量を処方されることは多いと思います。例えば夫は喘息の吸入で薄ーいステロイドを使っている。量と期間によって安全度と危険度はまちまちなのかなと思う。
ググってみると、ANCA関連血管炎にはステロイドと免疫抑制剤がよく一緒に使われているようだが、免疫抑制剤は処方されなかった。
3日間、ステロイド剤を生理食塩水に薄めて100mlにしたものを1時間かけて点滴投与する。今日はその2日目。
「点滴曲」を決めた。点滴の時にイヤホンで聞く曲。上原ひろみの「MOVE」というアルバムを聴きながら一時間目をつぶって点滴が効く様子をイメージすることにした。なかなか集中力がいるけど、途中で自分のイメージと曲がばっちり合うと感動する。傷んで焼け野原になった組織を美しいメロディラインにのって細胞たちがぴかぴか修復していく様子をNHKで仕入れたCG画像っぽく脳内に再生する。
途中でホメオパシーのステロイド対応のレメディを一粒なめる。ステロイドが入ったよと体に知らせるレメディ。気持ちアップする。
体全体のホルモンバランスは変わってしまうだろうけど、腎臓さんと肺のほそーい血管で働きすぎている免疫を抑えるため、人工的に体全体の免疫力を下げる。
病気の解釈
原因不明と言われる病気になぜなったのか?私の想像はこうだ。
長い間、私が自分の中の細かーい小さな恐怖を受け止めず、自分のものとして認めてこなかったから、免疫が私を守ろうとして、小さな恐いものに向かって攻撃している。私が恐怖に感じているのはほんとは小さな自分自身なのに、それを認めないから自分を攻撃してしまった。
だから、今、私自身が体のためにできることは、「小さな恐怖も自分なんだよっ」て心で気づくことじゃないかと思う。言葉で書くとおおざっぱだけど、今その作業をしている。
もう一つの想像は、最近自分の生活について抱いていた「何か違う感」の解決方法として、私自身の生命力が選んだ最終手段なのかも知れないってこと。自分を破壊して再生したい。そのプログラムを走らせて、自ら病気になったのかなと思う。これだけの事にならなければ、私は自分を変えることができなくて、道を失ってしまったかもしれない。入院するまでには沢山の小さな(でも自分には大きく感じる)恐怖や不安を消化しなければならなかった。小さな恐怖に向き合うことができたこと、それはある意味僥倖だと感じている。ほんの小さなつまらないことばかりだけれど日常生活ではできなかったことができた。
病気と向き合うのには、毎回チャレンジがあって、それは私にまさに必要なプロセスだと思っている。
最近の恐怖体験
恐怖といえば、同室で昨晩事件があった。
そして、そのおかげで、小さな恐怖がうわーっと大きな恐怖に膨れ上がるのを実感した。
昨晩、向かいのベッドに新しい人が引っ越してきた。全介護のおばあさんだった。来るなりおむつを何度も変えなければならなくて、からだを動かされる度にイタタタタタって大きな声で叫んでる。とても気の毒な人のようだった。
看護師さんが何人もかかってベッドに運んだが、ちょっと触っても腰が痛くて叫んでいやがるので、おむつの中のものが大変な騒ぎになっていたようだ。
私は隣の部屋で恐怖におびえた。ステロイド1日目、医師にも看護師にもとにかく免疫が下がりに下がるから「ばい菌」に気を付けるように、感染に気を付けるようにと散々言われている。でも自分がどの程度弱くなっているのか皆目見当がつかない。
「普段はなんでもない菌などに感染しやすい」と説明されたから、マスクはもちろんしているけれど、手を洗ったりトイレに行く度にカーテンに仕切られただけの部屋の中を歩いていかなければならない。
神経質のボリュームがわっと上がって、泣きそうになった。
医師たちは肺炎などを心配している。でも私は自分のバリアが弱くなって皮膚とか目とか鼻とかそんなところに何かばい菌がついたら!と思うだけでも恐怖だった。うんこは大地には栄養だけど、ばい菌がたくさんだし、おばあさんは咳もしているし。気の毒だけど困る!
そしてこの堪らないにおい・・・これがまた怖い。試練だわ!
もう消灯が過ぎていたけれど、ナースステーションに行って、向かいの方には申し訳ないが、今日初めてパルス治療を受けていて不安を感じてしまうってことを話した。看護師さんは、目の前でおむつ替えや咳をされなければ手洗いうがいで大丈夫だけど、気になりますよね、、、と同情してくれた。除菌スプレーなどは病棟用はないというので、急遽一階のコンビニにそういうたぐいのものを買いにいくことにした。
「コンビニは人が出入りするから要注意」という説明もあったが、矢も楯もたまらずマスクをして上着を着てエレベータに乗る。
もう誰もいない大きな病院。腎臓の傷はまだ完全じゃないみたいだから、そろーりそろーり歩いて、コンビニに行って、抗菌ファブリーズと手ピカジェルを買って帰る。これは旅です!
気づいたことには
部屋でいろいろなものにシュッシュとしたら、隣の人が「あーいい匂い!大歓迎です!」と言ってくれた。怒られなくてよかった。手ピカジェルと、もともとあった抗菌濡れティッシュでいろんなものを拭いているとき、
あ!
と、思った。
これがまさに「小さな恐怖に過敏すぎる」って状態なんだ!
小さな恐怖と不安のおかげで、先ほどまでの幸せな気持ちがどこかへいってしまった。アドレナリン出てるよね、今。自分を何とかして守らなきゃっていう戦闘モードが過剰に反応する免疫細胞のイメージにシンクロする。何もかもが危険に見える。コンビニの店員さんの手、お金、自分のシーツ、どれを見てもアラームがなってる。きっとこのままだと、私は自分を守るためにめくらめっぽうに銃を乱射する奴になってしまうだろう。
落ち着こう!
向かいの人のせいでこんな風に脅かされているけれど、ほんとは、
これは自分の中の反応なんだって思った。
不安や恐怖を自分のものだって認めてみよう。
不安と恐怖をよく見て、何がわからなくて不安なのかを考えてみよう。
まずは、明日、先生にどの程度感染に気を付けるべきか、この状況の不安を伝えて意見を聞いてみようと思った。
今朝、回診に来た主治医に後でお話しがあるから来てくださいと言って、話せた。結果、感染については、同じ治療をしながら外で生活する人もいるし、気にせずマスクを忘れちゃう人などがおり、ちょっときつめの注意をしている。私の状態ならマスクしてるし手洗いで十分防げるし、皮膚や目などの感染もそれほど気にしなくて大丈夫です!と言ってもらった。そして、
「すみません。ほんとに昨日はごめんなさい。こちらの方はこの部屋に来るはずではないんですが、昨日どうしても部屋が開いていなくてやむを得ず、、、ほかの方もびっくりされたと思います。すぐほかの部屋へ移動する予定のなので心配しないで。」と言うことだった。
それで、私は安心して、隣の人とも少し距離がまたいい感じで縮まったし、全介護のおばあさんを看護師さんたちがどれだけ優しく、大変な看護を心を込めてしているかを耳から学べたので、これも何か意味があったのだと思うことにしました。
おばあさんは昼間は透析していたようで、いなかった。そして夕方移動した。息子さんらしき人が夜、お見舞いに来たので、お引越しされましたよ。と伝えた。
お向かいには次の患者さんがすぐに引っ越してきた。吐き気かな?具合が悪そう。
看護師さんが面倒みている。天使だな。ほんとに。
ここは病院だから、私のような気楽な病状の人はラッキーだ。
で、書いてる途中で血糖値を図りに来たら、なんと三倍も上がってた!
ステロイドのせい。ということでまたインシュリン。
糖尿病の人の気持ちが少しわかりました。これはまた書く。
明日は寒くなるって隣の人が言ってる。みなさん暖かくして出かけてください。
写真は運動量の単位メッツ表。知ってた?私、病気になる前も5メッツだったな。ダンスが5メッツでよかった。これ目指す。
そして、夕ご飯に風味しょうゆと大根おろしが出たのでうれしかった!(ぶりの照り焼きについてた)そして「ブタピーチゼリー」だと!?
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