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18 ノリノリで生産的な活動をする入院患者

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マガジン「闘わないで楽しい入院生活」
原因不明の病気で腎臓を患い突然2ヶ月の入院生活を余儀なくされたアレクサンダーテクニーク教師の楽しい入院日記です。しょっぱなから闘いを放棄し、病院で三食を美味しくいただきながら人生を振り返ったり、病院の風景を観察したりしながら自分を癒す過程を綴る。2017年10月〜12月までの日記です。

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病気の世界に行くのが怖かったけど

2017•10月某日 @病棟

病院での1日は朝早く夜早く、そして昼は時間がたくさんある。
普段はあまりやりとりしない人が応援メッセージを送ってくれたり、友達がラインやメッセンジャーで話しかけてくれたりする。わりと深い話とか、たわいもなく楽しい話とかする。
私、いつも忙しかったから(だからと言ってそんなに生産性が高かったわけでもないんだけど、やりたいことがたくさんあって時間に追われていたんだよね。)

それで、最近気づいたことなんだけど、私は自分が難病にかかる以前はこう思っていた節がある。(病気 −入院するような大きな病気− になった人は、自分とは別の世界に行ってしまうみたいだ)って。。。そして病気になって怖かったことは、自分は「普通の世界」とは「別の世界」に行くことになるんだってことだった。もう今までいた世界の住民ではいられないのだという切羽詰まった感じ。危機感。でも、そんな考えって狭い了見だし、病気にの人に対する差別的じゃないかよー!と気づいた。キャー!
自分が病気でない人の世界にいるって思っていて、病気の人の世界と一線を引いて(!?)分けて考えていたんだよな。できれば自分はそっちに行きたくないと思ってたんだよね。そもそも私は健康優良児でもなく病弱な子供だったのにだよ!驚くわ!なぜそんなふうに考えていたかと言えば、病気になるのがものすご〜く怖かったからなのだなと思う。

思い込みって強烈だな

本当に、本当に、怖かったのだな。自分の世界に、「病気」を入れたくなかった。できるだけ遠ざけていたかったのだよね。そんなに「病気」を恐怖に思っていたなんて自分でも驚き。
病気になったときの信じられない気持ち、、、ああ私はもう今までの私ではない・・・っていう絶望感。荷物をまとめてその場から立ち去らねばならないような、、、、参加していた何かのイベントの途中で突然退場!みたいな感じだ。(イベント?イベントって、人生のことだよね。プププ。人生は終わってないのに〜!!)
他の人は病気になっても、自分はならないと思ってたよ。いやもちろん、体の仕事してるってのもあるしね?自分の面倒自分で見る研究してるってのもあるよね?でもそれとこれは違うよね???人生なめてんな・・・。

思い込みがあったんだな。頑なで、意固地。で、それって愛がないよね?生きるための潤いが乾き切ってカラカラになってこびりついた汚れのようになってしまった思い込み。いやーん☺️

差別ってそういうところにあるのかもしれないな。自分がそうなりたくないから、世界の一部をシャットアウトしてしまう。自分には関係ないって思いたい。でも、世界は線を引いてここから向こうは別なんて紙ぺらに書いたようなものではなく、どうしようもなく有機的に繋がっているし、渦中に生きてたら、自分がどことどう重なっているかもわからない。わからない中で主体的にもなれるし、そうでなくもなれる。とにかく生きていく。
自分がどんなところに流れていっても、例え病気になったとしても、主体的になれる。そして存在として元気でいることができるんだということを私は学んでいると思う。

病気の人に話すとしたら

誰かが病気になってしまったら、ただ何気ない普通のお喋りしたらいいなって思った。わたしはそういうお喋りがとてもとても良い時間だった。病気のことを聞いてもらうのも、病気と関係ないことを話すのもよかった。もちろん、病状や人によると思うけれど、病気だからといって何か特別なことを言ってもらわなくてもいいと思う。早く良くなるようにって言わなくても、いいと思う。
私が今度病気の人と話すとしたら、今日素敵なものをみたよ。とか、もし相手が塞ぎ込んでいるとしたら、どんな人がお部屋にいるの?とか、窓から何が見える?とか、昔の思い出話とか、なんでもいいんだけど、目の前のことを話してもらいたいな。それは当たり前の今までの繋がった日常のことではなくて、もう少し違った次元のこととして。入院してる時間は、脱線とか不要なものとは全く思えない。それは貴重な「許されたおまけ時間」のように思ってる。ほんとうはいつも毎日が貴重な「許されたおまけ時間」なのかもしれないけれど、そのことに気づかない次元で生活している。入院したらちょっと違う次元に入ったから気づいた。これが下界(病院の外)だったら、気づいてもすぐに忘れてしまうだろうな。しみじみ。

今日の活動

なんかやる気が出てきて、今日は、メッセージのやりとりの他、病院一階にあるコンビニにお散歩に行って、ノートとノリを買ってきて、溜まってきた今までの食事のメモ紙(食事についてくる)を全部ノートに貼って、献立を図説し、そのデータから腎臓食について何かしら把握した。あるパターンが抽出された。おかずから得られるタンパク質は常にこの数値であるとか。

岩崎宏美の阿久悠コレクションをイヤホンで聴きながら、ノリノリでまるで版画を掘ってる宗像志功先生のようになってた私。岩崎宏美が終わったらマンボを聴いてまたノリノリ。
できた食事ノートを看護師さんに見せびらかした。

レントゲンの検査もした。
はがきを書いて送る、トレーニングする、お向かいさんへの差し入れ、などなどのやたらと生産的な活動をして、走り出したら止まらない自分を確認!笑

それで、勢い、ついに今までFacebookに書いてきたの「入院関連」メモ投稿のバックナンバー(ぷっ!)をリスト化した。
すごい。自分。えらい。誰が見るんだかわからないけど、えらい。
(これもステロイドの副作用だな。おそらく。アップする人、ダウンする人がいるという。私はアップ系の人だったということか)

写真は食事ノートと超うまいマフィン。いつもおやつはマフィンがいい!

マフィン


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