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神童とか呼ばれた子と、その後

※なんだかシリアスだし、ちょっと長いですが、良かったらお付き合いください。


私は小さい頃、神童扱いされてた。

きっかけは恐らく、幼稚園の年中の時の
ある日の先生との会話。

私「せんせい、10ひく20ってなーんだ」
先「はなちゃん、10から20はひけないでしょ」
私「え、マイナス10だよ」
先「…………」

その瞬間から、私の人生がどうやら変わったらしい。

幼稚園の保護者会で、10-20=-10と言った児童がいると園長先生が発表、
噂でそれが私だと判明。
我が子を私と遊ばせたい保護者たちが列を作ってたとかなんとか、後に母から聞いた😅

その時から私は、「すごい子」「いい子」のレッテルを貼られた。
母も私に期待し出したし、
「みんなに好かれるいい子になってね」
と100億回ぐらい言われた。

私は察しがいい子どもだったので、
母の望むことは全て先回りしてやった。
嫌がること、怒らせることはしなかった。
悪い言葉も言ったことがないし、
いたずらや意地悪もしなかった。
いい子で居続けた。

…色々書こうと思ったけど、とても面倒になってきたので省略すると、
小学校、中学校とそんな感じできて、ひたすら勉強を頑張ったし、全然怒らないので
「天才」「仏様」「菩薩」などの称号で呼ばれたりして、
私に手を合わせて拝んできた男子もいた。笑

母親も、
「はなはいつも100点取ってる」
「先生にいつも褒められてる」
と親戚に自慢げに話したりしてた。

でも私は嬉しくも何ともなかった。
というか、自分の感情というものがよく分からなかった。
分からないことにも気付かなかった。
やりたいことも、欲しいものも、よく分からなくていつもぼんやりしていた。
母親や先生の言うことを聞いておけばいいんだとずっと信じていた。

母は、何から何まで私の行動を指図した。
考え方、感じ方まで強制された。
(とある、行動制限が厳しい宗教もやってたので)

5種類のケーキが入った箱を貰って、
食べる人が5人いたとすれば、
私はいつも、
「みんな選んでいいよ、私余ったのでいいから」
と言っていた。
食べたいケーキを掴み取ることは無かったし、
どのケーキが好きなのかも分からなかったのかも知れない。

高校に入ったあたりで、母親と生まれて初めてぶつかった。
親も人間だと気付いたのと、
「なんか干渉し過ぎじゃない?」
ということにもようやく気付いたから。

そこで私は、心理学の本を読み漁った。
20冊以上、図書館で借りて読んだと思う。

すると徐々に分かってきたのが、
母が過干渉だったこと。
私がいい子を演じ過ぎていたこと。
自分の心が分からなくなっていること。

更に、
育児で一番良くないのが、過干渉。
次が、完全放置。
ということも知った。

だんだん自我が芽生えてきたものの、
私は自分の意思であまり決断や行動をしてこなかったので
(英語学習は例外だと思う)
進路を決める段階で、心が崩壊した。

何も分からないし、何も決められない。
与えられた課題はこなせる。
でも、自分の道がどうしても決められない。

バイト代でカウンセリングに行ったりしたけど
魂が抜けたようになり、フラフラしていた。

進学校だったので皆が受験勉強に勤しむ中、
高3なのに私だけバイトばかりしていた。

高校を卒業する時、大学進学しなかったのは学年で私ともう一人だけだった。

その後、一年間バイトをしてからワーホリで海外に行ったのだけど。
そのあたりで精神を病んだ。
かつて神童とか呼ばれ、物凄い期待をされたけど
20歳過ぎれば本当にただの人になった。



私はいまだに自分にすぐにダメ出ししてしまう。
自分を責める癖もある。

「自分に◯をつける」
「自分の感情を全て肯定する」
みたいなことを地味に今さらしている。


自分も子育てをほぼ終えて思うのは、
親が子どもにしてあげたらいいのはきっと、
そのままのその子を受け入れて、尊重してあげること。

素敵な家族旅行とか、そんなことが出来なかったとしても、
家で安心できて素の自分で愛されたら、一番心の栄養になるような気がする。
そして、強さに。

心が縛られて育った私は、
気付かないうちに物凄い無理をしてきた。
その歪みは、どこかの時点で何らかの形で出てきてしまう。
精神の病に罹ってしまって長いこと経つ。
服薬は多分一生。
もう慣れたとはいえ、やっぱり辛い時もある。


親を恨んだりしていないし、
今は感謝してる。
でも、出来れば神童扱いなんてしないで欲しかったなーとは思う。


まあいくつになっても、人生「今、ここから」なので、
前向きに頑張ります。ぼちぼち。




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