「理想の正解」さがしをやめて「最適解」で生きる
数日前のこと。
娘が 「せっかく楽しみにしていたのに、宿泊学習がめっちゃ嫌になった」と愚痴ってきた。
なにがあったの〜?ときいてみたら、
どうやらグループ分けとかその他いろいろで もめたらしい😅
渦中にいる本人たち、大変そうですが、これも含めて、「宿泊学習」!
成長に必要な学びだな、と、お母さんである私は、んだんだ、と
うなずきながら、娘にそっとエールを送っているわけなんですが✨
ふと、娘の話をききながら、気づきました。
娘たちのクラスは、いま、「理想の友人関係」とか、「理想の宿泊学習」と
現実のゴチャつきのギャップに 心を揺さぶられたり、へこんだり、
それはそれは、まだまだ 少ない人生経験と、小さなハートで、とっても
頑張って向き合っているわけなんだけれど、
私たち大人も、これって、ずーーっとあることだよなと。
「理想の生き方」とか「理想の働き方」とか「理想の家族」
「理想の見た目」「理想の子育て」「理想の夫婦」とか・・・・
「理想」って生きている限り、たぶん
誰もがそれぞれの価値観などを根拠に描くもので、
その人それぞれの、その人なりの「正解」みたいな感じで、
ドーンとあるわけさ。
ほんで、
多分誰しも、一度や二度は
その「理想」に向かって/「理想」が欲しくて、
行動したりすることがあるさ。理想のパワーはすごいよね🔥
ほんで、うまくいけばそれは、ハッピー!!達成感!やったー!!🥰
なんだけど、
時には、
「めちゃくちゃがんばってるのに どうしても自分だけではどうにもならんかった」😭
「頑張ったのに結果ついてこなかった」🥲とかで
「理想がやってこなかった」「理想通りにならなかった」
っていう経験も、あたりまえながら、たくさんあるわけさ。
そうなったときの、自分の気持ちの扱い方とか
折り合いのつけ方とか、向き合い方や乗り越え方って
もう、一生涯ついてまとう、課題みたいなもんですよね。。
私も、もちろんあります。仕事、将来、、、、いろいろ、ありすぎて。
「現世の私では間に合わないんでは?
生まれ変わった 私が たぶんいつか 取り組みます、来世で会おう!
とりあえずポイ!」
ってしようとしてるものもたくさんあります。やば😂(笑)
で、なんか、ふと思ったわけさ。
「理想」とか「正解」をさがしたり、追っかけたりするから 延々と苦しいんじゃないのか??と。
「最適解」でよくない??
とね。
「理想どおりにならんかった」→自分の努力不足、キャパ不足でした・・・
って 自分の落ち度を反省、もいいけれど、なんか湿っぽい🤢気持ち上がらないし、しかも、
「次はこうします!!」「やってやります!!」 ってまた上がってこれるだけのメンタルとか体力って、いつでも、いつまでも、あるもんじゃないさ??😑
ある意味「限りある資源」だと思うんです。
ポイントしぼって賢く使ってなんぼかな、と思います。
だから、
むやみやたらと なんでも全力投球!!ってするんではなく、
(したい人は、できる人はもちろんそれでいいけれど。)
時と場合によっては、
「もう疲れた~!!まいりました~!!」
「今やれるだけの「最適解」絞りだしました!
そこでやれるだけ、やっていきます! 」 で、じゅうぶんよくない??
って。
で、娘の話にまた戻るんだけれど、
私は言いました。
「あのさ、みんなが100%納得で、完璧ってたぶん、もしかしたら・・・一生懸命目指しても、無理かもしれないでしょ?? 誰か一人が怒ったり、人によっちゃ泣いちゃうことがあるかもしれないね。でも、それで、宿泊学習最悪でした!ってなったら、それ、、、悲しくない??」
と。
そしたら、娘は言いました。
「うん、でも、、みんな仲良く、うまく丸くおさめるのが正解でしょ、みたいな雰囲気だし、、でもAさんとBさんめっちゃ変な雰囲気なってるし~~ あーもういやだ~~めんどくさ!!」って。
ほら! これだ。「理想や正解探し追い」は苦しいだけなんだって。
「足ることを知る」で、今できうるベスト、「最適解」でいいんだよ。
小5には ちょっと難しいかなと思ったけれど、母は言ってみました。
「だいじょうぶ!! 機嫌が悪い人がいてもいい、それはその人が、選んでそうしてるだけ。自分で自分の機嫌は直すもんだから。今は無理でもちょっとずつやれるようになる。あんたも。そいつからそれを学んだらいい。とりあえず、今のままでなんとかなるよ^^ほっとけ~。」
「ママたちも、修学旅行の班決めとかで、余っちゃう子が出てきたり、なんかブーブー文句言いだすやつとかいて、クラスがへんな雰囲気になったことあったけれど、別に大丈夫だったよ。どうせどうにかなる。」
ちょっと、目からうろこだったようです。
「え? ほっといていいの??」「みんなが納得するまでがんばらなくていいの??」
って。
「いいと思うよ。だってこんなに頑張って悩んでるんでしょ。もう、じゅうぶんじゃないかなと思うよ^^」
(たしか、前にも書いたけれど、最初から「理想を捨てろ」 とか「諦め」とか、「開き直り」とは まったくもってちがうのよ。これ。
「今の自分にできることをがんばったよね」ってちゃんと、自分を認める「自己肯定力」なのだと、私は思っています。)
「最適解」だせたよね、って、等身大の自分自身に言ってあげる練習だったり、
頑張ったのに結果ついてこなかったときの、
ありのままの受け止め方や次へのつなぎ方とか、
いわゆる、自己肯定力をつける生き方とか
ありのままの自分にオッケー出す方法を
私たち、案外学校教育の中でうけてきてないな、と思いませんか??
だから、
いつまでも「ああすべきだったんじゃないか」
「ほんとはこうあるべきだったんじゃないか」
って、誠実で真摯で優しい人ほど傷ついて、後悔の念にかられたりして、苦しくなっちゃうのでは?
と感じます。
◯まだまだ足りないから、もっとがんばれ
◯至らない今を変えろ
向上心とか常に前向きな姿勢と言われれば
たしかに、そうなんだけど、これらのフレーズには「ありのままを認める愛」が入ってないのよ…😳
ポジティブとか、成長、日々精進!とかさ
確かにかっこいいけど、
いつもそうなれないから、たいてい、困るんじゃん🤣自分に嫌気が差して、自分にうんざりして、、
だから、つらいんじゃん😱
で、
自分にオッケーがなかなか出せないのは能力の問題ではなく、そもそも練習してないから、だとしたら
→じゃ練習しましょうか、って。案外シンプルな話?学校でやらないなら、BASEでやろうかな〜っつって😁
まず、自分、そして我が子、
そして縁があって私に関わってくれたり、出会ってくれる子どもたちには全力でそれを一緒にやりたいと思います。
何があるか分からない時代、をコロナで目の当たりにし、乗り越えた私たち。
これからは、
自分で生き抜ける心を豊かに育てて、みんなを世に送り出したい。親として、大人として、そう思います。
「今の自分は、最適解の成果にいる」
もっと自分の選択したことに自信もっていいんだよね。これが最適解だし、とたくさん自分に言ってあげようと思います。
生きてたらいっぱいあるじゃん。
たとえば、
転職、退職、離婚、再婚、起業、廃業、開業…そういう一大決心する系って。必ずしもすべてが100%理想じゃないときがある。
たとえば、
縛られるものがなくなったり
しがらみから解放されて、
心身は自由に、のびのび健康にはなれるけど、
ちょっと、お金はなくなるな〜😅💦とか。
でも、わざわざ足りないものにクヨクヨしてないです。
得られた時間と精神的なゆとりから来る健康が、
めちゃくちゃ、ありがたい。
退職した今、毎日噛み締めて生きてます。
健康だったら、とりあえず働けるだけ
長く、働けばいい。長く働いても苦じゃない働き方を続けたらいいだけじゃんね(^^)
宿泊学習まであと、二週間切りました。どうなるかな~ 無事に、有意義なものになるといいよね。
五年生^^
かげながら、応援しています。
そして、私にまた一つ、大きな気づきをくれた、娘との対話。
これもまた、時間のゆとりがあったからこそ受け取れたプレゼントだと思う。
ありがたやーです。
あのとき、働き方を変えた、という自分の「最適解」に🙆💮を贈ります(^^)