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結局、「支援しすぎない」ことが一番の支援だったりする。
昨日、こんな記事を書いた。
子どもの支援・地域教育事業をする立場から見たときに・・・
*「関わりが難しい、気になる」子は、家庭環境に課題を抱えていることが多い。
*それを認知し、さまざまな方法でアプローチをするも、家庭へは、なかなか届いていかない(家庭の協力が得られない。そもそもそこに関心の矢印が向いていない。)
*でも、やれることをやるしかないよね。→目の前の子どもたちにできることを、ただひたすらに、そして、家庭も、保護者にも見守りの目を向けて気長にやるのみ~
という内容だったんだけれども。
そうかそうか、なるほどね・・・
これって、じゃぁ具体的に、私あと何年やるのかな??と
昨日、寝る前に
私は、私自身に問いを投げかけてみた。
そしたら・・・
・今のかたち(自宅一階での小さな教室)は、あと10年ぐらいやるつもりで、その間に、「分校」をつくりたい!!
・そこは、週末や夏・冬休みに思いっきり食農体験やワークショップ、交流会、探究学習が楽しめる畑・工房で、贅沢言うならちょっとした合宿やキャンプとかもできちゃうような古民家っぽいコテージみたいなかたちにしたい
という返答があった^^
たとえばだけれど、沖縄の野草とかいろんな島野菜だとかふんだんに使ってクラフトコーラやクラフトビールとかソーセージをつくったりして、
ゆるゆるとキャンプしたいんだよな~・・・・
きっと、そのころには、わが子を含め、今BASEにいる子たちも 高校生~大学生。社会人だっているかもしれないよね。
スタッフとして、一緒に働く子や、ボランティアスタッフとして来てくれる子がいたら~ 最高だな~。。
・・・とかなんとか、思いつくままに泳がせてみた。
構想というより妄想に近いけれど。笑
あ、そうでした、そうでした。
やりたいことって、そっちだったよね~と^^
いろいろ、しっかりどっぷり向き合いすぎて、良くも悪くも、
視点が少し凝り固まっていたことに気づいた。
地域づくりとか、Coそだてとか打ち出して 活動を進めていくなかで、
地域課題に対峙したときに、「家庭支援」ってどうしても登場してくるんだけれど、「支援をしよう」って思いすぎたら、きまってうまくいかない。
教育現場も、それで疲弊してるんじゃないかな。
目の前の子どもとか、その家庭をどうにかしなくては、と思いすぎていまい、キャパオーバーに陥っているんじゃないか。
ボランティア団体が活動を継続できなくなったり、子ども食堂が閉鎖したりするのって、「支援しよう」って思いすぎることが原因じゃないかなと、皮肉な話だけれど、そう思う。
この状態を「支援疲れ」と呼ぶのかな??
と思っていたら、見つけた。ドンピシャだ。
それに、これって、
一所懸命、我が子の支援に向き合っている家庭のパパ・ママにもあてはまるかもしれない。
むしろ、パパ・ママは わたしたち第三者と違って、わが子事だからって、なかなか荷を下ろしにくい現状もあるだろうな。
もしかしたら、私が昨日記事に書いた「向き合ってくれない保護者」だって、かつては向き合ってたかもしれない。「支援疲れ」の果てに、そうなっているのかもしれないよね。
”目の前にあることに「向き合うこと」を日々がんばっているけれど、
しっかりと向き合いすぎて煮詰まったとき、
キャパオーバーになってしまったときに、一度、ほっとゆるめて
羽を休められる場所を、まず自分の中につくる。”
昨夜の構想ならぬ、妄想も、きっとそれの一種だ。しっかり構想へ育て上げ、実現させたい。
今日から、子どもたちの二学期が始まった。今、静かな事務所でここまで書いた。ちょっとまとまってないけれど、時間には限りがあるので、投稿する。
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