初めて日本の教会へ
話は前回からの続きです。
神様は、わたしにピンチの日が来るのを分かっていて、その前に教会に通うよう導いてくれたのかな?と思います。
わたしがいるよ。大丈夫だよ。わたしの元に来なさい。
っと。。。
その日曜日は、ああ神様がいて良かったーー
心底思いました。
そのことがあったしばらく後だと思います。
わたしは、日本の教会に出入りするようになりました。
当時、わたしと同じような『英語わからないけど米軍のチャペルに行っている』人たちを危惧した知り合いの知り合いクリスチャンが、彼女の通う日本語の教会の日本人女性に、わたしたちのために聖書の学びをしてほしいと掛け合ってくれて、それで日本語の聖書の学びに行くことになったのです。
日曜は、朝は基地のチャペルで、サンデースクールと礼拝、午後は日本の教会で聖書の勉強会。
そんな日々が始まりました。
一年半弱ぐらい。。。
その日本の教会は、夕方の礼拝もあり、毎回勉強会の後やんわりと勧められまして、、、
何度か目の勉強会の後、行ってみることにしました。
😨 ショックでした
そこで歌われている賛美の歌が日本語だったから、ゴスペルの意味が日本語でバッチリ入って来たからです。
子羊の血🩸
とか、血の血潮🩸🩸
とか。。怖いっ😱😱😱
アホか?
って話ですよね。
今思うと。
結局わたしは英語を全然心で受けておらず、毎週米軍基地のチャペルでゴスペル聴いたとて、真似して歌ったとて、ぺっらーーーーーん
としか感じていなかったってことがこの日分かりました。
こんなこと歌ってるんだ‼️
十字架の重みっていうか、
聖書の奥義ってかを思い知った出来事でした。
また、その日本語の学びは、その後のわたしの信仰生活にバリ役立ちました。
初めての日、その教えてくださった方が言った言葉を今でも覚えています。
「クリスチャンになって、クリスチャンにつまずいたらダメよ🩷イエス様見上げるのよ」
Amen!!!🙋♀️
ほんと、その通りです。
人につまずいていては、損です。
いろんな人がいます。
同じ教会に通っていても、
へ?
って思う人います。
クリスチャンも所詮はただの人間。
完璧な人なんてイエスキリストしかいないんです。
人を見なくていいんだな、
学び会には毎週行きましたが、その後の教会の礼拝へは行ったり行かなかったり、、あんまり行きませんでした。
なんか、よそ者感を感じていました。そこの教会の人たちの輪に入れない感があったんです。
でも、そこは気にしていませんでした。
人じゃなくて、神様!
そのガッツリ感に支えられていました。
今日はここまでにします。
今日もみなさん良い1日を!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?