海に眠るダイヤモンドと故郷
◉住んだことはない故郷
私の生まれは長崎だ。とはいえ転勤族だったので母が里帰り出産した形だけれど。
どこに住んでいても毎年夏休みは長崎に帰った。
母方の親戚は山の上の方で自営業をしていたので浦上の家はばあちゃんが一人で住んでいた。数年前に別の場所に移り住んだが私が子どもの頃帰る家は浦上だった。お線香と畳の匂い。裏山側の窓近くの謎の2畳くらいのスペース。広いお風呂とベランダ。ビニールプール。家の前を流れる川。川独特の匂いが今でも思い出される。
◉原爆資料館、精霊流し
一度私が学生の頃、夏休みの宿題で戦争のことについて聞いたことがある。ばあちゃんは話したくなさそうだった。言葉少なめに話してくれたが、もうその表情だけで充分だった。
自分の子どもが小学生になったら連れて行こうと🐕が10歳になった夏、二人で原爆資料館へ行った。
見終わったあと🐕は
「長崎でこんなことがあって悲しかった。
自分が大人になって子どもが今の自分と同じくらいになったら連れて来たい」
そう言ってくれた。
そして二人でチリンチリンアイスを食べた。
数年経ってもしかしたらもう忘れているかもしれないし、考えが変わっているかもしれない。
けれど毎年8/9の11:02はどこにいても短くてもいいから黙祷してねとお願いしている。
🐏は今年は児童館にいて、友だちと職員の方と黙祷をしてくれたらしい。
私の考え方を押し付けるつもりはない。
それでも自分が見てきた知識、思い、憲法9条のこと、いまだに日本は唯一の原爆投下国にも関わらず核兵器禁止条約を批准していないこと、変えてはいけないもの、自分の子どもたちには伝えていく。
その後どう受け取り判断するかは彼ら次第だ。
願うことは一つだけ。
戦争のない世界になりますように。
長崎のお盆についても🐕は自由研究でまとめた。
お供え物をござに巻くやり方、長崎のあらゆる方向から流し場へたくさんの船が掛け声や爆竹をならしながら練り歩く様子。
最後に帰った夏も家の前を様々な船が通った。
これだけの方々がお亡くなりになったんだ。
表に出てお見送りをする。
あのばあちゃんを覚えてる。まだ頭の中にいる。
春にばあちゃんが亡くなって、でも私はパニック障害で飛行機にも乗れず長崎に帰れなかった。
いとこが親戚用に全員の名前と家紋を入れたTシャツを作って送ってくれた。立派な精霊船にばあちゃんは乗せてもらって送られたらしい。
ばあちゃんは分骨されて帰ってきた。それでも私はいなくなってしまったことを受け入れられずにいる。
◉海に眠るダイヤモンド
日曜劇場でキャストも豪華。でもばあちゃんが亡くなってから長崎を思い出すことがつらかったので当初観るつもりはなかった。
そしたらいきなりの浦上天主堂…あのカットは近くにある公園から撮ってるな…見慣れた景色が映し出される。いつのまにか引き込まれていた。
1955年端島の魅力的なキャストさんたち。淡い恋模様。そして戦争の影。そこから現代へ。いづみさんは誰なのか。玲央と鉄平の関係は?
野木さん脚本の怖いところはその物語がフィクションではあるが実際にそうであった人々がいたということ。表には出てなくとも必ずその時を生きたであろう市井の人が描かれること。だから怖い。ただそれ以上に素晴らしいものを残してくれるから観るしかない。
4話は特に凄まじかった。
この1時間ずっと震えながら観た。
精霊流しという行事を通して各家族の戦争の部分が見えてくる。
投下の日、教会の手伝いに行った百合子たちは浦上で被爆し姉は亡くなる。その母親は10年後母親は白血病にかかり亡くなる。
浦上の上にもピカは落ちたんだよ!と台風の日にマリア様のペンダントを投げ捨てる。だから1話で浦上天主堂が出たのか。
宗教を信仰する人にとっても原爆が根源を揺るがすもので戦争がいかに理不尽に色んなものを奪っていったのかわかるシーンだった。
疎開して空襲で亡くなる14歳と16歳の子ども、出征して亡くなる20歳の子ども、原爆で亡くなる子ども、被爆したことで10年後に白血病でなくなるお母さん。みんな誰かの家族だった。
タモリさんが今は新しい戦前だと徹子の部屋で仰っていた。
フィクションじゃない。
あの日同じ宗教を信仰する人たちでさえ
原爆の犠牲になった。
和尚の言葉、国会議事堂に飾ってやりたい。
政を治める者は今一度考えてほしい。
同じ過ちを繰り返さないでほしい。
偉い人が決めて若者が死んでいく戦争なんて
二度とやってはいけない。
確かにいたんだよ。
そこに生きていたの。
今と繋がってるんだよ。
歴史にしないで。戦争があったことも原爆が落とされたこともこの日本で起きたことだよ。
野木亜紀子先生この物語を書いてくださって本当にありがとうございます。
これからも心して観ます。見届けます。