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2020年の日記を振り返る

 2020年のnoteはもう振り返って自画自賛した。

 noteからのまとめメールももらってそれについても書いた。

 そこで、大晦日である今日は、日記帳を振り返ってみようと思う。

1月

 序盤はまだ通常運転のようだ。12日(日)に「男はつらいよ お帰り 寅さん」を見に行ったようで、その感想がたった一言書いてある。

ゴクミの芝居が酷すぎる

 わたしの感想も酷すぎる…。

17日(金)に

ヴォネガットの「ハイチーズ」を読んでる

と書いてあるが、この本が見当たらない。見終えてどこへ片付けたのか1月のわたしに聞きたい。

24日(金)、「キャッツ」を見に行ったらしく感想が一言だけ書いてある。

ミストフェリーズが踊らない

サブタイトルのようだ。この、一言しか書かない映画の感想がなかなか面白い。

一月の総括に、ウィルスの蔓延で大騒ぎになっている、ということが書いてあった。

2月

15日(土)、映画「グッドバイ」の感想。

結末に向かってイカレすぎ

他、公私ともいろいろなイベントが中止になり、小中学校も休校になり、こんなんでオリンピックやるのかいな、というコメントが書かれている。

3月

家からほとんど出なくなった。日記にも大したことの書かれない日々が続いている。

3月の総括では志村けんさんが亡くなったことに触れて次のように結んでいる。

終わりの始まり。書き留めておくべきだろう。 

4月

日常は非日常となり非日常が日常にとって代わった。

4月3日(金)。note に登録し、同時にカクヨムに「雪町フォトグラフ」を公開した、と書かれている。(※カクヨムからは既に撤退した)(※そして復帰した…)

10日(金)には「noteと小説ばかりやっている」と書いてある。

中旬には純文学系の比較的新しい時代の作品を集中的に読んだようだ。「ソラリス」のBDを引っ張り出してきて再見し、原作小説も読み直している。それをnote に書き、ここから映画レビューを投稿し始めたようだ。

29日(水)にU-NEXT に登録している。それからほぼ毎日何かしらU-NEXTで映画を見ている。

総括では「世界はどうなってしまうのだろう」としながらも、

小説投稿サイトを始めた。note を始めた。U-NEXTも始めた。なにかが動き始めた気はする。好機だと思おう。

と結んでいる。

5月

 すごい勢いで映画を見つつ本を読んでいる。連日「〇〇読了。U-NEXTで「〇〇」」みたいなことが書いてある。日曜などは一日に映画を三本見ている日もあって、よほど暇なんだなと思われる…。

 短編と長編の改稿を同時に進めていたようで、特に長編の方に手ごたえを感じているコメントが書かれている。しかしこの作品は結局一次から選外になるという結果をたどった。

 SNSの誹謗中傷による芸能人の自殺、ウィルスのパンデミック、ミネアポリスの暴動などを挙げて次のように書いている。

世界が歪んできている。今こそ文学の出番だという気がする。無自覚を問う必要がある。

 そして勇んでその「無自覚を問う」テーマの長編を進めていた。

6月

 変わらず長編を進めているが、盲目的なハイテンションから抜け、この作品が抱えている問題に気付いたようだ。2日(火)に、「ジェンダー問題気になる」と書いてある。この作品は多様化が進んだ未来で、本来基本であったはずの「男女が番うことで子孫を残す」という事態が失われ、それを取り戻さねばならない事態を描いたものだったのだが、これが大いに時代に逆行していることを気にしている。逆行しているのではなく、行き過ぎて戻らざるを得なくなった世界を描いているわけだが、今の世界にこれを問うても時代錯誤も甚だしく見えるのではないかという問題に気付いたようだ。

 なお、この作品は不安を抱えたまま中旬に公募へ応募した。結果は前述のとおり、一次で選外という惨憺たるもの。

 相変わらず毎日U-NEXTで映画を見ながら純文学の作品を読み漁っている。

 下旬、応募した作品のジェンダーの扱いが気になったのか、トランスジェンダーやセクシャルマイノリティを扱った書籍を買い集めてきて集中的に読んでいる。

 30日(火)、アルファポリスという投稿サイトにアップしていた「雪町フォトグラフ」が同サイトの「第三回ライト文芸大賞」で奨励賞を受賞した。この賞は他の公募で言うところの最終選考で落選した作品に贈られる賞なので、「最終選考に残った」と同義。

 ぜんぜん読まれていない中でのこの成果は大変うれしかった。しかし、1700本ぐらいの中から13本に残ったという奨励賞なのに、これを受賞してもPVはまったく伸びず、アルファポリスでやっていてもぜんぜんダメだなと認識を新たにした。(何の賞も受けていないNOVEL DAYS でのほうが読まれているという事実…)

7月

「エチュード変奏曲」に「サイカイカフェ」の連作を書いた。「雪町フォトグラフ」のスピンオフという別設定を入れて愛着のあるキャラクタを登場させたりした。なんだかんだ、あの世界は自分にとってとても大切なものになっている。

13日(月)日記が一行しか書かれていない。

ひたすらサトウカエデ読む

200本以上あったサトウカエデさんの投稿を最初から全部読む、というどういう思い付きかよくわからないことを実行し、一晩中読み続け、読んだものに端から「スキ」をつけて行った。途中で「これ通知がキモいことになるんでは」と思ったけれどもうそのまま突き進んだ。

 その後、「こんな学校あったらいいな」に投稿する作品を書くため、イースター島のことを勉強したりしている。

 また、村上龍の「映画小説集」に登場する映画をU-NEXTで見る、というようなこともやってますね。

 7月の総括では、「noteになんとなく居場所ができた」と書いている。けっこう積極的に作品を投稿したことで何らかの手ごたえを得たようだ。

8月

 Youtube の「ブリリアントブルー」を見直した、と書いてある。Muse杯、乾杯のやつなど、引き続きnote 中心に創作を続けていたようだ。このころ、嶋津さんのサークル「教養のエチュードしよう」に入会している。日記には「嶋津さんのマガジンを購読した」と書いてあるけれどマガジンじゃなくてサークルです。当時よくわかっていなかった。

 Muse 杯を出し終えた後、次の中編を書くにあたり統合失調症の勉強を再開。統合失調症は友人が患っていることもあってけっこう勉強している分野で、これまでにけっこうな数の書籍を集めている。研究医の書いたもの、臨床医の書いたもの、患者の書いたもの等いろいろな方向から書かれた様々なタイプのものを読んで学んでいるのだが、それを再読したりしている。

 8月の総括には「完全にnoteの人だなもはや」と書いてある。

9月

 8月からある公募に向けて書こうとしている中編に苦しんでいる。全く書けない日が続き、日記は苦悩の轍みたいになっている。

 4日(金)

noteフェスレポ書きまくり

 完全に逃避だ。小説が書けないからフェスのレポートに逃げている。このレポートはものすごいボリュームで6本書いたのかな。現実逃避という要素が無ければここまで書かなかったかもしれない。

13日(日)

書けぬ、書けぬ、書けぬ。

 苦しんでおる。総括にも「大したことしてない。小説進んでない」と書いている。

10月

 リライト金曜トワイライト。2日(金)にアップしている。4日(日)、書いている中編について、

48枚まで。難解だ。おもしろいのかこれ。

 不安がっている。難儀しまくりながら書き進め、果たしてこれは面白いのだろうか、という不安を抱えたまま進んでいる。しかしこの後一気に書き上げ、11日にある公募への応募を完了している。(追記:これが「狂楽の回旋曲」です。一次落ち。)

ダメ元。イカレたものは書けた。

 13日(火)に「教養のエチュード」に向けた作品を書き、翌日に投稿している。これは多分note に書いたものの中では群を抜いてイカレているのだけれど、意外にも好評をいただき、15日の日記に「note 教養のやつ好評だぞ」と書いている。

 その後下旬には「逆噴射小説賞」に向けたものを書き、26日からは同人マガジン「東京嫌い」に触発されたシリーズ、東京90's を書き始めている。

11月

「旅する日本語」。これを抜けてからまたアイデア枯渇週間に突入し、「何も浮かばん」といった言葉が続いている。そして下旬からstand.fm を開始。

 細かくは何も書かれておらず、万年筆を新たに買ったことなどが書かれているぐらいだった。

 日記には書いていないけれど、詩を書き始めた。紙のノートに万年筆で書く、というスタイル。

12月

「シオンズゲイト」の改稿。手を入れすぎて連載が止まる事態。直しながら連載しようと思っていたのだけれど、かなり重要な要素をカットすることにしたため、終盤の展開を全部見直さないと齟齬が生じる。終わりまで改稿してからでないと公開できない気がしてきた。さらに、これは改稿したら面白さもなくなるかもしれず、そうなると全部見直して書き直さなければもはや成立しないかもしれない。

10日(木) クリスマストワイライトを書いている。日記には「賞無視のやつ」と書いてあるけれど、これはイケマツ賞の金賞という栄えある賞を頂いた。

トワイライトのzoomでの結果発表に音声のみで参加し、嶋津さんのサークルの忘年会に途中から映像ありで参加し、仲さん主催の大規模忘年会では最初から映像ありで参加した。

これによって涼雨零音は謎めいた人物ではなく、丸眼鏡のおっさんであると認識されたであろう。

まとめ

 2020年は涼雨零音にとっては、noteに出てきた年であり、twitter を始めた年であり、stand.fmを始めた年であった。本名の自分から独立したわたしが動き始め、新たな人格を持って活動を始めたような感覚がある。多重人格というほどはっきりと分断されてはいないものの、やはりはっきりと気分は異なり、本名の自分とはまったく違うコンテンツを作っていくという感覚がある。それはあまり意識せずともそうなっていて、やはり名前というものは大きな力を持っていると感じる。

 今年はあれこれ手を広げて軸がぶれぎみだったので、来年は少し腰を据えて取り組むものも増やそうと思っています。コンテストも、なんでもかんでも出すのではなく、自分の持ち味を活かせそうなところへ絞って動いて行きたい。本当はなんでも出せるようでありたいと思っていたのだけれど、今年やってみて、ちょっとそれは無理だということがわかった。器用に立ち回って書いたものはたいして魅力がなく、書いたという事実は残るけれどそれはあまり「実績」と思えるものではなかった。賞に絡まなくても「これを書けてよかった」と思うようなものを書ける場に絞って、ひとまず自分が満足できるものを書いて行きたいと思っています。

 どこかにも書いたように、わたしはnoteをSNSだと思っているので、作品を発表する場というよりも、作品を通じて他の書き手の方とやり取りしていきたいと思っています。強い想いをもって書いている方、note に吹いている風には合わないと感じている方などとも交流していきたい。

 今年やってみて、わたしも自分の作風はnoteには合ってないと思う。いわゆるnote公式のコンテストなどでの外しっぷり、岸田奈美さんのようなnoteメインストリームの感覚とのズレ、キナリ杯でのスカりっぷりなど、どうやっても合わんと思っている。

 が、自分の中でnote的には極北みたいなものがけっこう好評だったこともあり、おもしろがってくれる人もいるという実感がある。義理で読んでくれるわけではなく、ちゃんとこだわった妙なポイントを拾ってくれる人がいる。

 だからメインストリームに乗っかることがなくても、ここに書く意味はあると思っていて、同じようにnoteの雰囲気に合わないと感じている書き手さんとも作家論みたいなものを戦わせたりしながら切磋琢磨していきたい。

 おそらくこれを読んでくださっている方の大部分は、きっとわたしが今年書き散らしてきた奇妙な作品も読んでくれた奇特な方々でしょう。ぜひ引き続きお付き合いよろしくお願いします。

 サクッと一年の総括を書くつもりが五千字にもなってしまった…。大晦日にこんな長いものにお付き合いいただいて本当にありがとうございます。

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涼雨 零音
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