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そして、大人になる #クリスマス金曜トワイライト

 強烈な破壊音。ガラス。それもかなり大きな。コップとかそんなレベルじゃない。

 自転車で公園へ向かっていた僕は足を止めた。いや気づいたら止まっていた。止まってからガラスの割れる音を聞いた。そんな感覚。目に入ってくるもの。はだし。抱えられた青い豚。恐怖の後ろに覚悟を隠した顔。君の、顔。

 そこへ鬼。声をかける間も無く続いて視界に飛び込んできたのは鬼。この世のものとは思えない顔。貼り付けられた表情は喜怒哀楽のどれでもない。憎悪。殺意。地獄から世界を殺しに来た顔。

「乗って」

 叫んだのは僕だった。頭より先に身体が動く。ペダルを半回転させて君の横へつけ、君を後ろに乗せた。こんなお母さんが買い物に行くような自転車はダサいって思ってたけど今は感謝した。だって君を乗せられる。

 ペダルを踏んだ。鬼が殺しに来る。足は僕の意思と関係なく回った。弾む息。振り返ることはできなかった。踊る心臓。どんなにスピードを上げてもすぐ後ろについてきている気がした。熱くなる太腿。怖い。苦しい。背中に伝わってくる君の体温。綻ぶ僕の口元。僕は、楽しんでる?

「ごめんね。いつもは優しいんだけど」

 背中で君が言う。それがあの鬼のことを言っていると気づくのに少し時間がかかった。そうか。君も僕と同じなんだ。僕の親も鬼さ。鬼が人の皮をかぶってる。いつもは優しいんじゃない。鬼が眠っている間だけ、人になる。

 どこをどんなふうに走ったのかわからない。知らない町。空。星。僕らは人目につかないところを探して休んだ。君が豚を壊してお金を取り出したとき、本気なんだとわかった。僕が何を考えているのか、僕にはわからなかった。

 大人はみんな敵だ。もしこんな夜にうろうろしてるのを見つかったら、あの鬼のところへ連れ戻される。鬼たちは狡猾だ。優しい顔で言う。「困った子なんです」。大人たちは全員バカか鬼の仲間だから、夜出歩いている僕らみたいなのは「困った子」だと信じちゃうんだ。正義の味方みたいな顔をした警察官だって、「ちゃんとおうちに帰ろうね」とか優しい顔で言って僕らを鬼のところへ帰す。大人はほとんど鬼に食われてる。僕のばあちゃんの家へ行こう。ばあちゃんも大人だけど、たぶん鬼に食われてない。きっと、助けてくれる。

 左の肩にもたれて寝息を立てる君。甘いようで苦いような香り。僕は君を起こさないように気をつけながら右手を掲げて拳で月を隠す。細く小さい拳から覆いきれない月あかりが溢れる。

「この手にあの鬼どもをやっつける力があれば君を守れるのに」

 僕らは海沿いに走った。昼はペダルを漕ぎ、夜は廃屋や漁師小屋で過ごした。食べ物はショッピングモールやファーストフードで食べた。たくさんあると思った豚のお金はまたたく間に残り僅かになった。

 砂浜に絵を描いた。広い砂地はどんな夢も描ける画布だった。僕らは家の間取り図みたいなものを描いた。こんな家に住めたらいいね。鬼のいないところで。僕と、君と。砂に描いた家。僕らはままごとをした。砂に描いたカレー。膝にかけてくれたハンカチ。少し大人になった僕と君。満ちてきた波がみんな洗い流した。

 砂浜に落ちる影。二人の影は繋がって一塊に見えた。

「ね、あとどのぐらいかな」

 君が聞く。あとどのぐらいでばあちゃんの家に着くのかな。あとどのぐらいで、鬼のところへ戻されるのかな。あとどのぐらい、こうして君といられるのかな。

「もうすぐだと、思うよ」

 どういう意味でそう答えたのか、覚えてない。でも終わりは本当にすぐ訪れた。

 ショッピングモールで昼ご飯を食べていた。トイレから戻ると君の横に大人が二人立っていた。真ん中に派手なマークのある紺色の帽子。帽子と同じ色のベスト。水色のシャツ。あちこちのポケットからはみ出すケーブル。警察官だ。僕は見つからないように、他の客に紛れて近づいた。

「キミ、どこの小学校? 誰と来たの? 黙ってたらわからないよ」

 警察官に言われながら、君は座ったままで空になった皿を見ていた。同じ服装をした警察官が二人。一人が君に声をかけ、もう一人が無線でなにかを話している。聞こえてくる「保護」っていう言葉。そうさ。警察官は市民を守るのが仕事なんだ。でもいったい、何から守るって言うんだ。なぜ僕らをあの鬼から守ってくれないんだ。なぜ、鬼から必死に逃げてきた僕らを捕まえて鬼のところへ帰すのが「保護」なんだ。

 警察官に連れられて行く君を僕は見ていた。君は僕を探して周りを見回しながら連れて行かれた。僕はここにいるよ、それが言えなかった。僕の拳は、君を守れない。ならせめて出て行って一緒に捕まれ。僕は自分に向かってそう言ったけれど、足は動かなかった。声も出なかった。僕は走らないメロスだ。

 僕は鬼に食われた。これが、大人になるってことだとわかった。

 僕はペダルを漕いだ。なにもかもから目を逸らして、ただペダルを漕いだ。弾む息。踊る心臓。目に入る汗。背中に君はもういない。

 やがて僕はばあちゃんの家に辿り着いた。ばあちゃんが僕を守ってくれた。僕の身体は大きくなり、少しは強くもなった。それでも、僕は自分さえ守れない。華奢でしわだらけなばあちゃんに守ってもらうしかなかった。

 あれからどれほどの時が過ぎたろう。あの時走った道を車でなぞってみる。車で走るとすぐだった。大した距離でもない。大冒険だと思っていたけれど陳腐なロードムービーにもなっていなかった。

 僕らが夜を過ごした漁師小屋はもうない。街も様変わりした。でも夢を描いた砂浜と、僕を終わらせたショッピングモールは今もある。

 思えばあの日、僕は決定的に変わってしまった。連れ去られる君の不安げな顔がまぶたの裏に焼き付いている。砂に描いた家の間取りは思い出せないのに、捕まった君を見ながら隠れたあの場面は忘れない。あの日、僕は大人になった。鬼は外からやってくるんじゃない。内側に初めから潜んでいるんだ。僕がやっつけるべきはあの警察官でも、君の親でもなかった。僕の中にいる鬼だったんだ。あの日僕は負けた。あの時一緒に捕まっていたら、砂に描いたあのカレーを今ごろ一緒に食べていたかな。

 月明かりの波打ち際に裸足で立ってみる。足元の砂を波がさらう。描いた夢は跡形もなく消え、僕は少しずつ沈む。右手を掲げて拳で月を隠す。あのころより幾分太い腕。大きな拳。月が拳の向こうにすっかり隠れる。漏れ出てくる光はもう、なかった。

《了》

◇◇◇◇◇◇◇◇

[追記]

 この作品は「クリスマス金曜トワイライト」への参加作品です。こちらの作品をリライトさせていただきました。

なぜこの作品をリライトに選んだのか

 これがもっとも、恋愛っぽくなかったからです。恋愛っていったいなんでしょう。恋愛が理性で包んだ性欲だとすると、性愛につながらない恋心、第二次性徴を迎える前の子どもによる恋心みたいなものは、ある意味もっともプラトニックなものと言えるかもしれません。

 わたしには恋愛はよくわかりませんが、この物語に潜んでいる「何か」はとても「書きたい」と思えるものでした。なにより、課題の四本の中で、この作品が最も好きです。

どこにフォーカスしてリライトしたのか

 もともと、この元作品にはたして恋愛は描かれているのか、ということを考えました。主人公は小学生の頃の逃避行を回想し、「あなた」に抱いた恋心のようなものを感じている。でもそれは恋でもなんでもなく彼のエゴであり、彼は終始、自分のことしか考えていない。舞い込んだセンセーショナルな事件に乗じて自己実現を図っただけなのに、それに気づいていない。

 この主人公はくそったれだと思いました。わたしと同じようにくそったれだと。そして誰しもこのような「くそったれ」を抱えているのではないか、とも。

 そこで、この主人公がはっきりと自分の醜さを自覚している、という風にリライトすることにしました。彼には「あなた」の幸せを願う資格すらない。そのぐらいの裏切り行為をしたということを自覚している。それを後悔してもいるけれど、どこかで「仕方なかった」と言い訳もしている。彼女の方は、数日でも夢を見させてもらった、と思っているかもしれません。でも「だからトントンだ」と思うような男であれば、やはりくそったれでしょう。

 今、わたしもまぎれもない大人で、醜さもたくさん背負っています。かつて中学生ぐらいのころ、大人を嫌悪し、自分が否応なく大人になっていくのに絶望しました。でも、もともと子どもが全員純真なわけではない。わたし自身、子どもの頃から残忍さも醜さも持っていたのです。どこかに、それを自覚する瞬間があります。この原作にはそういう瞬間が描かれている。そう思いました。

 恋愛小説のリライトという趣旨からは大きく外れるものであると思います。ですがこの原作には間違いなく、子どもから大人になる途上で経験する、残忍な経験が描かれていると思いました。それをこそ、わたしは書きたい。

 当初今回は参加を見送ろうと思っていました。恋愛小説は守備範囲外で、自分らしいものを書ける気がしなかったからです。でも元作品の3本目としてこれが出てきたとき、これは書かねばならぬ、と思いました。

 原作にあった少年少女の淡い甘酸っぱさみたいなものを全部苦々しいものにしてしまったような気がします。それでもこのリライトは、とても大切なものになりました。またしてもこのような機会をくださった池松さん、そして読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

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涼雨 零音
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