『レモンドロップ』映像化のメイキングと解説(2/3)
大長編と化している『レモンドロップ』映像化のメイキング&解説。前回のはこちら。
今回はいよいよ実際の映像を作っていく部分を解説していきます。
カットの映像を作る
前回まででおおむね映像の流れが見えたので、約1分の映像としてこれを作っていくことになります。前回書いたように、絵はそれだけでは映像のカットにはならないので、まずはカットごとに「設計」をします。どんな絵を描いてもらってどのように「カット」にするかを考えるわけです。一例を挙げましょう。
これは池松さんのメモにあった冒頭部分のアイデア。主人公の女性が列車に乗っていて、扉が閉まる、というカットです。これをどうやって映像にするのか。
動くのは扉です。列車の扉なので引き戸で良いでしょう。ということは扉の絵をスライドさせれば良い。そこで絵を四つの要素に分けます。上から順に、
・列車の壁
・列車の扉
・人物
・人物より後ろの車内
という感じ。扉は列車の壁で覆われているので、見えない部分も少し大きめに描いてもらいます。そしてこれを組み合わせると…。
こんな風に。この動画はサラさんが描いてくれた絵をそのまま重ねただけのものです。池松さんのメモにあった「列車のとびら閉まる」が実現できています。このように、池松さんの見せたい映像をどうやって実現するのかをカットごとに考え、サラさんに絵を描いてもらいました。わたしのやったことはいわば通訳ですが、これはおそらく、普通の映像編集者を連れてきてもできなかったのではないかと思います。
あとはこの扉がどのように動くと「それっぽい」のかを追求していきます。プシュと圧縮空気の抜ける音がして扉は無造作に閉まり、エッジのところにつけられているゴムで壁にぶつかり、バタンと音を立てて一瞬跳ね返るみたいになる。それを再現して動かします。見ている人に音が聞こえたら成功。
さらに、列車の奥行き感、外面の質感、光と影のあれこれなどを調整して仕上げていきます。絵として出来上がっているものを「カット」として仕上げていく作業です。
実際にどういう風に仕上がったのかは映像で確認してくださいね。
ほかにも、サラさんが原画を公開しているカットの中から紹介します。
例えばこれ。膨らんだカーテンが風を感じさせますね。昼下がりの柔らかな日差しも感じられて、とってもステキな絵です。これはこのままでもいいんじゃないかという気はしなくもない。でもちょっと、いじってみましょう。
背景を少しボカし、カーテンを少しボカし、窓からの光を意識して暗く落ちる部分と光の当たる部分を追加しました。人物がぐっと前に出てくる感じ、わかってもらえるでしょうか。
このようにいくつかの素材を組み合わせてカットの映像を仕上げていく作業はコンポジットと呼ばれます。色や空気感などを調整する工程です。合成などもここに含まれます。コンポジットと編集は本来別の工程です。今回はどちらもわたしが担当しましたが、使っているソフトウェアが異なります。コンポジットに使っているのはAfter Effects というソフトで、編集に使っているのはPremire Pro というソフトです。
こんな風に、止め一枚のカットであっても、描いていただいた静止画だけで終わらせるのではなく、背景と人物を別々に描いてもらって細かい調整をしていきました。これによって、そこに「カメラの存在」が感じられるようになり、絵が映像になっていきます。こうして調整した絵をコンテで検討した長さのムービーファイルとして作ります。
このとき、編集ソフト上ではもうコンテの絵で作られた各カットのムービーが並んでいて、音声も並べられた状態になっています。あとは各カットのムービーをどんどん新しいものに差し替えていくだけです。編集というのは一般に映像作品を作る最後の工程ですが、アニメーション作品の場合は序盤に編集を行い、仕上がったものを逐次差し込みながら進めます。編集を検討しながら作画作業を同時進行で進めることで、短時間でも細部にこだわった絵作りが可能になるわけです。
レモンドロップのカット
この作品のタイトルは『レモンドロップ』です。そのドロップの登場するカットがあります。池松さんのメモ、後半の一番上に書いてある絵です。
「手のひらに ドロップ」とあります。サラさんの描いてくれた絵はこちら。
うひょー。前にもどこかに書きましたが、わたしこのサラさんの描く手が好きです。手って顔以上に表情がありますね。特に絵では手の表情にこだわるほど魅力が激増する気がします。
当初このカットは手のひらにドロップが乗っている、というだけのものでした。でもタイトルがレモンドロップだし、このドロップは印象的に見せた方が良いのではないかと思ったので、サラさんに、ドロップを握った状態から指を開くようなアニメーションを5枚ほど描いてもらいました。握っている状態から開くアニメーションを描いてもらえば、それを逆にすれば握る動作も見せることができる。落ちてきたドロップを握る、というカットを映像の最初に持ってきて、中盤では逆に握っていたドロップを開いて見せる、という風にしたら良いのではないか。
ここは手だけで指を開く5枚の絵と止まっているドロップ1枚、そして背景という風に分けて絵を描いてもらいました。映像の冒頭で落ちてきたドロップを握る、という動作はこれらの絵を組み合わせて作ったものです。
ラストカットに込められた三人のこだわり
映像の最後のカットには、池松さん、サラさん、わたしという三人のそれぞれのこだわりが詰め込まれています。アイデアスケッチを振り返ってみましょう。
断崖絶壁の上に立つ人物を、ドローンやクレーンによる撮影のように回り込んで撮影したい、というようなことです。
これはとても作画難度の高いアニメーションです。サラさんは絵が上手であることはよく知っていましたが、はたしてこういう複雑なカメラワークのようなものは描けるのだろうか、と思いました。アニメーションというのは絵が上手なだけでは描けず、「動き」ということを知っていなければなりません。人体や物体の動きはもちろんですが、このカットみたいなものはカメラの動きに対する感覚も必要になります。カメラが動きながらキャラクタがアクションをする、みたいなカットを実際のアニメでも目にすることがあると思いますが、そういうカットを描いているのはエキスパート中のエキスパートであることがほとんどです。プロのアニメーターでも非常に難しい。
ラフです、と言って描かれてきたものを見て驚きました。すげぇ。枚数的には最低限ではあるものの、カメラが背中に寄り、回り込みながら一旦離れて再び横顔に寄る、という動きがしっかり描かれていました。
サラさん、タダモノではないな…。
このカットは高難度である上に池松さんの中にいろいろこだわりがありそうでした。制作の序盤から何度も出ていたワードとして、「断崖」とか「火曜サスペンス」などがありました。このカットでやりたいことはなんとなく見えていましたが、やはりこだわりもあるので簡単にOKとはなりません。そこでこのカットはサラさんが二枚清書した時点でいったん止めてもらいました。上がっている線画と清書された二枚を使って組んだものを池松さんに見てもらい、イメージと違うところを徹底的に叩いてもらいました。
通常、画像処理の問題で、映像化するときに素材を拡大したり縮小したり、あるいは回転させたりすると画質が下がります。縮小は画質が下がっても密度が上がるのであまり気になりませんが、拡大はご法度です。
そこでここでは仮の素材のまま拡大縮小回転などあれこれ駆使して、池松さんのイメージに近づける作業をしました。本番素材を拡大しなくて良いように、拡大が必要ならばどのぐらい拡大しなければならないのかあらかじめ把握しておき、最初からその巨大なサイズで描いてもらう、という方法をとるためです。
このラストカットの冒頭、断崖に立つ女性の背中へカメラが近づいていくところは、一番寄ったときに100%のサイズになるようにします。つまり遠くにいるときはかなり縮小した状態で表示されている、ということで、これが果たしてどのぐらいのサイズであれば一番寄ったときに100%になるのか、ということを絵を描く前に把握しておく必要があるのです。
実に、最初に描いてもらった素材を470%まで拡大してようやくGoサインが出ました。ここでも実はすでに清書されている二枚は描きなおさなくて済むようにつじつまを合わせ、それ以外の絵を調整することでうまいことつなぎました。
あれこれ複雑なことをしてカットの方針が立ったので、それを整理してサラさんに描いてもらう素材のガイドを作りました。このサイズでこのぐらいの絵を描いてほしい、というのをアタリの画像としてお渡ししたわけです。複雑なことをやってもらうので説明だけだとミスが発生しがちです。意図がちゃんと伝わらなかった場合描きなおしになる可能性もあるので、なるべくわかりやすい参考を用意しました。
このカットではカメラが人物を中心にして回転するため、背景が複雑に変化します。単なる空を横に引っ張る、みたいなことでは対応できません。しかし全コマ背景を描いてもらうのはさらに難度も上がるし物量も増える。
そこで、足元の断崖が見えているカットは断崖だけ描いてもらい、空と海は一枚の止め絵を描いてもらいました。あとはそれを使ってなんとかする。
太陽はAfter Effects で作り、光と色の調整で夕日感を出しました。海と空は水彩風に描いてもらったものを使って光らせ、最後の夕焼けは池松さんの「燃えるようなオレンジに」というリクエストがあったので、これはコンポジットで調整しました。
こういう色の調整などは絵自体を直すと色を塗りなおしたり、描きなおしたりすることになりがちですが、コンポジットでできる範囲であればコンポジットでやると試行錯誤できます。オレンジ、もっと濃いほうがいいかな、ちょっと濃すぎたね、もっと赤めだとどうかな、ダメだね戻そう、とかいうことを低コストでできます。そのためコンポジットでできることをうまくコンポジット工程に回すことで全体の効率化が図れるというわけです。効率化すると言うと省力化→手抜きという方向に解釈する人が多いですが、効率化すると一般にその分こだわる時間が増やせるので、結果としてクオリティはより追求できるようになります。
まだ、終わらない。次回、第三回としてここで解説していないカットについても裏側を紹介する予定です。