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インプット→アウトプット #呑みながら書きました

 出遅れました第9回「#呑みながら書きました」。

 もはやこのためにnote をやっていると言っても過言ではないわたくし。完全にやる気全開でしたが出遅れました。

 18日、これに参加してました。

 池松さんにお誘いいただいて初のSpace ゲスト。スペースゲスト。スーパーヒローっぽい何か。疲労じゃねえ。ヒーロー。

 そんでこのやつで虚構の住人というタイトルでテキトーなことをしゃべったわけです。それについて呑みながら書くべなと思ってたのだけど呑みながらダベッてたら真夜中。べろんべろんでもはや書けず。

 そんで翌日になっちゃったので呑みながら後夜祭。というわけでヘッダーとタイトルと最初の告知リンクまでシラフで書いてからお酒を用意。

 本日のお供はヘッダーのやつ。知らない酒。ウィスキー。980円。なんか江別のイオンに行ったら980円のウィスキーいろいろあって、全然見たことないやつがいっぱい並んでたのでテキトーに飼ってkチア。飼ってきた。買って。飼わない。

 そのやつをオンザロックして呑み書き用にキーボードをHHKBに変更。最近はアーキスのマエストロっていうキーボードを愛用してるけど久々にHHKB。久々やわー静電容量無接点方式。なげー。奇跡的に誤字らないよ。ゴジラない。

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 準備万端整ってヰスキ=-、なに、ウィスキーかぽかぽ呑んでスタンバイ。まわるーまーわるーよおさけーがまわるー。中島みゆきっぽい何か。

 昨日書けなかったスペースの話題からなんか紹介するようなやつを書こうと思うんだけど、記憶はあいまいであるのよ。もしかしたらスペース聞いてくれた人が見たら「んな話はしてなかったんでは?」と思うかもしれないけど別の世界線ってことで諦めてください。

 インプットの話になったんですよ。池松さんが「涼雨さんはインプット量がヤバいんでは」みたいなことを言って、それについてわたくしめが何かえらそーなことをのたまおーと思ってたらのち古城、のちこ嬢が「そもそもインプットしないとアウトプットできないというのは本当なのか」みたいな根源的な問いを投げたわけです。

 災は投げられた。字よ。字。ゴジラない。意図的。

 根源的な問いが来たんで、さらに階層を下りたの、わたし。

 そもそもインプットって何をもってインプットと言ってるのか、というところへ。

 インプットアウトプットって言葉あるんだけど、どこへインするのか、どこからアウトするのか、ということがあまり明確でない。もちろん「自分」とかいう抽象的なものなんだろうけど、自分ってなんだよというところが曖昧。まぁ自分ではあるんだけど、例えばパソコンに音をインプットしてアウトプットすることを考えると、マイクからインプットしてスピーカーからアウトプットする、みたいな話あるわけですね。要はインタフェース。入るとこと出るとこが違う。

 食う、寝る、出す的発想でいけば「自分」に対して食い物が入ることを考えても、クチからインプットしてケツからアウトプットするような話あるわけですね。自分だけど入るとこと出るとこは違う。

 そんでわたしはインプットというとき、インプットされるのは脳だと思ってる。脳にどこからインプットするのかというと感覚器官。つまり感覚器官がなんか感じたものは全部インプットであると思っているわけ。究極的には。

 だからインプットと言ってすぐやれ本を読むだとか映画見るだとかなんか学ぶだとかそういう上位レイヤの話になるんではなくて、なんか知覚すれば全部インプット。朝起きて部屋が臭いとかもインプット。

 でね。なんかわたしはいい話をしたんですよ。スペースで。マジでこのキーボードだと誤字らないなわたいs。し。誤字ったわ。油断は金mtう。禁物。酒まあってきたかな。

 なんだっけ。いい話。そう。

 たしかジブリの入社試験の話。これ聞いた話だから自分が受けたわけじゃないんだけど、ジブリのアニメーターの試験って、やれけやきの木を描けとか、信号機を描けとか、電信柱を描けとかそういうのらしい。それを何も見ないで描かされる。どのていど、普段ものを観察しているかが問われるのだそうな。

 これってインプットなのよね。電信柱なんてみんな見たことあるはず。でもどこにどんな部品がついているのか知ってるかと言われるともやっとしてたりしない?

 この話、まさに似たようなことをアニメーターの森本晃司さんにも教わったことがある。どうやって絵の練習wおするのか、をするのか、という話で教えてもらったのだけど、まず絵に描く場所へ出向いてそこをよく見て覚える。そんで帰ってきて思い出しながら絵を描く。このとき、現地でメモ取ったり写真撮ったりしたらだえm、ダメ。記憶してくる。そんで家帰ってきてから記憶を頼りに描いて、描いたものを持ってもう一回現地へ行く。で、描いた絵と現地を見比べて、自分が何を「見落としたのか」を確認する、とおっしゃってた。

 すんげぇなそれ、と思ったもんです。観察眼ってそうやって鍛えるのか、と思ったよね。

 でそうやって日頃あれこれ気にしながら歩いてると、もうただ毎日駅まで歩くだけでも大変な量のインプットがある。今日はやけにミミズが出てるなとかカラスがひでぇ声でゲロ吐くような音出してるなとか犬のうんこかっさかさになっとるなとかニレの木にカミキリムシおるなとか歩きたばこのおっさんいろいろダメだろとか押しボタン式信号のボタンがフェザータッチになったなとか石畳の間から草生えてきたとか。あるわけ。

 シャーロックホームズの話もした気がする。ホームズがある日ワトソン君に、「君はこのアパートの階段が何段あるか知ってるかね」とかいうわけ。ワトソン君答えられないの。毎日のぼってるのに。

 すると例えば地下鉄の階段、13段のぼって踊り場があり、そのあと15段だったりするわけ。なんで14段ずつできっちり真ん中に踊り場にしなかったんだろ、とか考えるのだけど、あちこち階段数えながら歩いてみると、階段ってたいてい奇数段だってことにも気づく。

 毎日がインプット。同じような日々の繰り返しでも毎日違うインプットは得られる。今日は視覚に意識を向けてみよう、今日は聴覚、今日は嗅覚、触覚、味覚、とかできるわけ。さすがにその辺舐めまわしながら歩くわけにはいかんけども。

 そんな日々のインプットがなければ、たぶん「ユニゾン」は書けなかった。

 この小説は同じ形式別人格の一人称でそっくりのシーンを繰り返すということをやっていて、最初登場する人は聴覚的な人で音の描写が多く、次に登場する人は視覚描写が多い。そんで二人ともコーヒーを淹れるシーンがあって、まったく同じことをしているのだけど音中心の描写と映像中心の描写で差をつけている。

 日頃から五感に注意を向けて何がインプットされてきてるかを追いかけていると、他の人が見落としているものをいろいろ拾うことができる。インプットなんてわざわざする必要は無くて、単に自分のザルの目を少々細かくして、すり抜けていくものを減らすだけでいい。大量の情報が我々を通り過ぎているのだよ、ワトソン君。

 そんで日頃のこのフィルタ?というかザルですかね。自分んの中のザル。これを細かくすることで抜け落ちる者を減らすと、今度は本読んでも映画見ても入ってくる情報量がケタ違いに増える。電線にセキレイがいるなぁとか見上げて歩いてる人は、それに気づかない人よりも映画見て得られる情報が多いはず。

 だからインプットをどうこうするまえに、まずはスルーアウトをなんとかする。インプットしてそのままスルーアウトしてるものがいかに多いことか。それって食ったものがそのままうんこになるようなもんで、まったく消化されてないわけ。もちろん消化されないものが昇華されるはずもない。

 とまぁこんなことを書き散らしてきて、絶対こんなに長くしゃべてて、しゃべってないわと思うんだな。もっとあっさりした話しだった気がするけど、インプット、インプットって思ってる人ほど、たぶんスルーアウトが多い傾向はあると思うんで、インプットを見直す前にスルーアウトを見直した方が良いと思う。

 アウトプットはもう別に意識する必要はない。勝手に出る。前にもどっかに書いたけど、こういうことを感じたんだけどそれをどういう形で表現したものか迷う、みたいなことを書いたら「表現しなくていいんでは」って言ってきた人がいたんですよ。そういう人はね、出さずにいられないというタイプじゃないんですね。

 これも何度も書いてる気がするけど、モノづくりってのは病みたいなもんで、わざわざ作ろうと思って作ってるわけじゃないんだよね。日々いろんなものが脳に入ってきて農が、脳があれこれすると、なんか作らずにいられない。それを発表するかどうかはまた別の問題で、とりあえず自分の中で難かしらの形にしないと居られないわけ。

 だからそもそも論で言えば、インプットしないとアウトプットはできないのか、という議論よりもむしろ、インプットもアウトプットもしようと思ってするもんではない、ということかもしれない。日々を暮らしていれば勝手にインプットが溜まり、溜まれば不健康なことになっていくから出さずにいられなくなる。そんでとりあえずなんか作る。それを発表するかどうか、という段になってようやく理性の出番。これを出したらまずいかなとかいうことはその時に判断する。出したらまずいやつでも作るのはとりあえず作る。作らないと病むから。

 そんであれこれ出しているうちに、次第に出すハードルが下がっていって、どうでもいいような作品でも出せるようになったりする。洗浄便座の電池が切れた話みたいなどうしようもないやつでも出せちゃうようになる。

 という感じでみんなインプットだアウトプットだって気負わずにとにかく毎日を生きよう。生きてるだけでものすごい量のインプットがあるはず。自分を素通りしてるそいつらを拾え。今すぐ。もったいないぞ。


 どうでもいいけどマジでHHKBご自立、誤字率下がるのでオススメ。わたしが使ってる旧モデルが安売りされてるので貼っておく。アフィリエイトリンク。

 あれ。これキープらー、キープラー(キーボードのキーを外す工具)ついてるのかしら。わたしが買ったやつそんなものついてなかったけども。

 あと余談ついでに、この下の画像にはっつけたリンク、lit.linkのやつに飼えた。変えた。やたら飼えたたがるのなに。

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涼雨 零音
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