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めがね を めでる

 初めて眼鏡をかけることになった時、どんよりとした気分になったのを覚えている。たしか小学生の頃だ。学校で実施された視力検査でひっかかり、眼科に罹った。今もあるのかわからないけれど、わたしが小学生の時分、視力が下がる即視力矯正ではなく、「治療」という選択肢があった。それが両親の判断だったのか、わたしの希望だったのかは覚えていないのだけれど、わたしは視力の低下を食い止めるべく治療を行った。

 自分でも、めがねをかけるのは嫌だった。治療すればめがねにならなくて済むものだと思っていた。そして面倒だけれど眼科へ通った。

 後になって考えれば、さっさと矯正した方が良かったろうと思う。変にあがいたことでおそらくその後の視力低下が増進されたように思う。結局どのぐらい治療に通ったのだろう。詳しくは覚えていないけれど、けっこうあがいた。そして結局、さらに視力が落ち、もはや黒板の文字が読みづらいという事態になってめがねをかけることになった。この最初のとき、わたしは心底めがねをかけるのが嫌だったし、めがねをかけることになった自分を見せるのが嫌だった。めがねが自分の人生から何か輝かしいものを奪っていったような気がした。

 かつて「めがねは顔の一部です」というコマーシャルがあったのだけれど、うまいことを言うものだ。あっという間にめがねは顔の一部になった。めがねをかけていない方が違和感になり、めがねがないと自分が完全な状態じゃないような気がするようになった。まるで神様を分離された状態のピッコロみたいに。

 バンドをやっていたころ、いろいろな人に「めがねをかけるな」と言われた。それで一時期コンタクトレンズにしていたことがある。コンタクトレンズを初めて付けたときは、裸眼で世界が見える人ってこんな感じなのか、という驚きがあった。喜びもあった。でもめがねをしていない自分は完全じゃないという気分はなくならなかった。見えているかどうかが問題なのではなく、覗いた鏡に映っている顔の問題なのだ。めがねをかけない自分には何かが足りないという気がした。

 ロックバンドを辞め、ジャズバーみたいなところで演奏するのがメインになった。するとめがねをあれこれ言う人はいなくなった。むしろめがねは目立った方がいいような気がして、黒のセルフレームなど主張の強いものをかけるようになった。ビル・エヴァンスに憧れて。

 以来、四六時中めがねをかけている。風呂でもかけているし寝るときもかけている。iPhone のFace ID はめがねが無いとわたしをわたしと認識しない。文字通りめがねは顔の一部になっている。めがねをかけて風呂に入るとめがねは傷む。セルフレームは劣化するし、メタルフレームは腐食する。なにより、レンズのコーティングがやられる。それに気づいてから、風呂に入るときは古いめがねをかける。つまり風呂に入るときは別のめがねにかけ替えるわけだ。それから次第に、仕事に出かけるとき、特別な人に会うとき、自宅にいるとき、仕事をするとき、本を読むとき、風呂に入るとき、寝るとき。それぞれ違うめがねをかけるようになった。不思議なことにFace IDはめがねをかけないと認識しないけれど、めがねが別のものになっても認識してくれることが多い。

 めがねは顔の一部だ。その一部を交換するというのは、なんだか自分を着替えるような印象がある。服を着替える以上に、自分の何かコアの部分を少し変化させるような気がする。気分が大きく変わるのだ。ほとんど気のせいみたいな領域の話だけれど、気のせいで気分が左右されると世界まで違って見える。

 今、また新たに欲しいめがねがあって、先日お店を覗きに行ってきた。以前はブランドもののかっこいいフレームにえらい金額を出していた。しかもたいていそういうものを扱っているお店では乱視が入るとレンズまで追加料金を取られる。一本で十万円を超えるようなめがねも買ったことがある。でも今はほとんどJ!NSだ。これ誤字ではなく、J!NSのiは上下反転していてエクスクラメーションマークみたいになっている。J!NS だと、安いものは五千円、八千円あたりからある。高くても一万二千円とかそのぐらい。しかもその値段にレンズ代も含まれており、さらに乱視だろうとなんだろうと追加料金がない。

 なんということだ。なぜこんなに安くできるのだろう。今わたしがこれを打つのにかけているJ!NSは八千円だった。視力はもう三十年近く変化していないから、めがねは常に買いに行った日にかけているめがねを渡して、「これと同じ度で作ってください」と頼む。そのため手元にあるめがねはすべて同じ度で、かけ替えても疲れにくい。八千円のめがねと十万円のめがねをかけ替えてみて、たしかに気分は変わる。見え方には差はない。かつてはその気分の差に十万円出してもいい、と思ったものだが、さすがに年をとってきて、おなじ十万円ならこれぞという一本を買うよりも、八千円のを十二本買ってなんなら毎月かけ替える、という方が楽しいと思うようになった。

 J!NS に出向いて候補を絞ってきたので、近日発注しようと思っている。八千円。ちょっと価格的には普通の眼鏡屋さんでは太刀打ちできないぐらい安い。名のあるブランドのフレームを買うのでない限り、これでよかろう。(名のあるブランドの中では999.9(フォーナインズ)のものは、かけ心地がぜんぜん違うので高くても高いだけのことはあると思う)

 確かに最初の一本を買うまでは、さすがに八千円のめがねが信頼できるのか、という不安はあった。それまでわたしのめがねはレンズの追加料金だけで三万円ぐらい乗るので、安くても五万円を下回ることはなかった。それが八千円追加料金なしと言われたら、簡単には信じられない。でもそうやって買った最初の一本を今かけているのだけれど、もう六年ほぼ毎日かけていて何ら問題ない。

 なんだかJ!NS の宣伝みたいになったけれどそういうつもりではなく、めがねをたくさん持ってかけ替えると楽しいよ、ということで、たくさん持つならやはり安い方が買いやすいよね、というおすすめでありました。

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涼雨 零音
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