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また会える #リライト金曜トワイライト

 そこできみと再会するのは、なんだかとてもふさわしいという気がしたよ。渋谷のBunkamura にあるナディッフモダン。目利きの審美眼に耐える品ぞろえの書店。キャットウォークみたいな二階の写真集のコーナーで、静かに佇んでいたその表紙を見てすぐにわかったよ。きみだ。きみの目がとらえたものだ。奥付に書かれた日付はもう何年も前のものだった。

 ぼくはそこへ何を探しに行ったのかも忘れて、きみの写真集だけを買って近くのカフェに入った。こじんまりとしていながら背筋が伸びるような、英国風の紅茶を飲める店だよ。街の喧騒から離れてそこだけ時間の流れが中世で止まってるみたいなところ。きみと入ったことはなかったね。裏路地に面した窓際の席に座って、いつだったかきみが好きだといっていたフレーバーの紅茶を注文したよ。きみの撮った写真、きみの見た景色、きみの見た人、きみを見た人。それを眺めながら飲むのにふさわしいと思ったんだ。きみの写真集には盲目の人がたくさん写っていた。ファインダーから彼らを見たきみ。そのきみをきっと感じた彼ら。きっと彼らはきみを見たんだ。ぼくとは違うやりかたで。ページを繰るたび、一つ一つの作品に点字が打たれている。目の見えない人に「写真」を届ける。それがとてもきみらしい。きみが見たものをぼくも見て、ぼくはきみにまた会えた。

 覚えてるかい。最初に二人で過ごした日のこと。あれが何年のことだったかは覚えてないけれど、日付だけは覚えてる。12月14日。きみも忘れないだろう。赤穂浪士の討ち入りの日だとか言って笑ったよね。しかも後になって、西暦にすると1月30日だったとかいう話が出てきてまた笑ったんだ。不思議だね。あの日なにを話したかはぜんぜん覚えてないのに、赤穂浪士のことは忘れないんだ。思えばあのころ、まだ二十世紀だった。

「ぼくは」

 高校に入ってクリスマス・イブに誘ったら来てくれたの、覚えてるかい。あれ、ぼくはけっこう勇気を出して誘ったんだよ。きみはなんでもないみたいに、いいよって、笑ったね。高校生の間に他にも何度か、二人で過ごした。ぼくらはなんていう関係だったのかな。ともだち以上恋人未満なんていうと、まるで下から上への直線上にともだちと恋人が並んでいて、恋人の方が上にあるみたいだよね。でもそんな単純なものなのかな。ぼくには、よくわからないよ。

「いまでも思うんだ」

 大学へ進んで距離ができた。一度ほら、広尾の図書館で会ったの、覚えてるかい。試験の勉強をしに行ったら偶然きみも来ていた。久しぶり、なんて声をかけて、図書館の後は食事をしたりもしたよね。ちょっと背伸びをしておしゃれなお店なんかにも行ったんだ。ちょうどこの、きみがファインダー越しに見たパリの街並みにも通じるようなお店だった。覚えてるかい。写真家を目指して頑張ってたきみは、あのお店の写真も撮ってたよね。ファインダーを覗いて構図を決めるきみを、ぼくは飽きることなく眺めていた。世界を見ているきみを、ぼくは見ていたかったのかもしれない。

「どこかできみに」

 会社に入ってから偶然会った日のこと、覚えてるかい。あのころぼくはひどい状態だったんだよ。憧れて入ったはずの業界で、ハードすぎる毎日に夢もやりがいも見失ってた。周りの仲間は次々に倒れていった。上司も精神的に参っちゃってそのしわ寄せはぼくにも来るし、出口の見えないトンネルの中にいるような日々だったんだ。そんなときに、きみに会ったよね。あれはたしかきみのいた会社の入っていた古いビルだった。きみはマンガに出てくるがんばり屋の新人みたいな感じで、たくさんの資料を抱えてあたふたしてた。なんでここにいるの? って目をまん丸くしてたね。ぼくは思わず笑ったよ。ほんとにひさしぶりに、笑ったんだ。あのとき見たきみの顔はぼくを大いに救ってくれたんだ。ほんとだよ。

「伝えていたら」

 あのあときみもぼくも、それぞれに会社を辞めた。きみも、憧れて入った広告写真の会社だったのに、助手でもなんでもない、ただのお茶くみみたいな仕事しかさせてもらえないって言ってたね。ぼくらは二人とも、憧れて跳び込んだ世界でその憧れに見放されてた。やがてきみはフランスへ行って写真を学びなおすと旅立った。あのときのきみは眩しかった。ぼくを焼き尽くしてしまうほどに。ぼくは自分をふがいなく思ったし、正直に言うと、きみを少し妬みもした。がんばれよ、なんて月並みなことを言うのがやっとだった。

「どうなっていたろうか」

 免許の更新で会ったの、覚えてるかい。あれはおかしかったな。フランスに行ったはずのきみが目の前にいるんだもの。誕生日が近かったぼくらは同じタイミングで免許の更新時期がやってきたんだ。おたがいゴールド免許だものね。ぼくはきみを見て鼓動が速くなってたのに平静を装って、運命だね、なんておどけて見せたよね。きみは穏やかに笑ってくれた。フランスで写真を学んだきみはずっと知っているきみだけど、ちょっぴり知らないきみだった。きみが滞在している間に食事をしたよね。覚えてるかい。あの日食事したお店を、きみは写真に撮らなかった。

「大好きだよ、と」

 紅茶の香りが思い出を連れてくる。きみは目を閉じて、この香りが大好きだと言ったね。嬉しそうに両手でカップを支えて目を閉じているきみをよく覚えているよ。ぼくらは何度だって再会して、何度も二人で過ごしたね。それでも何も始まらなかった。始まらなかったのは、ぼくが始めなかったからだ。わかってたんだ。ぼくがきみを好きだって言えば、きみは頷いてくれたろう。

 でも、始めてしまったらそれはいつか終わるんだ。終わりを迎えるのが怖くて、始めることを選べなかった。

 写真集の最後のページには空が写っていた。モノクロで撮られた青い、青い空だ。そこに添えられた、ぼくには読めない点字の上に指を走らせて目を閉じる。

 またこの空の下のどこかで、きみと会えるだろう。ぼくらは始まらないから終わらない。終わらないから、また、会えるんだ。

《了》--約2400字

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 いやもう、難しい。リライト。初めて他の人の書いた作品をリライトするというのをやりました。メチャメチャ得るものがありました。リライトしたのはこの作品。

なんでこの作品をリライトしたのか?

 まず、これはリライト金曜トワイライトという、池松潤さんの企画に参加した作品です。

 ここで、リライトの元ネタとして、金曜トワイライトシリーズのNo1~No6が対象ですよ、と書いてあります。そこでまず、この6作品を読み直しました。

 うーむ。難しい。まず読んでみて、「あなた」に向けた手紙のようだと思ったんですが、よく読んでみると、主人公がその思い人である「あなた」に向けている部分と、書いている池松さんがその読者である「あなた」に向けている部分がある。本編前の前書きのような部分は後者、本編は前者なのだけれど、どちらともとれるような部分もある。どこまでが本編でどこがメッセージなのか、タグの位置を目安に読むけれど、それでもにじみあっているように見える。

 このNo.6は、本編らしい部分に「あなた」が登場しない。主人公による独白のような文章で、彼が過去を振り返っているように読める。

 そこで、このNo.6を題材に、これを手紙のように、「彼女」に向けて語り掛けるように書き直す、ということをやることにしました。ただ、この彼女のイメージ、中学生時代に初デートを「赤穂浪士の討ち入りの日」にするというノリから、二人称は「あなた」ではなく「きみ」にしました。あなたとわたしではなく、きみとぼくの物語。それを、決して出さない手紙として書く、という(どこぞのブリリアントブルーで聞いたような話だ…)形でリライトしてみることに。

今回のリライトのポイント

 どの作品も全部そうなんですが、池松さんの小説は、とにかく情報が少ない。なのに読者として読んでいると、それを不足とは感じません。読者が補間することでストーリーが完成するようになっているからです。エピソードは抜けていて、時間軸は埋まらない。でも読者の中で補間されるから、ちゃんとストーリーとして想像できる。読むと満足できるわけです。しかし書き直すとなると、重要な情報がぜんぜんない。このとき彼らはどうしたのか、彼女はどんな様子だったのか、恋愛の駆け引きも、手ごたえがどんなだったのかも、ぜんぜん書かれていないんです。ただ何も起こらなかったということだけが、繰り返し書かれている。

 しかも私が選んだこのNo.6「また会える」という作品は、時系列もポンポン飛びます。主人公の男性が「彼女」との複数の再会を想いだしているわけですが、順序だてているのではなく、何かをきっかけに思い出し、思い出すままに語っているという感じです。

「Bunkamuraの本屋で写真集のコーナーを眺めていたら、彼女の写真集をみつけた」とあるので、この本屋はナディッフモダンだろうと勝手に解釈しました。そして、「写真集をカフェのテーブルで広げる」とあるので、買ったのだな、と。

 この、写真集を買って紅茶を飲んでいる時点を「現在」としました。これを一旦2020年とし、そこからさかのぼって、年表を書きました。いつ何が起こったのか。元の小説に書かれているエピソードを年表にし、だいたい何年ごろこのエピソード、と考えました。そのころの広尾はどんな感じだろう。広告写真の会社はどの辺にあるだろう。恵比寿あたりか、はたまた青山、表参道、裏原あたりという可能性も。あるいは広告の種類によっては高田馬場あたりか。彼らの行動範囲がどこかによって、「食事」をする街の雰囲気を想像しました。具体的に描かれているのは広尾の図書館の後、という点ぐらいなので、これはもう広尾周辺で住宅街の中にひっそりとあるイタリアンレストラン、みたいなものを想定しました。大学生がそんなところへ行くのはだいぶ背伸びをしているけれど、それは思い出になりそうだな、と。

 もはやリライトなんだか捏造なんだかわかりません。

 そのようにして、写真集を手にした「ぼく」が、最初のデートから順に、これまでの「再会」を振り返り、そのことを手紙に書いている、というより心の中で「きみ」に向けて話しかけている、というような展開にすることにしました。

どんなところにフォーカスしてリライトしたのか

 これはもう、元の小説に何度も繰り返し出てくる「別になにも起こらなかった」ということです。これにフォーカスし、なにも起こらなかったのは、「ぼく」が「好き」と言わなかったからだ、ということにしました。

 なぜ言わなかったのか。少なくとも「ぼく」は彼女が好きだったわけだし、彼女のほうも、誘われて二つ返事で出てきたり、再会してからも食事に行ったりしている。まんざらでもなかったはず。「好きだ」と言えば何かが始まる。でも始めたらいずれ終わるかもしれない。始めなければ、始まらないかわりに終わることもない。始まったものが終わるのと、始まってもいないのは大いに違う。どちらも「ない」という現象は同じだけれど、「すでに」無いのか、「まだ」無いのかでは希望の在り方がちがう。

 二人は、その希望を未来に残したかったのだ、と考えることにした。終わらせないために始めない。その一見消極的な決断が、彼らにとってはとても自然で前向きなものだった。

 思い出ははてしなくせつないのだけれど、最終的に「また会える」という期待を胸に写真集を閉じたい。最後のページにはどんな写真が載っているだろうか。

 それはきっと、心の目で見る青空だ、と思った。あえてモノクロで撮影された青空。それは灰色でプリントされているけれど、見る者の目には青い。そして視力を持たない人たちが、点字で感じる青だ。

 とても貴重な経験でした。こんな機会をくださった池松さん、ありがとうございました。

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