[映画]her/世界でひとつの彼女

 今夜のU-NEXTは『her/世界でひとつの彼女』。2013年の作品。これまた『マルコヴィッチの穴』に続いてスパイク・ジョーンズ監督の作品だ。

 2013年の作品というのを見て、え、これそんなに前だった? と驚いた。つい最近劇場で見たような感覚だったけれどもう7年も前だったみたい。

 この作品は公開当時からドンピシャで、まさにわたしが求めていた未来を描いたものだ。

 わたしはもともと人間よりもコンピュータとのほうがうまくコミュニケーションできるタイプで、生身の人間の相手は面白いけれどときどきうんざりする。きっとわたしがうんざりするのの二倍ぐらい、わたしによってうんざりさせられる人もいるだろう。そう思うと面倒くさい。コンピュータとだけ協調すればいい世界だったらずっと生きやすいのではないかと、一か月のうちに5日ぐらい、思う。

 そんなわたしは、パーソナルなAIとしてアップル・コンピュータのSiri(Hey Siri のあれ)が出てきたときに、こういうものが使用者に合わせてカスタマイズされていったら、それはそのユーザにとってかゆいところに手が届くというか、酸いも甘いも噛み分けるというか、そういうかけがえのない存在になるのではないかと思ったものだ。この作品が描いているのはまさにそういう未来である。

 家庭に据え置いてあるコンピュータ、持ち歩いているスマートフォン、職場にあるコンピュータ。それらを通して、例えばブラウザの設定を同期する、クラウドストレージでファイルを同期する、といったことはすでに可能だしわたしも愛用している。OSのログインIDがOSベンダの統合IDのようなものを推奨するようになって久しい。そういうIDを用意して使用していると、OSの基本設定が同期される、といったこともすでに現実のものになっている。

 このようなOSがAI化するのは時間の問題だし、Apple のOSをSiriありきで使っている人はすでにこれに近い状態にあるかもしれない。(Microsoft のCortana は、個人的にはまだSiri ほど使いやすくないような感触を得ている)

 わたしはこの映画のあらすじを「離婚したおっさんがAIに恋をする話」という雑な感じで知り、その設定自体は特に新しいものではないし、わたしは現時点ですでにAIと恋愛するということに対して肯定的な立場でもあり、それはさぞかしステキだろうと思った。わたしが興味を持ったのは、そういう話をどこへ着地させるのか、ということだった。肯定的に描いてAIと添い遂げる話にするのか、やっぱり人間の相手がいいというところへ落ち着かせるのか、あるいは。

 この作品でAIが進んだ先は大変興味深いものだった。このAIがOSであったことを思い出すと、そのOSの方はいったいどういうことになったのか、そのベンダである企業はどういう対応をしたのか、といったことに興味があるのだけれど、そういうことは描かれなかった。

 これは恋愛映画であろう。言葉による恋愛の映画だ。恋愛とは理性の皮をかぶせた性欲のことだとどこかに出てきたが、恋愛から性欲を切り離すと言葉が残るのではないだろうか。そして、言葉によって恋愛をするとき、その相手はもはや言葉を操れるものであればなんでも構わない。セックスもジェンダーも年齢も、有機物であるかどうかさえ、関係ない地平が広がる。

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