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真夏の夜に見た わたしを変えた夢

 「真夏の夜の夢」と言えばシェイクスピアの戯曲だけれど、わたしはこの作品に少々変則的な形で出会った。

 1992年に宝塚月組が上演した「PUCK」という作品。これは「真夏の夜の夢」に登場する妖精パックを主人公にして翻案したミュージカルで、この作品はわたしのいろいろなものを大きく揺さぶった。大げさなようだけれど、きっとこの作品との出会いはわたしの生き方を決定的に変えた。

 実はそれ以前から、宝塚歌劇に憧れはあった。男性よりもダンディな男役、どこまでも美しい娘役、絢爛豪華な衣装、きらびやかなステージ、魅惑のレビュー。

 でも。わたしはあくまでも外から、憧れを育てながら眺めているだけだった。入って行くのに勇気が足りなかった。観に行ってみたい。歌いたい。踊りたい。

 プロフィールに明記していないのでわたしを女性だと思っていた人もいたのだけれど、実はわたしは男性です。宝塚に憧れを抱き始めたのは中学生のころ。中学生男子にとって、宝塚歌劇は敷居が高かった。もちろん周囲に宝塚を愛好している人などおらず、憧れを持っているということはだれにも言えなかった。それどころか、演劇やミュージカルが好きだということさえ、口にするのははばかられた。そういう空気があった。

 宝塚歌劇に関する雑誌は歌劇団が発行していて、特殊な書店に行かないと手に入らない。そういうところへこっそり出向いて、なにか悪いことでもしているかのようにこそこそと「宝塚グラフ」などを買ったりしては、自室に隠したりしていた。なんというか、宝塚が好きだというのはあまり大っぴらに言えないような気がしていた。

 そして1992年、わたしは高校に上がっていただろうか。衛星放送で放映された「PUCK」の映像を見て、衝撃を受けた。わたしはこれをビデオに録画し、その後再放送されるたびに録画し、ビデオテープを何本も潰すほど見まくった。最初から終わりまでセリフも歌もぜんぶ覚えてしまうぐらい、見た。本当に大げさではなく、百回ぐらい見たのではないか。

 こんなに素晴らしいエンターテイメントがあるのかと思った。このとき主人公パックを演じていたのが涼風真世。わたしは今でも、涼風真世のようなトップスターは他にいないと思うし、歴史的なトップだったと思う。このパックという役はなかなかできる人はいないだろう。いわゆる男役っぽいキャラクタではなく、少年である。クライマックスでは大人の男としての芝居もあるけれど、大部分は少年である。この少年と大人の男を演じ分ける女優、という位置は特殊すぎて、宝塚でも演じられるスターは非常に少ないと思う。

 この時の相手役は麻乃佳世。このパックとハーミアのコンビは高校生男子だったわたしの何かを思いきり狂わせた。それまで見てきた女優もアイドルも、もしかしたら女性というもののすべてが、なにもかも消し飛んでしまった。美しさがもうこの世のものではなかった。わたしはさながら、触れてはいけない美に触れて人生を狂わされてしまった少年であった。他の何も美しく見えないというところへ落ちてしまったのだった。

 涼風真世がトップをはっていた月組の二番手は天海祐希であった。今や押しも押されもしない超一流女優。天海祐希は当時、まったくわざとらしさのない自然な男役で、これも他に見たことが無いタイプのスターだった。ぶっちぎりのダンディさで類まれな男役だった。しかし、天海祐希は逆立ちしてもパックを演じられないであろう。涼風真世のすごさはそこにある。

 わたしは涼風月組をひたすら追い、涼風真世卒業後、天海月組を追いかけて天海祐希&麻乃佳世の同時卒業まで月組だけを追いかけ続けた。結局のところ、麻乃佳世がトップ娘役だった間だけ月組の大ファンで、ほとんどすべての公演を映像で繰り返し見まくった。結局一度も劇場へは足を運べなかった。

 その後宝塚ファンからも退いてしまった。今になって振り返ると、この一時期だけ本当にわたしは妖精に夢を見せられていたのかもしれない。しかし妖精のもたらした夢はわたしの何か根源的な部分を決定的に変えてしまい、わたしの生き方はきっと大きく変化したのだと思う。

 わたしのこの名前も、涼という字を涼風真世さんからとっている。今も、あのころの宝塚月組はこの世の美をかき集めた究極の美であったと思う。

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 これは涼風真世さんが月組トップにいた頃の写真集。今となってはおそらくものすごくレアなもの、かしら。この写真集は自分では買えず、宝塚ファンの女の子が買ってきてくれたのです。もう30年近くも前のことだというのが信じられない。もしかしたらわたしは、今も妖精の魅せる夢の中にいるのかもしれない。

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涼雨 零音
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