「表現とユーモア」by きたとうま
みなさんこんにちは。
R.a.F.のドラム担当、きたとうまです。
ラフコラム第2周目のテーマは「表現とユーモア」。
私より先にメンバー二人が、人を笑わせるとはなんぞや、と書き綴ってくれた。
自分の内側をさらけ出した文章は読み応えがある。
まだ読んでない人は是非、目を通してみて欲しい。
さて、本題だ。
今回私は、
”何のための” 表現、
”何のための” ユーモア、
なのかについて言及していきたいと思う。
まず、「表現」という言葉はものすごく抽象的で広い意味がある。
音楽や絵画、会話はもちろん、行動一つ一つも表現にあたりうる。
あたりうる、とわざわざ書いたのは同じ行動でも、
”単なる動作" と、"表現である動作"とが存在すると考えるからだ。
習慣的な行動や、無意識な返事などは表現とは言えないだろう。
それに対し、こんな風に生きていきたい、こんな人間になりたいという想いから来た行動はまさに表現そのものだ。
つまり表現には、先んずる想いが存在するのだ。
内なるものを「表に現す」。
私たちは、内なる想いを表現によって可視化している。
想いにアクセスできるようにしている。
そのために表現なのだ。
日々、私たちは何を表現してるのだろう。
きっとあなたも沢山のことを表現して生きている。
それは何だろう。
誰かに向けた愛。
誰かへの希望。
なりたい自分。
生きる意味。
美しいもの。
素敵な色。
励まし。
正しさ。
救い。
理想。
反発。
疲れ。
孤独。
言い訳。
劣等感。
嫌いな自分。
不安なこと。
過去への執着。
これからのこと。
表現は、美しいものだけではない。
強い想いから生まれた表現は、強いエネルギーを持つ。
それがネガティブな表現だったならば、どうだろう。
攻撃性を孕んでいたらどうだろう。
その表現は、相手を傷つけてしまうかもしれない。
あるいは、自分も傷つけてしまうかもしれない。
自分の内なる想いを表現したら、誰かを傷つけてしまった。
こんなに虚しく悲しいことはない。
自分の想いのための表現が、できなくなってしまう。
表現を受け入れてくれる人を傷つけてしまう。
そこで登場するのが、ユーモアだ。
強い表現をユーモアで包む。
角をとってあげる。
そうすることで、強いエネルギーの暴走の心配は少なくなる。
ユーモアとは、単なる面白みではない。
優しさであり、配慮なのだ。
相手の飲み込みやすい形にカットすることなのだ。
何かを表現するときに、相手が少しでも受け取りやすくなるようにする。
そのためのユーモアなのだと思う。
私たちには沢山の想いがある。
互いに深く分かり合うために、受け入れ合うために沢山の表現をして生きている。
人の言葉で傷つくこともあるし、共感できない想いも沢山ある。
それでも、諦めずに表現を続ける。
表現を加工しながら、伝わりやすいように。
おもしろおかしい必要はない。
おどけなくても良い。
相手視点で、受け入れやすい気さくな優しさこそがユーモアなのだから。
恐れずに、諦めずに、楽しんで表現していこう。
最後まで私の想いを読んでくれてありがとう。
これからもよろしくね。
Rain after frogs. きたとうま