見出し画像

2024年の目標

今年の目標を書いていこうと思います。



休むことを覚える

これは過去記事を読んでいれば出てきて当然ですが覚悟を持って取り組みます。

本当に、要因はいろいろあるにせよ、焦りすぎ、生き急ぎすぎ、加減知らなすぎ、調整下手すぎ、無理しすぎ
な1年でした。

年末に例の如くギターレッスンを受けていて感じましたし、仕事についても感じたのですが、僕の中でのコツコツ積みかさねはどうやらかなり大きな一歩の積み重ねになっていたらしく、行動の幅もエネルギーも出しすぎていました。

そして今思い返せば割と焦っていたせいもあり、成果を求めて奮闘していました。

その結果、ギターの場合の総括では"やっと目標が見つかったね"でした。

もちろん"君は頑張っているし、練習を重ねるたびに下手になることはなく、趣味の範囲ではよくできている"という、先生のような立場の人からかけてもらったという意味でも自分の認識としてもありがたいお言葉をいただくことができました。

それはもちろん自分の努力の賜物ですし、他人から言われただけでは決して辿り付かなかったことも事実です。

ただ、僕が結果を焦って努力したところで、人生という長い時間において大した成長ではないですし、結局積み重ねた時間を増やした場合に比べ、劇的に変わることはありませんでした。

1積み重ねればいいところを身を削りながら1.1にしたようなイメージです。

頑張った結果が出ていないわけでもないですし、0.1の違いとは言え結果が出ているため、全否定することでもありませんが、自分のキャパではそんなものである。ということを証明していると思います。

だから努力を止めるとかそういう話ではなく、頑張って積み重ねたとてその程度の違いしか出なくて、しかもそれ(0.1増えた努力)を続けることが難しいのであれば、そこにこだわる理由はないのかなと思いました。

先生という道標があって、どんな形であれ努力を続けていれば正しい方向に積み重ねるという意味では0.1増えようと大した違いにならないです。

それよりももっと自分を大事に長く生きていくための選択をとっていく方が自分には必要であると考えました。


目標の場なのに反省を長々と行なってしまいましたが、たまに歩を止めることがあっても自分の場合は必要なことですし、努力もせずに怠けている人間でないことは過去の自分が証明しているので、もう少し自分を信じることを書きながら決めました。

もしかしたらこれが本当の意味で自分を好きになって自信を持つことなのかもしれません。


というわけで、今年は歩みを止めても罪悪感を感じずに、なんなら満喫するくらいの感じで行きます。

今年はと書きましたが、これは今後の人生全般においての目標です。

半日とか1日、何もぜずにダラダラする時間をとって(予定として組み込んで)やっていこうと思います。半日とか1日で足りなければ週末マルっと使うことも考えます。

長距離前提で行きます。




本当にコツコツやっていく

また前年の反省になりますが、取り組みに対してやるべきことを考えて分解して、小さな目標を作って細かく行うというサイクルが崩れてしまったので、とにかく細分化して物事に取り組みます。

最近フォローしているイラストレーターさんのツイートで"(作業の時)子供でもできるくらいに作業を細分化する"というのがあって、僕もそのタイプです。

まず始めることは脳を慣れさせることです。
例えばダイエットしたい人がいたら、運動した、食事を減らした。ではなく、"ダイエットしようと思っただけでOK"という基準にします。

時間がかかりますがその方がリバウンドも少なく、精神的苦痛も減ります。
やりたくないことをガチでやりたい時は大体この手法をとっているのでおすすめです。

なので、これから始める資格勉強・音楽の勉強など、とにかく無理せず、最小限でできるスパンと負荷で考えていきます。

コツコツ積み重ねるというと、その分毎日やらないと見たいな制限?がつきますが、ここに関しても毎日やらなくてもOKにします。

資格も音楽も資格をとって終わるとかそういう話で進めないつもりなので、時間はかけまくります。

資格は200時間(週2時間✖️100日)目安のところを1年で見てるので、まぁだいぶ良いのではと思います。

あと、資格に関しても勉強が間に合わなくてもいいです。資格取れなくてもいい。
とにかく無理してなかったらそれでいい、現実的"生きてるだけで偉い"をやっていく予定です。

生きる努力もある意味積み重ねなので、楽をしまくって生き延びることが本当に土台です。




"わからない"に慣れる

ここに関しても自分の良くない部分の改善になります。

前提として、僕は"人の話が理解できなかった"という経験がほとんどありません。

学校の授業も、授業中に聞いてわからなかった経験がほとんどありません。
記憶にあるのは、九州大学の2次試験の数学の過去問題を見て頭が?????になった経験はあります。

なので、僕が成績悪かった理由は単純に"勉強しなかったから"なわけです。

人の話を聞く時も、相手が何を話してるのか理解できなかった経験はほぼないです。感覚として"この人とは合わないかも","苦手かも"ということはありますが、"どういう意味だろう?"といった感情はほぼありませんでした。

なので、社会に出て、他人軸で進むことが多い中、状況が掴めない、会話が少なくて意図が不明瞭という状況にものすごく嫌悪感を抱きました。

もちろん大枠としてはコミュニケーションを取れない向こうが良くない、または、自分の会話努力が足りない。になるわけですが、そうはいってもどうしようもない時にいちいちメンタルが崩れていては仕事にならないわけです。

なので、企業に属す以上、ましては新入社員のうちの裁量なんてたかがしれている、他人とは所詮そんなものである、というある種の諦めのようなものを持って生きようと思います。少なくとも今の会社にいるうちは。

転職してもっと素敵な職場に出会ったらまた変わるかもしれませんが、今の自分の状態と会社の方針には大きな乖離があるので、その部分はある程度自分が慣れていこうと思います。

いいことかどうかは分かりませんが自分の心を守る意味でも一旦はこの方向で進める予定です。

頭では、世の中の大半はグレーであるということを理解していたつもりでしたが、本当に言われてみれば程度の認識だったので一度適応してみます。

仕事に限らず、自分の中でも白黒つけたがる性格が出ているので、そこを治していく意味でももう少し余裕を持てるようにしていこうと思います。



最後に

今年も昨年同様種をまくような一年になるかな?という個人的な予想ですが、その辺は変わっても特にいいかなと思っています。

昨年はどうしても起こったこと的にも"自分がなんとかしなきゃ"、"自分で一度やらないと"という意識がとても強く働いていました。

周りを見渡すと頼るべき人はもうすでにそこにいたり、多少は頼ることもできたのかなと思うので、もう少し他人を信じて、自分の過去を信じて、生活していけたらなと思います。

改めて色々と振り返ってみたのですが、世の大人たちは、"こうなってほしい"、"こういう人材が欲しい"、"こう頑張って欲しい"など、前を向かせたり、自分が欲しい未来を他人に期待したり、理想をキラキラと、時に混沌とさせて見せてきますが、

じゃあそれができなかった時、途中で辞めたくなった時、一回休みたい時、合わなかった時、どうしたらいいのかということを教えてくれる人、教えられる人は数少ないのかなと思います。

もちろん、最初から程よく生きている人、あまり入り込まない人はそうはならないかもしれませんが、僕のように一度決まると入り込みやすい人は特に困りやすいのかなと思います。

他人が当たり前にできている息の抜き方ができなくて、やっていることは楽しいけど体(心)は疲れてて、足の止め方がわからなくて、でも誰に言えばわからない、期待に応えられないかも、自分が休んでる間も頑張る人はいるetc…

など、考えればキリがないですが、本当に去年までの自分ってこんな感じだったかなと思います。

なので、思い切って今年(今年以降でもいいけど)は、なんもなくてもOKっていうのをちゃんと自分に持たせようと思います。

自分は一度休んだらもう頑張れない人間かと言われれば、それはもう即答でNOと言えるし、今までの足跡が証明済みなので、自分を信じて後ろに下がる選択肢を積極的に使おうと思います。

長くなってしまいましたが、過去の自分を信じつつ今の自分も大事にしていくのが今年の目標です。

また生活が始まればいつもの如く脳内暴露大会が始まると思いますので、見守っていただけますと幸いです。

僕にとってもこの記事を読んでいる皆様にとってもより良い一年になることを心より願っております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!