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発達障害を受け入れて(17)~もうひとりの発見者


もうひとりの発見者

娘のことを普通の子とは違うと言った人がもうひとりいました。私の同級生であり、娘と同じ年生まれの子を持つお母さんでした。

親友とまではいかないけれど、仲良くしてもらってなんでも相談してきました。互いの子供たちが二歳を過ぎた頃、彼女が言いました。
「〇〇ちゃん(娘のこと)、笑い方がおかしいよ。普通、子供が笑う時は「アハハ」なんて漫画のようには笑わない。言葉にならない音で笑うから。(彼女の)お姉ちゃんが幼児教育を長くしてきたから、いろいろ聞いてるの。発育に問題があるかもしれないから相談に行った方がいいよ」

そのころ、私たちは子供たちを幼児サークルに入れていました。
彼女に相談して入ったのではないのだけれど、初日に行ってみると彼女も来ていて、お互いびっくりしたのです。それからサークル内でも母子そろってたくさんの方とお付き合いしました。
そんな中で、二人きりになったときに彼女がそう言ったのです。

私はたくさんの子供と混じって遊んでいる娘を見ました。その時は笑い声を確認できなかったけれど、そういえばテレビでアンパンマンを見ているときに「アハハ」と笑っていたかもしれないと思い始めました。

「テレビの影響かもしれない」と私は彼女に言いました。
「ううん。うちの子もテレビは見るけど、あんなふうには笑わない」
そう言われてからとても気になって、いろいろな人に尋ねてみたのですが、当時は発達障害という言葉さえ知らなくて、保健師さんや小児科の先生にも「お母さん、過保護すぎ。お母さんが神経質だと子供によくありません」などと言われ、誰に相談していいのかわかりませんでした。

現在のようにたくさんの人に周知され、子供を見て少しでも他の子と違うと思ったら、すぐに「発達さん?」と思われるのもつらいことですが、尋ねても答えがでない状況に置かれるのも切ないことでした。

彼女がそう言ったから私たちの中がぎくしゃくした、ということはなくて、その後もつき合いは続けていたのだけど、私が転勤で他の街へ引っ越してから会わなくなりました。
それでもスーパーなどで偶然出会ったら懐かしく言葉を交わす友人です。

彼女が早く教えてくれたのに、どうしてあのときに娘が発達障害と認めて、療育に取り組まなかったのだろう、という思いがあります。
そうしていたら、娘は社会へ出るときにあんなに苦労しなかったかもしれません。ほかの人と違う自分をいかにして社会で活かせるか学べたかもしれません。
ただ、そうなると療育の先生がいないところへ引っ越すことはできなくて、暮らしに困った夫が今より早く発達障害へ傾いていたかもしれません。
今となっては想像に過ぎませんが。

発達障害と学級崩壊について感じること

「学級崩壊、発達障害が原因か」という言葉が私に届くようになったのは、娘が小学校高学年になってからで、当時は耳新しい言葉でした。
かつて住んでいた街のお母さんたちからそういう話題が出ると、私は驚いたものです。でも、やがて自分が住む街でも聞こえるようになりました。
思い返すと、もっと以前から学級では崩壊の予兆が始まっていたのだと気がつきました。
クラスの子供たちのいじめやわがままな振る舞い、ずる休みしてゲームセンターに行くなどの行為は、昔であれば不良行為と呼ばれたものだが、ずっと前は中学生がしていたようなことを小学生がするようになったということです。高校生がしていたようなことを、中学生がするようになったのです。
子供たちの精神年齢が都合のいいところだけ早く大人になって、自分を律しきれないまま自己表現の手段だけを手に入れたのです。
それで小学生を相手にするはずのクラス担任は、戸惑ってもしかたがなかったのです。

だから、私は発達障害の子供が学級崩壊を招いたとは思っていません。

たしかに、授業中に席を立って歩き回る子が一人いれば、先生がその子にかかりきりになったり、他の子が面白がって一緒に教室を歩き回れば授業にならず、先生の負担は増すばかりでしょう。
ひとりだけ自由で楽しそう。なんで自分たちばかり座って勉強しなければならないの? と子供たちがざわめくのも想像できます。

でも、学級崩壊というのはそういうことではなくて、先生が疲弊して手に負えない子供たちや授業を放棄してしまうことではないでしょうか。
先生が精神的にも肉体的にも限界になり、休職してしまう。先生がいないから自習になると、子供たちは他の教室に迷惑なほどおしゃべりしたり歩き回ったりしてしまう。障害のない子供もです。子供たちは幼いので、誰かが注意したり、指導したりしなければそうなります。
「発達障害の子供が授業を妨害したから学級崩壊した」とは違う、大人が面倒を見られなくなった子供たちがどうしていいかわからなくなって好きなことを勝手にしてしまったということです。

今ではクラス担任の他に副担任や、補助の先生がいらっしゃる学校があるようですね。それが標準ですか?
多人数の、ひとりずつ個性が違う子供たちを見るのは大変です。先生という学びを得た人であってもです。さらに、学校での突然の怪我や病気にも対処しなければいけません。
それでも先生になってくれるという若い人を応援して欲しいです。責めてもなにも解決しない。もしも、親の方が先生より物事を理解していると思っているのならば、先生に寄り添って先生を育てるくらいの気持ちでいてほしいです。
そして、親と違ってちゃんと子供の教育について学んでいる人なのだから先生を尊敬して欲しいです。そういう気持ちは必ず子供に伝わります。
親が担任を馬鹿にしたら、子供も馬鹿にするのです。私は学校内でたくさん時間を過ごしてそういうことがわかりました。





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Rain
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。