発達障害を受け入れて(3)
怒りと嘆き
子供が社会に出て行けなくなったときの親の嘆きは、体や心までも破壊するくらい激しいものです。しかも、他人に傷つけられてそうなったと考えたら、相手のことを許せるものではありません。
親も人間ですから、怒ったり泣いたり嘆くこともあります。子供の話を聞いて(子供の心情に寄り添って)受けた仕打ちや辛さ、憎しみなど、一緒に悲しんだり怒ったりするのはいいのです。
でも、子供の気持ちよりも親の怒りが勝ってしまって(我が子を傷つけられたのだから当たり前なのですが)、子供に危害を加えた相手のことを罵ったり相手を裁判にかけようとすると、子供の心はもっと傷ついてしまうと思うんです。
なぜなら、こんな風になった子供は優しいからこうなっているので、相手のことも考えてしまうからなのです。相手の良かった面を思い出したりもするのです。その人が自分にあんな態度をとったのは自分が悪かったからだと思ったりもします。それなのに、親が自分以上に怒って相手に何かするのは(優しさゆえに)耐えられないのです。
相手がそんな風に子供を追い詰めなければ、今も元気に仕事に行って、休みの日は友達と遊んだり、前向きに過ごせていたと思うと、原因を作った人を許せるものではないです。
でも、子供本人はもっと凄まじい心のありようだと思います。
大学出を嫌う人たち
ある息子さんが仕事に行けなくなってしまって、ひとつだけ話してくれたことを要約すると「就職したら上司から(大学を出てきたのだからなんでもできて当たり前だろうからと)仕事を教えてもらえなくて、その上で仕事ができないやつだ、給料泥棒だと揶揄されて、教えてもらわないと何をどうしていいのかわかないし、やはり仕事ができないので、会社に行くのが辛くなった」と聞きました。そのお母さんも大変怒って、会社の上司を訴えようと思ったが、ボイスレコーダーのような証拠もないし、息子がやめてくれと言うので、我慢したと言いました。
これは、私の娘にも起きた出来事です。
こういう話を大学を出て就職した子供を持つ数人から聞きました。
私は自分の娘がやっと少し話してくれるようになったころに、そういう扱いを受けたと聞いて、とても切なかった。はらわたが煮えくり返るとはこういうことだと思ったけれど、目の前で息もできないくらいに泣いている娘を見ると、私が我を失ってはいけないのだと思いました。
私が就職(高卒)したころは、大人たちにはいい意味で緩さがあり(それがセクハラやアルハラだったこともあるけれど)入ったばかりの新人だからと失敗は許し、わからないところは教えて育て、よく面倒を見てくれました。他の人に聞いてもそういう時代だったと言います。
当時はまわりに中卒で就職した人も多かったし、大学や大学院を出た人も、外国人も一緒に働いていましたが、あとから来る者にはみんな親切でした。
初めての職場へ来た新人に「大学を出てきたんだからなんでもできて当たり前だから、仕事は教えない」とは、なんてひどい世の中になってしまったのでしょう。
みんながそうだとは思わない。でも、大学を出た人をいじめるのはなぜですか。自分より学歴があるからですか。自分も行きたかったのに行けなかったからですか。出身大学が嫌なのですか。なにを聞いたら答えがもらえるのかもわかりません。
私の娘は看護師だったので、看護師が上からの指示ももらえずに何ができるというのでしょう。
こんな大人が多い世の中で生きていくのが嫌になるのは当たり前です。
若い人がどんどん少なくなって、高齢者も働かなければならない未来になって、海外から移民を受け入れなければ経済が回っていかないような未来になるとしたら、それは少子化だけの責任ではありません。
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。