発達障害を受け入れて(4)
医師からの言葉
娘の職場の医師にしても「お宅の娘さんは最初から発達障害があって就職してきたのだから、職場環境とは関係がない。耐えられるだけの強さがなかった。それよりもずっと引っ越しで環境を変え続けた生活が悪かったし、親が気がつかないでちゃんと療育しなかったせいですね。しかたがないでしょう。お母さん自身が発達障害なんだから」などと、誹謗中傷にも似たセリフを吐いて私をけん制しました。
精神科の医師によると、発達障害は遺伝性のものなので、発達障害をもつ子供の親は少なからず発達障害の素因を持つ、ということです。それは別の病院の医師にも確認しましたが、そうだということでした。
これを読んでくださっている方へ。
必要以上に怖がらないでください。ひとくくりに発達障害と言われてしまいますが、その多くは発症せずに普通に暮らしていけます。少しこだわりが強いな、コミュニケーションをとるのが下手だな、くらいでなんの問題もなく暮らしていけます。
ただ、大きなショックを受けたり、怪我や病気を原因として脳に変化をきたしてしまうと、依然と同じには戻れないから、しばらく静養や投薬が必要になる、というだけです。
私も他のきょうだいが就職時に同じことになったらどうしようと、さんざん悩みました。でも、ほかのきょうだいは社会で普通に働いています。
私がこんな記事を書いているのは、必要以上にみなさんを怖がらせたいのではなくて、知らないと怖いことも知ってしまえば「なあんだ」と思えることの方が多いからです。
あるお母さんの悩み
家族の生命保険を扱っている外交員さんが訪ねてきて、娘に年金保険を勧めたことがありました。
あれから娘は仕事に就いても続けられず、何度も休職を繰り返していました。収入が安定しないので新しい保険には入れないと伝えたのですが、引き下がりません。年金保険なので途中解約をすると損が大きく、娘が転職を繰り返しているので収入がなくなったら親が払い続けなければならなくなるので無理だと言っても勧めてきます。
しかたがないので、娘には軽度の発達障害があり、今は保険に入ることはできないと言いました。
すると、彼女は急に元気がなくなってどうしたのかと思ったら、実は……と話しだしました。
お子さんが通う保育所の園長先生からお話があり「発達障害の傾向がみられるのでお子さんを一度小児科へ連れて行って診断してもらったらどうか」と言われたそうなのです。
そのとき、彼女はびっくりしすぎて保育園で怒ってしまったと言います。それはそうですよね。
「ぜんぜん普通の子なんです。ただ少し言葉が遅いかなと思ったことはありますが、ぜんぜん。それくらいで障害があるって言うなんてひどいです。療育センターなんて何されるかわかんないし。私、病院なんか行かないでいようって思うんです」と、熱のこもった声で話しました。
私は自分が医師から娘に発達障害があると告げられたときの自分のことを思い出し、彼女の気持ちがわかった気持ちになりました。
でも、私はあれから勉強をして、否定するだけでは子供のためにならないことを学んだので、彼女に話しかけました。
「信じられない気持ちはわかります。信じたくないよね。でも、診てもらったらなんでもないね、勘違いだったね、ということもあるかもしれないよ」
「でも、もし本当に障害があるって言われたら……」
彼女は本当に困っていました。
私は精神科の医師からも、娘の上司からも「小さいころにきちんと指導や療育を受けていれば、大人になっても普通に暮らせていたかもしれないのに」と言われたことを(悔しいが)反省していました。
だから、そのことはお話ししたいと思いました。
もしも、万が一なにかしらの障害が見つかったとしても、早めに対処してあげることで学校に行くときに困らない自分なりのやり方を教えてもらうこともできるかもしれない。
コミュニケーションの取り方が下手ならそのやりかたを、話すのが苦手なら話し方を、すぐ怒ってしまうなら怒りのやり過ごし方を、習慣づけることで乗り越える力がつく。
そして、なにも問題はないね、と医師から言われたなら、心配し続ける必要はなく、笑顔でいられるね。
療育センターの先生は絶対こうしなければならないと、子供さんやお母さんに無理強いはしないと思う。もし無理強いするような先生だったら行くのをやめたらいい。子供やお母さんが嫌なことをする必要はない。
自分が選んでいいんだよ。お母さんの気持ちが困らないようにしたらいいよ。
そんなことを話したと思います。
そのあと、医師の診断を受けたとか、療育に通っているとかいう話は彼女から聞こえてきませんが、前よりずっと明るい笑顔で訪ねてくれるようになりました。彼女の中で納得ができたならそれでいいと思います。
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。