発達障害を受け入れて(2)
これを書こうと思ったきっかけ
最近になって、就職した息子さん・娘さんが仕事に行けなくなった、実家へ戻ってきた、引きこもっている……などという話をよく耳にするようになりました。私は自分の娘のあの時期を思い出し、切なくなります。
急に仕事に行けなくなった子供さんのことを気にかけながらも、この先もずっと仕事に行かなくなるかもしれないという心配、またそうなってはならないという親の気持ちも複雑で、つい子供さんにきついことを言ってしまったと後悔したり、どうすればいいのかという悩みを聞くことが多くなりました。
私はだんだん「自分が知らなかっただけで社会にはもっとたくさんの困っている人たちがいるのではないか」と思うようになりました。もっと早く困っている人たちの声に耳を傾けるべきでした。
子供さん本人にしてみれば、今までできていたことが急にできなくなるなんて、とても怖いことだと思います。
それはたぶん、急にできなくなったのではなくて、以前から少し困りながら頑張っていたけれど、もう頑張れなくなった、限界までやりつくした、ということではないかと思うのです。「できなくなった」というよりは「(心が)したくない」という方が合っているかもしれません。
憧れて入った職場で、裏に隠されていた汚い部分を見てしまったショック。先輩からいじめや罵りを受けてしまった。
その憧れの場所で働くためにした努力が大きければ大きいほど、ショックは大きいでしょう。言葉がうまく出なかったり、体に不調がでたりするかもしれません。
願い通りの職場に入れたことを喜んでくれた親や先生にはもちろん言えません。できない自分を責めてひとりで心を痛めてゆくのです。
このとき、まわりの人に愚痴って騒いでもいいから、吐き出せたらある程度楽になれるのですが、優しくて真面目な性格の人が多いので、自分を責めてしまいます。自分が悪いと思ってしまうので、誰かに相談するのは難しい。愚痴も言えません。自分で自分を傷つけていくのをやめさせるためには、自分は悪くないしこのままでいいのだと、本人が認めるしかないのです。
ところが、本人はひどく傷ついて自暴自棄になっているため、まわりがいくら励ましても聞き入れません。
この時期、本人ももちろん、まわりにいる人もとても辛い。でも、焦ると余計にこじれてしまいますから、本人が自分から外に出たくなるまで待つしかないのです。
そういうと、何年も何十年も引きこもっている家族がいるというご家庭からお𠮟りを受けそうですが、本人が外へ出ると心に決めてくれなければ誰にもどうすることもできないでしょう。
この本人が外へ出たくなる気持ちになる、というのがとても難しくて、はっきり言って本人にしか解決できません。
でも、まわりからの声掛けは大切だと思います。けっして無理強いに聞こえず、あくまでも本人に選択権があると伝えながらです。
「気持ちのいいお天気だから外に行ってみる?」
「買い物に行きたいのだけど、良かったらつきあってくれる?」
「なんか面白いお祭りをやるみたいだよ」
など、これは私が娘に話しかけた一例ですが、このひとことを言うにも、当時はとても気を遣いました。
行くって言っても、次の瞬間にはやっぱり行かないと言い出しても、それを叱っちゃいけない。
ある程度心の整理がついて初めて、娘は自分から外へ行くと言い出してくれました。
「自分だけで出かけたい、お母さんはこなくていい」
私は喜んでいいやら心配やらで、あまり眠れなかったんですが。
常に見張っているわけでは決してないけれども(引きこもりの初めの頃、自殺願望があったので)、家を空けないようにしている母親に娘は息苦しさを感じていたのでしょう。(部屋ではなく、もっと広い場所で)ひとりになりたかったのではないでしょうか。
(ひとりになって自殺しないか)心配なときは、よく様子を観察しなければならないけれど、本人が「ひとりがいい」と言うなら、信用するしかなかった。信用していると言葉で言うのではなく、姿勢を見せるというか、難しかったです。
引きこもっていても、親子の信頼関係、仲が良い友達との信頼関係が強固だったら、時間がかかったとしても外に出られるようになると思います。今まで一緒に過ごしてきた時間を信じるしかないと思います。
立ち直ってくれるまで待つのは長く感じるけれど、待つ間にできることはあります。
まわりの人はなるべく普通に過ごすことです。家族にひとりでも困っている人がいると普通に過ごすのは難しいけれど、それでもなるべく前の通りに接することです。泣いている人がいるときには笑いにくい。それでも、楽しいときは楽しむべきです。みんなで共倒れにならないために、まわりの人は自分らしく生きるべきです。自分らしく元気でいたら、いざという時に動けますが、自分も元気がなくなっていては動けないからです。
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。