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発達障害を受け入れて(15)

能力を活かす

発達障害がある人の一部は、とても記憶力が良いそうです。
この能力は勉強や仕事に役立ちます。

記憶力はいいんだけど計算能力がない、というのが私と娘に共通している部分です。
社会科や国語科のテストなどは憶えることが多いので点数が取れます。
でも、数学や物理のような計算が必要な学科は苦手です。
ところが、現在は便利なものがたくさんありますから、記憶力や過集中が持ち味の発達さんにはいい時代です。計算能力がなくても、記憶力でカバーしてパソコンなどの機器を自由に操作できます。機械が使えるといろいろな仕事ができます。

ほかのきょうだいは夫と似ていて計算能力が高く、仕事にとても役立っています。でも、文字や文章が苦手で、過去のことをあまり憶えていません。
本を読むのが好きではなく、住所の漢字も毎回尋ねなければ自信がなかった夫も、今では読書家になり、漢字を尋ねてくることが少なくなりました。きょうだいも大学生くらいから記憶力がとてもよくなりました。記憶力は生まれ持った能力ではなく伸ばすことができるのです。

発達障害があっても、苦手な科目は繰り返しやることで能力が上昇するでしょう。普通の子より少し長い目で見てあげることが大切です。
また、できるところをうんと伸ばして、できないところは諦めるというのもいいと私は思っています(私が言うのもなんだけど……)。

何かしら、とても伸びる能力があるとしたら伸ばさないのはもったいないし、その能力が将来の自分を支えてくれるものに育つかもしれません。やりたいことには過集中できるので、伸びます。でも、気が乗らないことが苦手なのも発達さんです。うまく誘導して、苦手なことを克服できるといいですね。

学校へ通っている間は、できないところはそのままにして、というわけにはいかなくてつらいでしょうね。全教科まんべんなく一定のラインに届かなければ進学に差し支えてしまいます。
そういう教育の在り方も、今後変わっていく必要があるかもしれません。なぜなら、現代の子供たちにはとても多くの発達さんが混ざっていて、みんなで、より生きやすい社会を模索していかなければならないからです。

なぜ発達さんが多くなっているのか。
それは医師たちが繰り返し私に言ったように、遺伝が関係しているからです。
親の世代に発達障害を気づかせるものが出なかったとしても、持っていたものが子供に出てしまうことはあります。

また、先日知人から聞いた話では、六十代後半まで普通に会社員として働いていた家族が、ある朝突然に会社へ行けなくなって引きこもり、うつかと思って病院へ連れて行ったら発達障害を発症したと言われた事例があります。
ご家族は信じられなかったそうです。それはそうですよね。

発達障害の因子を持つ人が、お互いに知らず、発達障害の因子を持った人と結婚していく。
少し変わってるなあ、と思いながらもそれが相手の個性だと思っている。
特に1980年代くらいから、個性が叫ばれる時代になり、なんでも個性で済まされた。だから「うちの子が少し様子が変なんですが」なんて病院や保健師に相談しても「お母さん、心配しすぎです。それはお子さんの個性です」なんて言われた。
そのころの子供たちが現在親になって子育てをしているから、親御さんの中にも発達さんらしい言動が見て取れる方もいらっしゃる。
発達さんが発達障害を抱えている子供を育てるのはとても大変だと思います。自分と同じ性質の障害だとは限らないし、私のように自分自身に発達障害があると気がついていない人も多いでしょう。

こんな時代だからこそ、今までの学校や学習のやり方を変えていかないと、学校にいけない子供が増えてしまう。その子たちは学校に馴染めない苦しさを抱えたまま大きくなって、生きにくさを抱えたまま社会に出されてしまう。

そんな他人事だと思っていた出来事が、ある日、自分の家族に起こったらあなたはどうしますか。

一番大切なのは、早期に気がついて、前向きに取り組むことです。まわりの人の助力を受けて、知らないことを知るのです。すると、対策ができます。
私は自分が失敗したと思っているから、こんなことを言うのです。

「お子さんが保育所や幼稚園の先生から、心配なことがあるので一度病院で診てもらって……」と言われたとしたら、否定ばかりしないで、ぜひ受診してください。何にも問題がない、と言われたらすっきりできるじゃないですか。
発達障害がある、とわかってもそれですべてが終わるわけではありません。そこから新しく始まるのです。




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Rain
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。