発達障害を受け入れて (1)
はじめに
私の娘は二十二歳の時に就職を発端に適応障害になり、鬱に移行した。しかし、医師が鬱の症状とは違う傾向を見出し、様々な検査の末に発達障害と診断された。
はじめは信じられなかった。診断は娘の勤め先の医師がしたので、職場のいじめが原因で鬱になったのをごまかすために、そんなことを言っているのだと思った。
娘の上司から「お母さんあなた、娘さんが発達障害であることを隠して就職させたんでしょ。私、たくさん見てきたからわかるの、普通じゃない子。
子供の頃に早く気がついて、療育・支援を受けてきたら、普通に就職できたかもしれないのにね。お母さんも発達障害だったから気がつかなかったのよね。かわいそうに」 と言われた。
私は怒りとショックでめまいがした。初対面なのに私にも発達障害があるなどと言う、上司の言葉は信用できない。それでも、真実を突き止めなければならない。娘のこれからのために。
本を読んで、講演会に出かけて、発達障害の支援をしている人に話を聞きに行った。発達障害の権威という医師にも診てもらったが、診断は同じように発達障害のADDということだった。
そこでは私も簡易検査を受けさせられたが、やはり私も発達障害があると言われてしまった。
医師は私の場合は発達障害の困難さを自分で乗り切ったので普通の人の暮らしができている、と言った。娘は発達障害傾向があったところに、さまざまな要因(引っ越し、就職、新しい人間関係、仕事の内容)が一度に押し寄せ、オーバーフローして発達障害が出た、と医師は言った。それは今までと脳が違う状態に変化してしまったため、もう二度と元には戻らないという説明だった。
脳にはドーパミンを受け取る受容体が存在するが、その数は生まれた時に決まっていて、強いストレスや怪我などが原因で閉じてしまうことがある。閉じてしまった受容体は死んだも同じで、二度と復活しないし、新しく増えることはない。受容体が少なくなると、ドーパミンがどんどん流れてきても受け取れる分が少なくなるので理解が追い付かない。処理しなければならない情報が多くなると疲れてしまう。
人間は日々細胞が入れ替わるほど新陳代謝しているというのに、医師はその受容体は増えないというのだ。悔しいけど、なんとなく理解はできた。どんなに細胞が若返っても、同じにならないことはある。
私は娘が勤め先でいじめに遭っていたことを聞いていたから、そのショックが原因で発達障害になったのだと思うと悔しくてたまらなかった。
二番目の医師は最初の(勤め先の)医師とは関わりがないから正直なところを聞いてみると、いじめが原因の一端だったとしてもそれだけでここまでの状態にはならないと言うのだ。
適応障害だの鬱だのと薬を飲まされていたことが悪かったのではないかと聞いても、子供の時から今までの生活の中でたくさんの困ったこと、生きにくさに直面してそれがもう耐えられなくなったのだ、と言う。
私たちは夫の転勤に付き合って、三年ごとに家も土地も学校も変わる生活を続けてきた。その周囲の環境と人間関係が丸ごと変わる生活が、二回で耐えられないこともあるし十回耐えられることもあるが、娘はちょうどこの就職の転機という生活の大きな改変に耐えられなかったのだと説明された。この道の権威ある医師にそう言われてしまっては。
親である私たちの生き方が良くなかったとしか言えない。
娘の父親が転勤をやむなくする仕事に就いていたから。
子供をひとつところにいさせて、親が単身赴任しなかったから。
もし、の話ではあるが、地元で引っ越しもしないで同じ環境で育てたら、発達障害の傾向があるというだけで発症しなかった可能性はある、という結論だった。
悔やんでももう遅い。私はしばらく悩んだけれど、これからも娘は生きていくのだから、生きやすい方法を探さなければと思った。
発達障害のことを、何度も書いてみようかなと思いながら、とても難しかったのです。ひとことで発達障害と言っても、ひとりひとりが違う状態なので、こんな話が誰かに理解されるのだろうかと思っています。
発達障害は本人の責任ではないし、本人が生きにくく思うことが多い。
また別の場合、自己中心的と思われているような自由人であることも、カリスマ的魅力がある人であることも……。
最近はきちんと検査をして確定診断をすることもあるけれど、昔はそんな定義はなかった。発達障害という言葉を普通に聞くようになってから二十年くらいになるが、それ以前は少し変わった人、付き合いにくい人と思われていたのだと思う。
発達障害グレーゾーンの人はきっと数限りなくいる、と私は思っている。本や講演会での学びしかないが、自分には他人を観察をする癖があるから、なんとなくわかるようになった。
生きにくさを抱えているひとたちが、生きやすい世の中になりますように。頑張りすぎないで、肩の力を抜いて自分らしく生きられますように。
この願いは届くだろうか。
親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。