ソウルの故郷
こんにちは。
rainです。
今日は、今日考えたことを少しまとめるためにこの記事を書きます。
少し前に在日ジョージア大使館の方(確かとても有名な方です)が少年時代に抱いた日本にいることの違和感について書かれた記事を読みました。
その方は自分は外国人として日本の学校に通っている。なんか居心地の悪い違和感を感じていたそうです。そこで、彼の母国に一年帰って暮らしたとき、なんとも言えない心地よさを感じ、自分のジョージア人としてのアイデンティティを取り戻し日本に帰ってきたそうです。
そこからは彼は自らの確立されたアイデンティティによって迷うことなく日本の大学に進学し、今に至るそうです。
外国の方が思春期に感じる(もしかしたら青年後も)違和感はある意味とても分かります。日本は同一性が強い国民性ですし、歴史的に見てもあまり身近に外国人がいる経験をしてきた時期は短いです。
でも、その時思ったんです。私は日本人なのに、なぜこんなにこの国で生きることに違和感を感じ生きづらさを感じるんだろう?と。
今でこそ生きづらさとしてこの国の閉そく感について言及されていますが、私はずっとずっと前からとても違和感を感じて生きてきました。
ここにいてはいけない、自分はいさせてもらっているんだという、それこそ外国出身の方が感じるようなプレッシャーをなんとなく感じていました。
この違和感の正体について、今日少し分かったこと。それは、魂(ソウル)の故郷は別にあるのかもしれないということ。
こんな書き方すると、多分に誤解を受けてしまうと思います。
①日本人のくせに日本に否定的な考えを持っている!
②なにそれスピ系?
という二つの反応が予想されます。①については、まず私は日本は好きですし反日でもないです。そして自分の国の問題について考えるのは、国民として当然のことだと思います。
②についてですが、スピリチュアルは私は確かに好きです。でも魂が見えるとかそういった能力があるわけではなく、この世には人知の及ばないものが存在する、といった程度のスピ系です。ですので、怪しい宗教の人間ではないのでご心配なく。
さて、そんなわけで、私はいずれ海外へ出るだろう。そういう感覚があります。そして、受け入れた国に骨を埋めるだろうと。
ちょうど、最近画家藤田嗣治について書かれた本を読んだこともあり、きっと彼も魂の居場所を求めて世界中を旅したんだろうなと少し影響を受けました。
私は夢を叶えます。それは悲しいけれど、日本ではないだろう。
だから、海外へ。海外を目指します。ソウルの故郷を求めて。