クイズ番組は出るもの!? 「クイズグランプリ」出場の記
「あんた!九頭竜川って書けへんかったん?」
実はこれ、大阪の関西テレビで行われた
「クイズグランプリ 夏休み小学生漢字博士大会」
の予選、筆記試験から帰宅した筆者に待ち受けた母のリアクションだ。
当時、小学校6年生の筆者。
どこで知ったのかは覚えていないが、
人気テレビ番組だった「クイズグランプリ」で「小学生漢字博士大会」が開かれると知り、応募する。
当時、関西テレビなどフジテレビ系列は…
毎週月曜日から金曜日までの19時30分からの15分間は「クイズグランプリ」、
19時45分からの15分間が「スター千一夜」を放送した。
いわゆる「大人の事情」に因るものだったのだろう。
ゴールデンタイムに「3時間スペシャル」が
放送される現在では、到底考えられない編成だ。
その「クイズグランプリ」、
夏休みになると小学生大会が恒例だった。
ただ、ほかのクイズ番組ならば
30分~1時間で「小学生大会」とかざっくりしたくくくりの特番だった。
これに対し、毎日15分間放送される「クイズグランプリ」。小学生大会も、日替わりで違うジャンルの「✕✕博士大会」が放送された。
筆者が出場した「漢字博士大会」のように…
最初の関門、予選
筆記試験。
近畿地区の会場は夏休み直前の日曜日
関西テレビの会議室。
テストは、
漢字の読み書きが30問。
上位5人が東京のフジテレビでの本選にコマを進める。
筆者が覚えているのは、どういうわけだか
間違えた問題ばかり。
例えば…
(問題)太安万侶がが編さんした「日本書紀」。
これを暗唱していた人物名「稗田阿礼」の読み仮名は?
筆者は、「ひだあれい」と書いた。
不正解。
正解は「ひえだのあれ」。
筆者はとっくに忘れていたのだが、齢80の母が今も鮮明に覚えているのが、
本文冒頭の「くずりゅうがわ」。
(問題)静岡県内を流れる一級河川。
大井川ともうひとつは「くずりゅうがわ」。
これを漢字で書け。
年老いた母の記憶によると、筆者は答えられなかったようだ。
予選から数時間も経たないうちに、
早くも不正解が2問判明。
「予選落ちかも…」
筆者は凹んだ。
そんな筆者のもとに、4日後予選通過の知らせが届く。
本選出場以上に初めての東京行きに心が踊った。
いよいよ週末、学校から帰ると母と新幹線で上京。
東京駅に着く直前、
車窓に広がる銀座の街は小学生には眩いばかり。
その銀座へ、東京駅からタクシーで向かう。
「資生堂パーラー」で食べたうずらのパイ、
「銀座千疋屋」で飲んだメロンジュース。
大阪生まれ大阪育ちの筆者には別世界の味。
「これが東京なんだ…」
全てが驚きだ。歩行者天国も、街並みも。
日付け変わって、ところは新宿河田町。
フジテレビがお台場に移る前にあった所だ。
集合場所に待ち受けたのは、ライバルたちのほかにスタッフさんたち。
ひと息着く間もなく、ディレクターによる打ち合わせ。
矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
「座右の銘を漢字で教えてください。」
「賞金をもらったら何が欲しいですか?」
出場者のうちで首都圏以外は、筆者だけ。
予選はなんと2位(22問正解)で通過していた。
ディレクターの話によると、
筆者が出場できない場合に備えて補欠(首都圏在住)もいるとのこと。
昼食後、いよいよ収録…のはずだが。
緊張で食事はのどを通らない。
何しろ、人生で初めてのテレビ出演だから…
そうこうするうちに、スタジオへ。
本番。ディレクターのキューが飛ぶ。
オープニングの音楽…
(余談…最近知ったことだが、電子音楽のこの曲。作曲はなんとYMOでブレイク直前の細野晴臣さん❗
なお、下の動画は筆者の出演回ではありません。)
いよいよ、クイズ開始❗
ところが…
当時の筆者には全く予想の付かないことが起こる。全くのエクスキューズにはなるのだが…
本選の問題が易しすぎるのだ!予選に比べて。
出場者はもちろん、視聴者も瞬殺できるレベル。もちろん、早押しだからだ。
「ノンセクションの40❗」「とんちの30❗」
問題が書かれたボードが開くや否や出場者は次々とかボタンを押す。
筆者の解答席では、何度も「2番(手の解答権)」ランプが付く。
(この数年後、クイズ番組は全盛期を迎える。
全国の大学にクイズ研究会が出来るが、
どこのクイズ研究会でも早押しの特訓は必須となる)
挽回するのに、15分間はあまりに短い。
結局、5人中の4位。
ほろ苦いものだった。
話はまだ続く。
筆者が帰路に着く時、スタッフさんからやたら重い荷物が渡された。
スポンサー製の缶詰めセット。
獲得点数(70点)相当の図書券(3500円分)は、
後日現金書留で送られる、とのこと。
「あ~あ。大阪に帰ったら友達に冷やかされるわぁ~」
足取りは荷物よりも重かった。
(またも余談…筆者がもらった珍質問がある。
「スポンサーの中に白髪染めの会社があった。その会社のグッズはもらったのか?」
何ももらっていない。「小学生大会」だからだw。)
そうこうするうちに、放送日。
その数日後には夏休みの登校日。
もちろん、クラス中の手荒い冷やかしが待っていた。
実は、この話はここで終わらない。
放送を、当時では珍しい家庭用のビデオで録ってくれた親戚がいた。
だが、残念なことにそのビデオデッキは
普及直後によく出回った「Uマチック」と呼ばれるもの。
UマチックとはVHSやベータの時代となって
「二度と見れないのでは…」
と悔しがった。
ところが。
1988年夏、フジテレビで「開局30年史」が放送された。
名番組のハイライトシーンで振り返るこの番組で
「クイズグランプリ小学生漢字博士大会」が
数秒間だが流れた。
「2(番手解答者)」の表示とともに移る筆者の姿も…
それがこの動画…
振り返って思うことだが…
テレビ出演は、やっぱり楽しい。
「光子の窓」「ゲバゲバ90分」など、昭和を彩ったバラエティー番組を多数手掛けた井原高忠氏(元日本テレビ)。
彼が名言を残す。
「テレビは、一に出るものと二に創るもの。三四が無くて五に視るもの。」
まさにその通りだ。
出演した者にしかわからない独特の「快感」がある。
この快感が忘れられ無い人が少なくない話も
もっともだ。
とりわけ、クイズ番組は…
だが。その視聴者参加型クイズ番組。
最後のひとつだった「アタック25」が
今年(令和3年)9月に終了。
クイズ番組さえも、有名人が出るか有名人を作る
(例「東大王」「頭脳王」)かのご時世だ。
視聴率不振が原因だろう。
今となっては「激レアさん」となった
一般視聴者のクイズ解答者。
筆者もまた、そのカタルシスに浸ったひとりだ…。